美樹

やっぱりワクワクしていたい。仕事でよく海外に行きます。 と書いていたんだな、24歳。 …

美樹

やっぱりワクワクしていたい。仕事でよく海外に行きます。 と書いていたんだな、24歳。 人生の中の色々の責任を自分で取りたい気持ちが強くなって来た。 と書いてきたんだな、25歳。 ふふふ、26歳です。 たいへんなこともあるけれど、確かに幸せな27歳がいます。

最近の記事

ばあさんによろしく

昔、おじいちゃんに なんでおばあちゃんと結婚したの? と聞くと そりゃあ、おばあちゃんはなあ、 と おばあちゃんの素晴らしさを語ってくれた。 それをおばあちゃんにも聞かせたくて おばあちゃんが一緒にいる時に 同じ質問をしてみた。 照れていたのかな、 そんな昔のことは忘れたと、逃げられた。笑 おじいちゃんは今年94歳になった。 病院に会いに行くと 面会時間の終わりに ばあさんに宜しく、と言う。 声が細くなっても、確かに。 こんな夫婦がいるのだなあ。 私はおじいちゃんを本

    • パンを指して、これってぱんぱん?

      今朝の朝ごはんは、仕事前に宿泊していたホテルにてビュッフェ。 前回は確か、二人席にひとりで案内してもらったっけ。 ゆったりしていたような記憶。 と、楽しみに思いつつ向かったのだけど コロナの状況が落ち着いてお客さんが増えたのか、皆さん出張でいらしているのか、 レストランは朝早くから賑わって、中々の混み具合。 結局、大きなテーブルで我が先輩方と相席。 素敵な先輩方とご一緒させて頂いて、不満なんぞもちろんないのですが 朝ごはんくらい、ひとりでぼけーっと食べたかったな、な

      • 美しき人

        今日、銭湯に行きました。 昭和からそのままの時間が続いている、私の近所のお気に入り。 銭湯って、たまに行きたくなるし いざ行ってみて後悔したことのないスポットなんばーわん。 ここの脱衣所にあるドライヤーは 10円玉を2枚入れると可愛らしく動き出します。 生憎、今夜の私の小銭入れには 光る小銭組だけ。10円玉の不在を確認し 番台のおじさんに両替を頼みに行った。 戻って来ると、たった1台のドライヤーは ほかの方が使ってある。 少し離れたベンチに腰掛け ゆっくり柔軟をする

        • 父とZARDとおいら

          幼い頃、父が運転する車の中では ZARDの曲が流れていた。 音程どころか日本語が怪しいような頃から聴いて歌っていたので わたしの中には、アルバムひとつ、完全に染み付いている。 最近になって それらの歌が、分かる。 (日本語が、じゃなくてね。笑) 坂井さんの歌っていること、分かる。 そして、それが今の私に寄り添ってくれる。 歌も音楽も。 びっくりするくらい。 親がくれたものは、 思わぬところにあったりする。 大変な贈りものに気付きましたよ。 お父さん、有難う。 (^

        ばあさんによろしく

          喜びすぎず悲しみすぎず

          秋の或る夜、聞きたくなかった知らせを受ける。 そうか、悲しい。 眠れたのか眠れなかったのか よく分からない目覚めの朝。 顔を水で濡らして拭きながら 鏡に映る私の顔は 血の気などなく、ただ白い。 会社の健康診断では 毎度貧血を注意されているから 大抵白いんだ、けども 今朝は尚更か。 そんな顔に 粉を叩き、 唇に紅を引く。 さっきとは別の 体温の上がったような顔をした自分と 鏡越しに しばし目を合わす。 うん、これで今日も 人に笑顔を向けられる。 ものの三日後、

          喜びすぎず悲しみすぎず

          とりが鳴いていたの

          上司との小一時間のオンライン面談を終えて 最後に一言「あの、○○ちゃん おうちでインコか何か飼っているの?」 家を空けることが多いし、我が家にはもちろん動物はいない。 初夏の風の通る日だったため、窓を思い切り開けていたのだが 近所を飛び回るとりたちのお声が 思いがけず電話にも終始参加していたらしい。 わたしが緊張しつつ話している間も 先輩はとりのお声が気になっていたのね..。 「植物ならかってるんですけどね、動物は..」と紡ぎながら ちょっと気の抜けた空気でふたり笑っ

          とりが鳴いていたの

          親孝行とか親不孝とか

          親孝行や親不孝について考えたりする。 これをすれば親孝行、なんて正解はないし 親孝行しなくてはと義務感にのしかかられて、というのもしっくり来ない。 だけども、ある程度自分も大人になってきて 久しぶりに会う親が すこーしずつ、おじいちゃんおばあちゃんになっていくのを感じ取ると 彼らのこれからを守りたいなとか、 幸せでいてほしいな、叶えてあげられる夢は叶えて差し上げたいな、とか思うのです。 昭和の時代。 幼き日、親戚にもらったクッキー缶。 押入れにしまって 毎日ひとつずつ、大切

          親孝行とか親不孝とか

          100年続きますように

          「弟が明日、入籍する。」 弟が明日、入籍する‥? 弟が明日、入籍する。弟が、明日、入籍する。 久しぶりに何気なく覗いたツイッター、1行を何往復も目で追った。 なにか思うより前に、読み直して、また読み直した。 信じられないことが起きると、 それを事実と認識してから感情が動くまで 少し時間がかかるのかも知れない。 元彼が、結婚した。 一気にいろんな気持ちが押し寄せて交差する。ぎゅうっと目を閉じる。 瞑った目を開けるとやっぱり泣いていた。 泣き虫な大人に育って

          100年続きますように

          ちょっと、ほっと、できたら。

          お隣には、2さいと3さいの年子の坊やたちが住んでいる。 ちなみに、ふたり揃っておかっぱ気味のヘアスタイルで 大変でかわいい。 もうすぐクリスマスということで、わたしは部屋のドアに クリスマスの飾りを付けていた。 飾りと言っても、キラキラした雪の結晶やリースなどではなく、サンタ帽をかぶった素朴な表情のナマケモノくんである。 ある晩、帰りがお隣さん親子と一緒になった。 お互いの部屋に入る前に少し挨拶していると、 お母さんが 「『サンタさんがいるね。』って話してた

          ちょっと、ほっと、できたら。

          自立しているという幸せ

          社会人になって2年ほどが経ち 最近、やっと自立しているなって思える。 そして、それがすごく幸せなのです。 上京してすぐの頃 確かに、お給料こそ頂いていたし 一人で生活し、自分の面倒は見ていた。 でも、仕事では教えて頂くばかり。 まわりに迷惑掛けるは手間を取らせるは 役に立てることはまだまだ見つけられなくて、わたし何してるんだろうって心細く思う日もあった。 最初の研修で 「皆さんはまだ会社に何も還元していません。」とはっきり言われたのはインパクトがあったし、本当に本当に仰ると

          自立しているという幸せ

          歳を重ねて聴こえてくる歌詞

          ドラマ「プロポーズ大作戦」が流行ったのは 小学6年生の頃。 エンディングに流れる桑田さんの 「明日晴れるかな」を気に入って ピアノで弾いたりしていた。 高校の文化祭で友だちと歌ったりもしたかな。 だから、昔からずっと好きだった曲なんだけど。 最近、改めて歌詞の一言に惚れ込んだ。 神より賜へし孤独やトラブル 泣きたいときは泣きなよ これが運命でしょうか? あきらめようか 季節は巡る魔法のように 1番のサビ前、こんな歌詞だ。 ここの、いやそこ?って言われるかも知れないのだけれ

          歳を重ねて聴こえてくる歌詞

          おてつだいが本当のお手伝いになるまでには

          おてつだいが 本当のお手伝いになるまでには 中々の月日を要する。 先日、小学1年生になったいとこと電話をした。 「みきおねえちゃん?さっきまでね、あんなね、よるごはんつくりよったっちゃん。」 入学したばかりの小学校も、コロナでお休みが続く。その間に、なんとママのお料理もお手伝いしているらしい。 伯母のやさしい声が聞こえる。 「最近はね〜、杏奈はお料理も手伝ってくれるもんね。明日もやってくれるのかなー??」 この前までふにゃふにゃの赤ちゃんだったのに、もうお料理をお手伝いし

          おてつだいが本当のお手伝いになるまでには

          「ずっと幼なじみのこと好きだったから、結婚できて嬉しい!」って言ってた笑顔

          わたしの職場は女性が多く、 仕事の合間に恋愛話で盛り上がることもよくある。 もちろん、休憩中なんかに、こっそり、ね。笑 いつものメンバーで仕事をするということよりも、 初めましてのメンバーでのその日の仕事をして、その後一生会わないなんてことがほとんどだ。 恋愛話を聞いてもらったり聞かせてもらったりしても、その後の報告をし合う機会があまりないため、 あのときのあの先輩、あの子、悩んでたけど結局どうしたのかなー?とか、お幸せかなー?とかたまに考えたりする。 入社して2年が経

          「ずっと幼なじみのこと好きだったから、結婚できて嬉しい!」って言ってた笑顔

          今日で the end。

          昔もらった指輪が、ちょっと錆びてきてしまった。良いものだから、簡単に色が変わるようなものじゃないのだけど、最近のわたしの扱いが丁寧じゃなかったんだ。 昔、付き合ってた人に贈ってもらった指輪。 プレゼントしてもらった夜、 わたしはこの世で1番幸せな女の子だった。嬉しかった。今でもよく覚えてる。 そんな私たちだったけど、お別れの時が来た。 俺はまだ好きだから、と言われながら 2人合わせてどれくらいの涙を流したんだろうってくらい泣いていた。笑 わたしも、全然嫌いになんてなってな

          今日で the end。

          Lemonが流行った頃、私達は別れた

          大好きな恋人がいた。本当に大切な人だったけど、決断をして、別れてもらった。 遠距離恋愛をしていた為、最後も電話になってしまった。あんなに一緒にいたのに。最後くらい、顔を見て、目を見て話したかったなあ。 電話越しに、お互い、泣いていた。 その頃、世間では米津玄師のLemonが盛大に流行っていた。 どこへ行っても、この曲が耳に入ってきた。 街を歩けばこの曲、なんとなくテレビをつければこの曲。笑 もともとは、終わった恋愛の曲ではなく 米津さんの最愛の亡くなったおじいさまを想って

          Lemonが流行った頃、私達は別れた

          ドイツのバレンタイン

          バレンタインの前日。 彼と何となく昔の話をしていて、記憶が蘇ってきた。 そういえば前付き合ってた人とは バレンタインがきっかけだったんだよ。 バレンタインにチョコレートを渡して、 ホワイトデーにお返しをもらうときに 恋人になってくださいって言ってもらった。 懐かしい、冬の夜の帰り道。 京都、四条烏丸の交差点。 別れ際に信号を渡る前のことだった。 まあ、そんなことはいいのだが バレンタインの文化って国によって全然ちがう。 from 誰 to 誰なのか、何を贈るかも。 でも

          ドイツのバレンタイン