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【#Real Voice 2022】 「無限大の愛をここに」 2年・北村公平

「人間性を高めたいです。」

高校3年の春、桐光学園サッカー部の主将を務めることになった私をゲキサカさんが注目選手として取材してくださった。最後に今年の抱負について問われ悩んだ末に出した答え。


主将になったからだろうか。監督から口酸っぱく"人間性"というフレーズを叩き込まれていたからだろうか。




この言葉に私の意志は存在していたのだろうか。




サッカー界という、一種の戦場を11年間生き抜いてきた。


サッカーで生き残ることこそ正義で、それ以外は逃げという意識があった。


勝ちか負けか。
上か下か。


このような基準でしか人を判断することが出来なかった。






上記の文は「部員ブログを今年もやります」という連絡がきた9月4日に、部員ブログの書き出し風に書いた日記である。

人間というのは不思議な生き物で1日も経てばその日覚えたことのうち80%近くのことを忘れてしまうのだそうだ。

だから私は日記を書くようにしている。

最近は頻度がかなりまちまちなのだが、高3の時は毎日書いた。欠かさず毎日。
ストレスから5キロ痩せた時の文はやっぱり痩せ細っていた。

当時を懐古するアイテムになってくれるので皆さんにもオススメしておきます。








改めて。









北村公平、早稲田大学ア式蹴球部100周年の代の主務になります。









かなり悩んだ末に出した結論。
高校で主将を務めていた時には一切想像もつかなかった結論。
主務になると決まった今でもまだ本質的に理解できていない結論。



その想いを書こうと思います。








主務を決めるために学年ミーティングを開いた。


その中で心に響いた言葉がある。







「主務になるということはプロサッカー選手になることを諦めるということに近い」








高校の時はすごくぼんやりしていた主務という役職。
見えないところで身を粉にして働いてくれる主務の姿というのはア式蹴球部に来てもまだ少しぼんやりしている。

学年ミーティングでの言葉を聞いて上記した日記の内容を思い返した。




『サッカーで生き残ることこそ正義で、それ以外は逃げという意識があった。

勝ちか負けか。
上か下か。

このような基準でしか人を判断することが出来なかった。』




サッカーを始めた小学校3年生から今までサッカー一筋で突き進んできた。






「サッカー選手になりたい。」







必然の目標であったように思う。



中2の時に学級委員をやりながらクラス崩壊した時も、高1の時に大津に0-5で負けても、高3の時、成績はクラストップでありつつも第1希望の指定校推薦を勝ち取れなかった時も。
サッカーどころじゃない時でもなぜかサッカーからは離れなかった。


やっぱりいつでもサッカーとともにあった。


サッカーで北村公平という人間を表現することができた。


サッカーに人として成長させてもらった。

でも大学に来て、
試合に出れない現実を突きつけられ、どこかで身長を言い訳にしていたり。

施行するサッカーのスタイルが自分に合えばとか。


とりあえずグラウンドに行って、ゲバでいいプレーして、自主練でシュート受けて、みたいな生活をしていればいつかは試合出れるんじゃん?とか。


大学に入ってサッカーのピッチ内だけじゃない部分にちゃんと触れてみて、






潜在的にこの夢を放り投げていたのだと思う。






学年ミーティングで聞いた言葉は
そのことを一瞬で私に諭すほどの力があった。






今までの私が私ではないような感覚がした。







心からサッカーを愛せていない感覚がした。







サッカー一筋ではありつつも、中学はオール5で卒業して、高校は相対評価のクラスでトップの成績を取り続けた。

高校で主将を務めたときはいつも人間関係にビクビクしながらチームを引っ張らないといけないけど嫌われるのも嫌だし、という葛藤の中で必死にもがいていた自分。







今の同期とそれぞれの高校時代を回顧して、「あの時は頑張っていたなあ」という言葉が浮かんできた時に確信した。








サッカーで“生き残れなかったんだな”と。“負けた”んだと。








自分の中にあるステレオタイプをもとにしていえば、サッカーで結果を残している人たちより劣っているということ。つまりそれが負けたということ。生き残れなかったということ。
そんなこと負けず嫌いな私が許すはずがないのだが、








「173センチのキーパーに未来なんてあるのか。プロに行きたいとか言える取り組みしてないよな。ほんとにサッカー好きなんか?ほんとにサッカーで生き残りたいと思っているのか?サッカー以外の取り組みがピッチ内でのサッカーを引き立たせてくれると思って積極的に関わりに行ったけど、それ自体逃げだったのか?ピッチ外の取り組みを盾にサッカーがうまくいかない現実に蓋をしていたんだ。その自分を客観視する自分がいたのに、その自分に気づいていないふりしてたよな。本気で自分自身に向き合ってなかったな。逃げていたよな。








主務を決めていくときになぜかすごく納得できた私がいました。








本当に悔しかった。







絶望した。



そんな自分を認める日が来るとは。





言い訳している自分は恥ずかしくて周りには曖昧な回答をして誤魔化していたけど、
ごまかす自分はもっと恥ずかしく感じていた。

周りには伝わっていなかったかもしれないけど、言い訳する自分が本当に嫌いだったし、主務になることに対して本音を言うとしたら、主務という役職が「サッカーに向き合えなくても忙しいから仕方ない」みたいな言い訳の要素になりかねないと思って躊躇したのが本音。寮に入ることにも抵抗はあったし、主将、副将、新人監督にも興味がなかった訳じゃない。同期のキャラクターを考えながら自分の意志より自分の適材適所を優先していたのかもしれない。
プロ志望が多い同期からは「公平がプロ志望なら考え直すべき」と声をかけてもらったりもした。




それよりもサッカーから逃げた、負けた自分を受け入れることができなくてどこかにもどかしさがあったのだと思う。






とにかく情けなくて恥ずかしかった。






そんな中でも全てを悲観的に捉えていた訳ではなくて。

むしろチャンスだとも思った。


このような感情になったのはサッカーのことだけを考えていた高校2年までの自分と比較して、

高校3年で主将を務め、ア式蹴球部に来てサッカーのピッチ外の部分に目を向けるようになり

明らかにサッカーを捉える視点の幅が広がったことに起因していると思う。

広く見えていたからこそサッカーに向き合えていない自分に焦りや嫌悪感を抱いても、その感情こそが成長している時の感情だと思っていた(それは良くも悪くも)。






間違いなく認めたからこそ見えた景色もあった。









一つは“アイデンティティ”



今までは
誰かのためになれる自分より、

誰にも嫌われない自分を選んでいたように思う。

周りの評価に怯え、嫌われないように生きてきたワタシ。

時に"いい人"と言われることで嫌われないように生きることが肯定される瞬間もあった。

その瞬間は自己肯定感を高く持つことができるし、他者に認められることによって集団に属する意味を見出すことさえあった。


語弊を恐れずに言うと、これは決して誰かのためになろうとしている訳ではない。


誰かのためになれる人間を目指すけれど、誰かの人生を歩むつもりはない。誰かの欲望を満たすために行動する訳ではない。


今まではただ他人任せになって他者に期待することに自分の価値を見出していた部分があった。だから他者が私にとって気に食わない行動をとれば、相手に対しての信頼も、自分自身に対する肯定感も失っていた。


逃げた自分を認め主務になる覚悟が決まったとき、霧がスッと晴れた感覚がして、


自分は自分でいいんだ、大切なことは“自分がどうあるか”なんだと気づくことができた。


二部降格が決まった翌週の火曜日、関東リーグ最終節を残していた状況で山田晃士くん(令和3年卒・現ザスパクサツ群馬)が練習に来て下さり、
「あと一週間、最後何を為したかではなくそこまでの過程を応援しています。大切なことは何を為したかではなく自分がどう在るかだと思います。」
という話をされていてとても共感したのと同様に、晃士くんの語気の強さに圧倒された。人として尊敬される理由がそれだけで分かった。

晃士くんと全く同じような人間にはなれないけど、自分もああいう強烈な軸がある人になりたいと思った。






もう一つは、“本当に大切なものは目に見えない”ということ。



主務という役職が本格的に現実味を帯びてきた9月頃からチームの見え方が少し変わって、「このチームを愛せるかな」とか「どういう振る舞いが求められるのだろうか」という視点で周りを観察していた。その中で感じたこと。

自分の中で高校までは確かにあった“何か”が崩れ去った。そのプロセスを言語化することは難しいけれども、
私個人の“何か”の消失と今年のチームの不調にはどこか似たものがあると感じていた。

組織において数値化できない“何か”に左右されることは危険なのだろうけど、


“なんかスタメンになれない気がする。なんかサッカーに対する力が湧いてこない。なんか失点しそうな気がする。”
みたいな、自分自身の中にある“空気”とか。



“試合に出たいけどチームが負けてくれないと出るチャンスなくなるから、勝って欲しいけど負けて欲しい。”
みたいな、チームの中にある“雰囲気”とか。



特に残留がかかった後期は顕在化していたように思う。





信頼、情熱、責任、プライド、誇り、自信、勇気、愛、、、





そんな、目に見えない本当に大切な“何か”を失い続けていたように思う。





何をどれだけ悔やんでも、




何をどれだけ批判しても、




過去は変えられない。





二部降格という事実は変わらない。




目に見えないものというのは積み上げるまでに、信じられないほど時間がかかり、


またそれが崩れるのは信じられないほどに一瞬であると思う。


そんな理不尽な何かに突き動かされることはとても疲れるのだけれど


人として生きる中で1番サボっちゃいけないタスクであるように思う。


この1年間で改めて、サッカー選手である前に、ア式蹴球部員である前に、一人の人として"大切な何か"の重要性に気付かせてもらった。


今年の結果を前向きに捉えて進んでいく他に選択肢はない。


今年の経験を無駄にしてはいけない。







三つ目は、“主務になる決断がサッカーから逃げた果ての選択ではない”ということ。



これは特に同期に向けて。
誓います。


寮に入りたくないとか、新人監督の方が向いているんじゃないかとか色々考えが巡ったけど、そんなことで判断していません。







もう一度、サッカーに本気で向き合いたくて。







逃げていた自分を認めた上で這い上がるために、あえて副務と主務で残りの2年間を過ごすことを選んだ。

別にこの決断をしなくてもできたことだし、直接的な理由になっている訳ではない。


“誰かのためになる”という話とはまた矛盾するのだけど、最後決断できたのは同期の存在があったからだと本気で思う。


同期のためならどんなきつい仕事も乗り越えられる。




主務が自分に決まった時に背中に感じた拍手の音、みんなの表情は忘れない。

シーズンを通して社会人リーグには同期が多く出場した。
自主練を欠かさない姿を見ていて必然だなとも感じた。
「俺たちが引っ張る」という意志をみんなから感じて、胸が熱くなった。

関東リーグ第19節、桐蔭横浜大学との一戦。
多くの同期がピッチで戦う姿を見て本当に刺激になった。
まさに闘っていた。かっこいいなって思う自分がいて、どこか悔しかった。

第21節流経大戦、第22節拓殖大戦。
今年の春先のIリーグ立正大学戦で一緒に出た同期が次々と関東のピッチに立った。
刺激を超えて、焦りと劣等感を感じた。


練習でうまくいかない自分の姿を見て励ましにきてくれる人もいる。
みんなもがき苦しみながらも自分の価値を示そうとしている。


学年ミーティングでの姿を見ても、あらゆる課題に目を逸らさず向き合ってきた成果が少しずつ出てきている。
もちろんまだまだ足りないことがたくさんあるし、もっともっと成長していける学年ではあるけれど、同期みんなの活躍、言動にはいつも最高にアツイ原動力をもらっています。

いつもありがとう。

これからもよろしくお願いします。






100周年世代、どんな壁が待ち受けているのかわからないけど、みんなで超えていこう。






最後は、“きっと負けてないんだ”ということ。
“生き残れなかったわけじゃないんだ”ということ。


あと2年も大学サッカーの時間が残されている。


これは本当にありがたいことだなと思う。


有限である時間を、大学生という期間に、大好きなサッカーに使うことができる。


どのように時間を使うかは自分次第。


可能性の中に生きている限り、いくらでも自分に期待して現実に目を向けないことだってできる。
今もまだ可能性の中に生きていて、自分自身に期待している真っ只中にあるかもしれない。

一度現実を受け入れる前の自分は、可能性の中を生きる自分に対して「酔えてるな」とか思えなかったと思う。
今の自分は少しだけ成長して、「頑張ってみるのもありなんじゃない?」と思えるくらいまではきた。

なんとなく現実を受け入れたものの自分の中で明確にこれを目指していくという目標が定まりきっている訳ではない。
夢を追うことと現実を見ることは本当に紙一重なのだなと頭の中を整理しながらにしてやっと気がつく。


絶望の淵にいた私は立ち上がり、今日も夢とボールを追う。





ビルドアップで相手を出し抜く瞬間。至近距離からのシュートを顔面にくらって目を腫らす瞬間。リスク管理のコーチングがばっちりハマって味方がボールを奪う瞬間。試合を決めるセーブをする瞬間。勝利のホイッスルがなって雄叫びをあげる瞬間。仲間と喜び合う瞬間。





どれも最高に生きている瞬間。







戻ってきた。この感じ。






これだ。











この先の未来で第一線のサッカーから離れる時がきたら、きっともう一度今の自分のような感情になる。
きっとその時に今の自分が追い求める答えが出る。いや出ないかもしれない。出なかったとしてもそれが答えなのだろう。とにかく、






争い続けたい。






まずは大学生としてのあと2年。証明するための2年間だと思う。





自分なりの“価値”と自分なりの“勝ち”を模索しながら挑み続ける。



他の誰でもない、自分に。








終わりに

今年は思うようにいかない一年だった。
色んな人に支えられながら生きていた。


辛い時にはいつも隣にいてくれためぐる(4年・平田周)

短いながらもめぐるの境遇を間近で見ていたからこそ、早慶戦でどれだけ勇気をもらったことか。一時期はめぐるが破産するんじゃないかというくらいまで奢られ倒したな。めちゃくちゃお世話になりました。これからもお願いします。


同じ173センチ?ながら関東の舞台に立ったせいな(4年・生方聖己)

今年の後期は生方担当大臣としてあれだけ厳しく言ったのにうるさいのは変わりませんでした。色々大変だったと思うけどサッカーにかける情熱とか尊敬してます。来年も練習に来てくれるとのことで嬉しい限り!!

思い返せば二人とも自分が主務をやると伝えた時の反応は『大丈夫か、、』だったな。


グラウンドをゆっくり歩きながらくだらない話に何度も付き合ってくれたとーる(4年・柴田徹)

プロ内定本当におめでとうございます。確かにあんまり騒いでなかったかもだけど多分おれが一番喜んでたよ。どこに行っても北村家一同応援しています。お互いに頑張ろうね。


落ち込んでいると“原因おれじゃないよな”っていう顔で話しかけに来てくれる直属の後輩ヤマイチ(1年・山市秀翔)

見かけによらず繊細でビビりなのは高校から。褒めると「まじでだるい⤴️!」って照れるのも高校から。ヤマイチ自身落ち込む時もあったけど、ヤマイチの活躍に刺激を受けないわけはありません。頑張っていこうね。


嫌なことがあっても良いことがあってもいつでも地元の名湯『港北の湯』に連れ出してくれる親友。
いつも真っ直ぐなその姿勢に密かに奮い立たされています。覚悟を決めるときはいつも同じタイミング。それぞれの冒険を楽しんでいこうな。



あげればキリがないけど本当に多くの人に助けてもらってなんとか今を迎えている。





辛い、苦しい思い出が多かった2年目。支えとなってくれる人に縋っていたいけれども、




過去は戻ってきてくれない。




未来は待ってくれない。




イマここで、立ち止まるわけにはいかない。







また来年、成長した姿を多くの人に届けられるように頑張ります。











『無限大の愛をここに』






本邦初公開。

◇北村公平◇
学年:2年
学部:文化構想学部
前所属チーム:桐光学園高校

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