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【#Real Voice 2022】 「現実ディストラクション」 3年・小林朋睦

「将来の夢は、日本代表で活躍することです。」


幼く純粋にサッカーだけをしていた少年時代の私は常々こう口にしていた。
卒業アルバムにも、夢に関することを書くときは必ず日本代表になると書いていた。
兄の背中を追い、サッカーというものに出会って、夢を見ることができた。


ア式蹴球部に入部してから早くも3年目が終わり、4年目が始まろうとしている。
歳を重ねたせいか、年々いろんな人と少しかしこまった話を交わすことも増えた。


ある日の病院帰りの出来事。
「骨には異常なかったよ」と両親にLINEを入れる。
父が、「慌てずゆっくり治しな、次のW杯まで4年もあるから」といった。
自分は、「スポンサー会社とかで関われてたら良いね」と返した。
そんな自分に父は「いやぁ、ピッチに立つでしょ」と返信。

「何を言ってるんだよ父さん、俺なんかじゃ無理に決まってるじゃん」
笑いながらそう思った。

いつからか自分は夢を捨て、現実を見ることしかできなくなっていた。


幼い頃、日本代表で活躍したかった自分は、テレビの前でワールドカップを見ながら「ヒロト(3年・植村洋人)とかオグ(3年・小倉陽太)よりみんなうまいんだもんな、敵わないよな」と広大(3年・戸部広大)やもりけん(2年・森山絢太)、平松(3年・平松柚佑)と話をした。

たわいもない会話だったが、幼い頃に抱いた夢を完全に捨て切ってしまっている自分がいた。


現実しか見ることのできなくなった自分は、
将来の話をされたときに「自分は結婚して安定した生活ができてたらいいな」とよく答える。
将来何がしたいのか自分でもはっきりとわかっていない。
「サッカーがない人生を歩もう」、「スポンサーとして関わりたい」、「社会人サッカーでもやろうかな」、「テニスとかゴルフとか新しいものに挑戦しようかな」多くのことを考えてるけど、幼い頃に抱いていた「プロになって日本代表で活躍をする」とは一度も考えたことがない。

「なりたくない」わけではなくて、「俺なんかじゃなれっこない」。現実の直視だ。



大きな夢や目標に向かって日々努力をする人が羨ましく思うことが増えた。
プロになろうとする同期や後輩、最後の最後まで足掻く先輩。
他大学の部員ブログを見ても「プロになるために」と。
切実に羨ましい。自分の可能性を、誰よりも自分自身を信じてあげられる人が。

プロ注(プロ注目選手)でもなければ、関東リーグに出場できていない後輩がプロになりたいと自主練習をして、コーチがプロになりたい人と問いかけるとすぐ手を挙げてプロになりたいと言う。
本当に羨ましい。夢を持ち、努力をする姿が。
自分はどうだっただろうか、
「プロになりたい人」という問いかけに手はぴくりとも動かなかった。
努力をしていないわけではないが、何のための努力なのか、きっと目先の目標のためだけの努力だったのかもしれない。

昨年「両親への恩返し」のためにこのア式蹴球部に入部を決意したと書いた
でも、心のどこかでは「プロ」と言う言葉も浮かんでいた。
夢を見る事のできなくなった自分は「プロ」と言う2文字を書くことはできなかった。
自分は現実ばかりを見過ぎているのかもしれない。

最近は、就職活動を始めて自分というものに向き合う時間が増えた。
「大学生活で一番力を入れたことはなんですか。」
俗に言う学チカを考えることがある。
現実しか見てこれなかった自分にとって、学生時代に一番頑張ったことは、
「現実を見て自分の弱さを受け入れること」。
この一言に尽きてしまうような気もする。
もちろんチーム状況に向き合い、自分のできることを必死こいて探した。何もチームに貢献できていないのではないか、自分の存在意義を見失わないために学連というチームの縁の下の力持ちの存在であり、大学サッカーの担い手という役職にもついた。試合で活躍したくて毎日真剣にボールを追って、ぶつかり合う事もあったし、ストレスで死ぬんじゃないかと思うくらい考える日々もあった。
でも、自分がこの3年間で一番力を入れたことは「現実を受け入れる」ことだったと思う。

私は自分のことが嫌いだ。
現実しか見ることができず、ネガティブな人間だから。
サッカーで言うなら、同期も下級生も自分よりサッカーが上手い。だから俺が何を言っても何処かでは下手だから響かないのかなと思うこともある。

ある日の練習が終わり部室で「サッカーが上手くないと、説得力ないよな、俺来年チーム引っ張れんのかな」って呟いたことがあった。
それを聞いていた清井(2年・清井大輔)が、「くっそネガティブじゃん」って笑いながら言ってきた。そして「そんなことねーよ」とも。

嫌われてでも言うべきことはいう、チームへの鼓舞、士気を高めるために声を出し続ける。体を投げ捨てでも最後の一歩まで戦う。自分にはこういったことが求められている中で、本当に今のままでやっていけるのか。
人が夢を追う姿を見て羨ましいと思い、尊敬をする。
そして「俺には無理だ」と思う。面白くない人間だ。

このブログを読む人の中にも俺と同じ考えをする人がもしかしたら1人くらいはいるかもしれない。
いるとしたなら、

「今すぐその考えをやめて、根拠のない自信を持ち、夢を抱いて欲しい」

自分を信じられることは、何よりも大切。夢を持つことも大切。
根拠のない自信を持って夢に向かってガムシャラに日々汗水垂らす。
根拠のない自信はきっと何よりも強いと思う。俺なら大丈夫。そう思えるだけで世界は180度違った景色を見せる。
この3年間俺にはできなかったことだ。

試合に出る。負ける。俺は下手なんだなと思う。
俺じゃダメなのかな、そう思う。
自信ばかりなくなっていく日々。

昨シーズンを通してコーチ陣、特に小澤さんや同期に数多く言われのは、
「ともち自信持っていけ」と。

側から見ても俺は自信を感じられないほど弱っていたのかもしれない。
試合前に必ず言われた。
確かに自信を持っていた試合はない。それこそ試合の前日は怖くて寝れない日ばかりであった。

この3年間を振り返ると本当に自信ばかりを失ってきた情けない日々でもある反面、
「自分ってどんな人間」を見つけられた充実のした3年間でもあった。


気づけばもう大学サッカーがラストシーズンを迎え、自分のサッカーで溢れた人生も終わりを迎える。サッカーで一喜一憂できるのも本当にあと1年。

悔しくて泣いて、辛くて吐き、嬉しくて泣いて、楽しくて笑う。そんな日々とも、もう1年も経てばお別れ。

どれだけ自信を失い夢を捨ててきても今こうやって部員ブログに弱音を吐き、
誰か1人でも多く自分と同じネガティブな感情を抱き続ける日々を送って欲しくないと思えているだけ、成長をしたのかなとも思う。

早慶戦で紺碧の空を歌う早稲田大学ア式蹴球部の部員に憧れ、
早稲田に入ろうと決意をした4年前。
絶対にこの部に入り、早慶戦で紺碧を歌うと決めた当時の自分は今の自分を見て、
何を思うだろうか。
まだまだなのか、それとも俺らしいのか、

夢を見れず、自分の弱さばかりしか見れなくなった自分とラスト1年はお別れをしたいなと思う。

ラスト1年。
早稲田大学ア式蹴球部99期生として、100期生へ必ず繋げること、何か1つでも後輩の記憶に足跡を残せるように、最後の最後まで戦う。向上意欲なくすことなく、常に学ぶ姿勢を忘れずにいきたい。

同期の右京(3年・平野右京)からおすすめされた曲の中に、自分にすごく刺さった歌詞があるから、それを綴って終わりにしようと思う。

夢を追う男の物語 夢が与えてくれた出会い 無き者に成功なし この先も共に
動かなきゃ始まらない 描かなきゃ見えやしない 夢笑う者に栄光なし この歌を共に
    (BIG UP/湘南乃風)より


現実を見過ぎず、大きな夢や希望を抱き、ラスト1年死ぬ気で戦い抜きたいと思う。
だから、同期は常に厳しい目で見ていてほしいし、時には支えてほしい。
後輩は、1mmでもいいから信じてラスト1年思うこと全てをぶつけてきてほしい。

応えられるように俺は徹底的に尽力します。

拙くまとまりのない文章だったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。下手で迷惑しかかけていない自分ですが、最後まで全力で走り抜きたいと思うので、応援の程、よろしくお願いします。

明日は敏腕マネージャーの1人佐藤慧一です。
一緒に練習終わりボールを蹴ってくれる優しさと、選手よりも熱く戦う姿勢を見せてくれ、広い視野を持つとても頼りがいのあるマネージャーです。
ぜひ、お楽しみに!

◇小林朋睦◇
学年:3年
学部:人間科学部
前所属チーム:群馬県立前橋高校


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