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2021年1-2月 香港15days集中リポート

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2021年1月26日から約15日間の香港滞在を記録していきます。街の様子や人々の表情、2019年の香港デモ、そして2020年の新型コロナを経て香港がどんなふうに変わってきたのか、…
現在、香港入りするには3週間の強制ホテル隔離が必要です。2019年のデモでは多くの取材者が駆けつけ…
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記事一覧

240617 ポリタスTV配信「香港大規模デモから5年 そこに至る過程と香港の現在」

今年の6月9日は奇しくも5年前と同じ日曜日。5年前のこの日、香港では「逃亡犯条例」の改定を巡って100万人を超える市民が反対の声を上げてデモ行進しました。そう、香港の運命を大きく変えるきっかけになった2019年デモの「幕開け」ともいえる大行動が起きた日でした。

5年後のこの日、広島のブックカフェ「ハチドリ舎」で、津田大介さん、そして元朝日新聞記者の宮崎園子さんと香港の話をしました。

宮崎さんと

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220120 「現代ビジネス」寄稿:香港でまた現地メディアが「壊滅的打撃」を受けた…市民たちの「尋常ならざる失望」

現代ビジネスで最新の記事が公開されました。

昨年はとにかくいろいろありすぎた香港で、最後の最後になって「立場新聞」が取り締まりからわずか17時間後に閉鎖、さらに皆が期待をかけた「衆新聞」も今年初めに運営停止を発表しました。香港人にとってその衝撃は大きいです。同時にメディア界の友人たちもショックを受けています。昨年1年間でメディア従業者1000人以上が職を失ったとも言われています。

すでに消えて

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211231 「ダイヤモンド・オンライン」寄稿:中国が望む「正しい選挙」とは?香港選挙期間中の摩訶不思議なアレコレ

12月19日に行われ、過去最低の投票率となった、香港の最高議決機関立法会議員選挙。有権者になるにはまず有権者登録が必要な香港で、有権者数は過去最大の477万人を集めながら、過去最低の投票率というのはつまり、明らかに市民による「ボイコット」でした。市民の気持ちを二重三重に萎えさせた政府や親中派のあの手この手をまとめました。

211111 「週刊エコノミスト」(11/16日号)寄稿:民主派団体を解散させる 巧妙すぎる中国の「手口」

211111 「週刊エコノミスト」(11/16日号)寄稿:民主派団体を解散させる 巧妙すぎる中国の「手口」

現在発売中の「週刊エコノミスト」(11/16日号)に、今夏雪崩を打つように次々と解散を発表した香港の民主団体の解散の舞台裏について寄稿しています。機会があれば、ぜひ手にとって御覧ください。

210821 「現代ビジネス」寄稿:急速な「中国化」に窒息する「香港社会」、市民たちの悲痛な現在  国家安全法の施行から1年

2020年6月30日深夜の香港国家安全維持法(以下、国家安全法)施行から1年が経った香港。これまでにもあちこちで書いてきたように、移民が急激に増え、市民が自由に発言できる空間は激減し、人々は戦々恐々と暮らしています。

わずか2年前の香港はもう別世界のようだと、多くの人たちが口にします。

かつてわたしが、いや香港の住民がよく知り、馴染んてきた社会が、もうまったく違う社会になってしまった…それを語

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210211【香港15days】番外編全文無料公開:使えない「Android版COCOA」を「入国時の誓約」だとゴリ押しする、日本という国の不毛さと無責任

210211【香港15days】番外編全文無料公開:使えない「Android版COCOA」を「入国時の誓約」だとゴリ押しする、日本という国の不毛さと無責任

「COCOAをスマホに入れていただくという誓約のもとで入国が許可されることになっています」

突然現れた男性職員は空港警察官を後ろに従えてこう言いました。入国前の検疫手続きでなんどか「AndroidのCOCOAは入れても役に立ちませんよね? だったら入れません」と断り続けた結果です。

それまで何人かわたしに困った顔をしてみせた女性職員の後で、その男性が警官を従えて現れたのです。

――わたしも入

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210210【香港15days】さよなら香港、また来るでー!

210210【香港15days】さよなら香港、また来るでー!

さて、最後の回となりました。現在、シンガポールのチャンギ空港で、真夜中2時の飛行機に乗り換えて日本に戻ります。

それにしても今回の香港との「別れ」は、久しぶりに辛いものがありました。

3週間の隔離期間中、外には出られなくても香港にいること、香港の食べ物、香港人スタッフの悪気はないけどつっけんどんな対応のすべてに懐かしさを感じていたし、外に出ることができるようになってからの2週間は毎日のように友

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210209【香港15days】「華人住民は国籍に関わらず中国公民」と行政長官。ならば「華人」とは? そして東南アジア移民の末裔は?

210209【香港15days】「華人住民は国籍に関わらず中国公民」と行政長官。ならば「華人」とは? そして東南アジア移民の末裔は?

朝市でZと朝食。彼女はわたしが隔離に入った後、山のような食べ物を届けてくれました。わたしは「まぁ、強いて言えばポテトチップかな」といったにも関わらず。

見てくださいこれ(笑)。果物と同時に皮むき器まで入っていたのには感動しました。

あと、隔離中には階下のベーカリーからバナナケーキを差し入れしていただいたり、遠く元朗(元朗事件のあの元朗。すでにすっかり日常に戻っています)から直産の「老婆餅」を届

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210208【香港15days】本屋の売れ筋は歴史書と哲学書。若者はよく本を読んでいるようですが…

210208【香港15days】本屋の売れ筋は歴史書と哲学書。若者はよく本を読んでいるようですが…

朝イチで予約したPCR検査へ。ホテルから歩いて10分くらいのビルにあるクリニックを選んだのですが、ビルにつくと、「醫生樓」(お医者さんフロア)だけ別エレベーターになってました。

クリニックで聞いてみると、このビルはいろんな企業が入っているけれど、お医者さんだけ8階に集中しているのだとか。まとまって入居しているから、イザとなると、こうやってエレベーターを専用にしてしまえるのですね。なかなか先見の明

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210207【香港15days】記録する、知る、そして考える。「今回は絶望していない」

210207【香港15days】記録する、知る、そして考える。「今回は絶望していない」

今回は雨傘運動が失敗に終わったときほどの絶望感はない。

駆け出しジャーナリストのPが言った。

雨傘が終わったときは本当にショックで、もうなにも考えられないくらい絶望した。でも、今回は違う。これからどうするか、希望について考える余裕がある。そして今絶望している子たちに声をかけるの。彼らはかつてのわたし。でも大丈夫よ、先を見て歩くのよって。

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210206【香港15days】帰国のPCR検査を手配、でも「標準フォーマット日本人として生きるのはコストかかりすぎ」

210206【香港15days】帰国のPCR検査を手配、でも「標準フォーマット日本人として生きるのはコストかかりすぎ」

帰国便が決まったので、日本入国のためのPCR検査の手配を朝一番に。

出発前に、日本在住の香港人の友人が「もし日本の状況が変わって帰国にPCR検査が必要になったら、いつでもメッセして。わたしの妹がPCR検査をやってるクリニックで働いてるからお手伝いできるかも」と言ってくれていたので、一安心。彼女自身も11月に香港に一時帰宅した時に、日本入国の際にPCR検査陰性証明が必要だったんだそうです。

でも

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210205【香港15days】「衆新聞」:わずか10人だった編集部に、中国報道プロたち10人を受け入れたツワモノメディア

210205【香港15days】「衆新聞」:わずか10人だった編集部に、中国報道プロたち10人を受け入れたツワモノメディア

「香港国家安全維持法」(以下、国家安全法)に揺れているのは、もちろんメディアの世界も同じ。同時に香港では毎日のように「政治事件」が起こっている。それをいかに伝えるか、どういう視点で伝えるか、どこまで深く掘り下げるか…が、メディアごとにかなり違う。

だから、香港事情をチェックするには一つのメディアだけを読んでいてもわからないことが多い。それは親中メディアか否かだけではない。非親中派メディアだけでも

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210204【香港15days】中国から香港へ、そしてイギリスへ:香港で身につけた技能で再出発

210204【香港15days】中国から香港へ、そしてイギリスへ:香港で身につけた技能で再出発

なんだか知らないが、今回の滞在は前日どこかの場所で誰かと会った後、翌日はからずもまた同じところで別の人と会う、というパターンが多い。けしてわたしが会う場所をしているわけではないのに、相手から飛び出す場所が前日訪れた場所と同じ、というケースがなんどか。不思議な話だ。

ということで、またまた尖沙咀のウォーターフロント。ただビクトリアハーバーを一望できる、湾に張り出した長い廊下の「麥兜像」あたりで、と

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210203【香港15days】レッドゾーンぎりぎりを走る。「移民はしない。いられなくなるまでは」

210203【香港15days】レッドゾーンぎりぎりを走る。「移民はしない。いられなくなるまでは」

昼。つい数年前までジャーナリストとして鳴らし、所属していたメディアが最も華々しい時代を支えた後、そこをさっさと去り、海外で大学院留学して香港に戻ってきて大学教授になったRとランチ。

(何年もリノベーションが行われていた、尖沙咀のハーバーフロント。やっとのんびりと対岸を見ながら歩けるようになった。)

その所属していたメディアはまだあるけれど、今ではかつての栄光はどこへやら…の様相を呈しており、R

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