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【配慮】とは?人間社会で心地よくすごすための心がけ。

「配慮が足りない」

というのは、いったいどういうことを指すのだろうか。
いや、そりゃ配慮が足りないということなのだろうが。

十人十色という言葉がある通り、
人の配慮にも、10人いれば10通りの配慮があるのではないかと思う。

「自分的には配慮したつもりだったのに……」

自分の配慮は誰かにとっては配慮に至っていなかったりするし、
誰かの配慮は自分にとっての迷惑でしかない時だってある。

「はいりょってなに?」

配慮という言葉をはじめて知った子どものように、
自分の中で【ハイリョ】という言葉を反芻する。

人間社会というものは難しいと常々思う。
動物社会を経験したことはないが(少なくとも今の人生では)、
ライオンが別のライオンに配慮するシーンを、私は一度も見たことがない。

「配慮が足りない」
「空気読め」
「察しろ」
「考えればわかるでしょ」

こうした言葉を並べると、
人間社会で生活するには、かなり高度なスキルが必要であることがわかる。

充分な配慮ができる人がいる。
その場の空気を正しく読める人がいる。
敏感に現在の状況を察知することができる人がいる。
考えればわかる人がいる。

これはすごいことだ。

でも、じゃあ、
それらができない人はいったいなんなのか?
ポンコツ人間?できそこない?

「配慮が足りない」
「空気読め」
「察しろ」
「考えればわかるでしょ」

これらの言葉は、自己肯定感を大いに下げてくれる特効薬だ。
よくない方向に効いているのはまちがいないが。

私は、配慮することが苦手だ。
空気も読めないし察する能力もないし考えてもわからない。
(開き直る能力は天下一品なのだが)

こうした人間が人間社会で生活していると、たまに……
いや割と壁にぶちあたる。
これらの言葉を言われると、途端にひるむし、たじろぐ。

「私の自己肯定感下げないで……!」
と腹立たしく思う反面、
「やっぱり、どこか欠損している人間なのかしらん……」
と途端に人と関わることについて自信がなくなり、消極的になる。

これでも一応社会人として、会社に勤めていた時代もあったし
今でも個人事業主として人と関わることは当然ある。

会社にいようがいまいが、
私はやっぱり人間社会で生活しているのだと実感する。

そして、人との関係を構築し、維持していくために
【配慮】はどうやら必要なスキルらしい。

では、どうしたらその人にとって快適な配慮になるのか?

これが最大の難問だ。
だって、人によって【快適な配慮基準】は異なるから。

自分ではない赤の他人の快適な配慮基準をどうやって知る?
そもそも知ることはできるのか?

結論からいうと、
本人に直接質問する以外、相手の快適な配慮基準を知るすべはない。
(もしくは相手が快適な配慮基準を語るのを待つ。)

しかし、出会った人たちに手当たり次第
「あなたってどれくらいの程度の配慮が心地よいですか?」
なんて聞くわけにもいかない。

じゃあどうすればいい。
どうすればいいんだ。

そんな風にグルグルと頭を悩ませていると、
私の人生のメンターともいえる夫にこんなことを言われた。

「自分がわかる範囲でその人のことを想像してみたらいいんじゃない?」

この言葉がなぜかストンと腑に落ちた。

言われてみると、なるほどそうか。
というかそれぐらいしかできることはないのではないか。

だって、人のことは人のこと。
ドラえもんの道具など特殊なものを使わないと
人のことなんてわからないのだ。

【自分がわかる範囲で】
というのがポイントのように思う。

誰だって、いろいろな顔を持っている。
家での顔、仕事での顔、友人関係での顔、コミュニティでの顔……。

その人が自分に見せている顔しか、私たちは知らない。
だから私たちは”その顔”をもとに、想像するほかないのだ。

「この人は、どうすれば心地よくいられるかな?」

このようにして、考えてみる。
そうすることで、自分ができる最大限の配慮ができるはずだ。

そして、気づいたことがある。
自分のそばにいる人がどうすれば心地よくいられるか。
それを考える心持ちから、すでに配慮は始まっているのだ。

人が人と関わる時、
忙しかったり余裕がないと、ついつい自分を優先してしまいがちになる。

でも、このひと言。
「この人は、どうすれば心地よくいられるかな?」
このひと言を考えるだけで、自分の中に【配慮】のスペースが生まれるように思う。

ほんのわずかなスペースかもしれないが、
このスペースは自分にとっても相手にとっても心地よいスペースになる。

「こんな自分でもすこし配慮できたかな」と思う自分。
「私のことを考えてくれたんだな」と感じる相手。

これだけで、その空間がほんわり和やかな雰囲気になるような気がする。

とはいえ、配慮は難しい。
時には失敗してしまうこともあるだろう。

でも、それもまた経験だ。
「あ~……、これはミスったかな」
と思ったのであれば、次回以降に活かせばいい。

人間はこうやって成長していく。
こうやって、もがきながら傷つきながら、それでも前に進んでいくことで
人間としての大きな器を育てていくのではないかと思う。

だから、まずは自分ができることからはじめたい。

「この人は、どうすれば心地よくいられるかな?」

目の前の人へ、自分ができる最大限の配慮を。

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