ターニングポイントとなった10年前のあの日
東日本大震災から10年。
ヤフーでも上記のような企画がおこなわれています。
ヤフーでの検索が、寄付になる。素敵な企画だと感じます。
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さて、本日のテーマは、
ターニングポイントとなった10年前のあの日
今日は違うテーマについて書こうと思っていたのですが、東日本大震災から10年の節目の日ですので、自分自身の体験や歩みを振り返ってみることにします。
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●「普通」を取り戻す過程でやりたいことが引き出された
東日本大震災が起きた2011年3月11日、いま自分がやっていることへの大きな方向転換をした日として思い出されます。
つらつらと振り返りを書いていきますね。
いまは幸いにも、体育の分野で大学教員や、スポーツ現場でのコーチやトレーナーとして活動をしておりますが、震災が起きた日からの2-3週間でその原点を見出したように思います。
言い換えれば、あの震災やその後の生活が継続できるかどうか、という状況を経て「いま自分が望む進路」への覚悟を決めた時期でもあります。
地震があった際、当時はPCショップのアルバイト社員として勤務をしておりました(@茨城)。大学院生として授業を受けつつ、アルバイトをいくつか掛け持ちしている時期でした。
他には、コンビニの深夜のアルバイト、家庭教師のアルバイトを兼務して、自身の授業料の補填などをやっていたんです。
とにかくお金を稼がないといけない、という強迫観念から、毎日アルバイトで時間を埋めていて、その隙間時間に授業や勉強をする、という生活でした。
大学院でやりたいことがあるけれど、いまはお金を優先しなければいけないと、毎日自分に言い聞かせていた気がします。
そんな中、震災が起きて、その時私は必死に売り物の大型テレビを押さえていました。
揺れがおさまって周囲を見渡すと、店内がものすごい状況になっていて。
お客様を駐車場へ誘導し、私含めた従業員も全員店外で待機となりました。
これまでに感じたことのない大きなゆれ(茨城県は震度6弱でした)で、お客様も、従業員もみな、家族の安否確認のための連絡をひたすらしていた記憶があります。
肌寒い気候だったこともあり、駐車場にて車から毛布や衣服を貸しあったり、暖房器具を用意したりしていたように思います。
お客様が全員ご自宅に向かわれて、お店がその日営業なしとなり、程なく従業員も退勤に。
結論から言うと、この日をもって私はこのPC店での勤務を終えました。他のアルバイトもしかり。
自宅に戻ると、部屋の中は大惨事。
電子レンジは床に落ちてガラス破片が飛び散り、食器類も全滅。
家具も倒れていて、いつも帰った後に目に入る部屋ではありませんでした。
そこから停電・断水が続いたので、難民のように実家へ戻っていたり、転々としていました。
そんな生活をしていて、改めて、「自分はなんのために大学院に進学したのか」「これからどんな方向に進んでいきたいのか」を考えるようになりました。
そして、「体育・スポーツの世界で生きていく」という覚悟を決め、大学院でのアスレティックトレーナー活動への道を1年遅れで歩み出しました。
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●一年遅れのリスタート
筑波大学大学院では、大学院修士課程の二年間で、アスレティックトレーナー(AT)の資格試験のための養成課程を履修する仕組みになっています。
また、筑波大学には独自のトレーナー育成組織として、トレーナークリニックがあります。
そこでAT資格取得に向けて学びながら活動する修士1年生と一緒にトレーナー活動をすると決めました。同時に、博士課程への進学についても覚悟を決めました。
つまり、自身の修士課程の2年生と博士課程の1年生の二年間を、イレギュラー的にクリニックスタッフとして認めていただきたい、というように打診をしたのです。
幸いにも、指導教員の先生方や1学年下の後輩たち、同期の面々にも理解をしていただき、一年遅れでトレーナーの世界に足を踏み入れました。
※ギリギリ私の代まで、大学4年間で養成課程を修了する制度だったので、AT試験の勉強もしつつ、トレーナークリニックでの現場での活動を継続しました。
そこからは、ひたすらに選手のリハビリテーションやトレーニング指導、トレーナーとしての勉強に明け暮れていたように思います。
学年の違いによる「本来の同級生」との軋轢や、イレギュラー的に途中参戦してきた自分に対しての風当たりが少し強かったりもしましたが、選手や仲間に支えられ、「トレーナーとしての同期」にもとてもよくしてもらい、クリニックでのスタッフ活動を終えることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
この二年間の挑戦や苦悩を乗り越えたことが、今の自分を支えているとも思っていますし、自身のコーチとしての活動、トレーナーとしての活動、大学での教育活動の根幹が構築されたとも感じています。
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●「体育・スポーツの世界で生きていく」覚悟を決めたあの日から十年
震災から十年、「3.11」が来るたびに自分が覚悟を決めた日を思い返します。
「体育・スポーツの世界で生きていく」覚悟をこの日に立て、自分が自分に対して、なぜこの世界に飛び込んだのか、少し道を外れたところから戻ってきたのはなんのためなのか、と問いかける機会になっているようにも感じます。
選手のための最良のアドバイザーになるために、自分が動き続けること、型にはまらずに学び続けることは、今後生涯を通じておこなっていきます。
このような、「自分が心から続けたいことを選択して挑戦する」ことを引き出したのが、東日本大震災の被災の経験だったのだと感じます。
自分の生活が落ち着いた後に残った気持ちが、「体育・スポーツ」が好きで、頑張る選手たちが好きで、「体育・スポーツ」を取り巻く人たちが好き。
ずっと「体育・スポーツの中で生きていきたい」ということでした。
この気づきと選択が、いまもなお自分の原動力となっています。
これからも、この気持ちを持って歩み続けたいと思います。
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今日はここまで。
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●藁科 侑希(わらしな ゆうき)
大学教員として、教育・研究現場で活動中。また、スポーツ現場でもトレーナーやコーチとして活動。選手や学びたい人にとって、最良のアドバイザーであることをモットーに、肩書きにとらわれない現場目線のサポートを模索中。
#西野亮廣 さん #けんすう さん #堀江貴文 さん #落合陽一 さんによく影響を受けています。
#西野亮廣エンタメ研究所 #タムココサロン #アル開発室 サロンメンバー
【現在の大学担当授業】東京経済大学・千葉大学・日本女子体育大学
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【保有資格】
博士(スポーツ医学 筑波大学)
日本スポーツ協会公認バドミントンコーチ3
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツコーチ
日本障がい者スポーツ協会公認中級障がい者スポーツ指導員
日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツトレーナー
NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト
NSCA認定パーソナルトレーナー
高等学校教諭専修免許(保健体育科 茨城県)
中学校教諭専修免許(保健体育科 茨城県)
赤十字救急法救急員
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