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わかおの日記番外編2

物心ついてから、スキーに行ったことがなかった。幼稚園のときに一回だけ行ったことがあるのだが、雪で体がびしょびしょになったことと、「ハの字」なるテクニックがあることくらいしか記憶には残っていなかった。

友人から、スキーに行かないかと誘われた。正直乗り気ではなかったけれど、浪人生活を終えた友人の誘いとあれば、断るわけにもいかない。それに、このまま一回もスキーをやらずに生涯を終えるのもどうかと思ったので、行くことにした。

友人は当初、新潟に行きたいと言っていたが、さすがにそれは面倒なので、狭山スキー場にしないかと提案した。すると、雪山がいいと言ってきたので、間をとって軽井沢に行くことになった。

雪山がいいって、どういうことなんだろう。まさか受験がうまくいかなかったのだろうか。一緒にいる時に自殺でもされたらたまったもんじゃない、しばらく帰れなくなってしまう、と少し逡巡したが、わが母校随一の大天才のことだからきっと大丈夫だろうと思い直した。

スキーにかかる費用を聞くと、ぼくが二万字の原稿を完成させて得られる収入の三分の一ほどの、法外さだったので、ぼくは久しぶりに親の脛をかじることを決意した。

「スキーやるっていう貴重な経験のためだからさあ、頼むよお。俺だけのためじゃなくって、浪人をがんばった友人をねぎらう意味もあるから、おねが~い」と、少し酔っぱらった父親に頼み込み、無事予算を確保した。

久しぶりに会った友人は、飄々とした以前の雰囲気はそのままに、髪型だけは、「アシンメトリーなくわばたりえ」になっていた。そしてなぜか毛先が茶色かった。天才の考えることはよくわからない。

アシンメトリーくわばたりえと新幹線に揺られること一時間半、割とすぐに軽井沢駅には着いた。駅前にはスキー場行きのバスが止まっていて、バスに乗り込むとすぐにスキー場についた。

スキー用具を借りたり、着替えたりしている間から、少しづつおかしいと思いだしていたが、いざゲレンデに降り立つと、疑念が確信に変わった。ぼくたちみたいな冴えない男二人組は、明らかに浮いている。「青山学院大学経済学部」とか「立教大学異文化コミュニケーション学部」みたいな感じの、スノーボードをひっさげた男女グループか、家族連れしかいない。この時点でぼくの自意識過剰なメンタルはやられ始めていたが、ここでめげてはいけないと思い直し、スキー板を履いた。

なんとかリフトに乗ったはいいものの、降りる際に思いっきり転んで、リフトを停めてしまった。申し訳ない。友人から「ハの字」を改めて教わったものの、股関節が内旋せず、なかなか足が「ハの字」になってくれない。

少し滑っては、ブレーキが利かないので怖くなって転んで止まる、ということを午前中は100回くらい繰り返した気がする。スキーで転んでいる人などほぼいないので、死ぬほど恥ずかしかった。男が女の手を取って、スノボを教えている。おれは「とにかくハの字をすれば止まる」とだけ言われ、1人で滑っては転んでいる。膝が痛い。この間にも、ウクライナでは貴重な命が戦争によって失われている。

このままおれは、雪山の中で凍死するのだろうか、死ぬ前に一度、お母さんの唐揚げが食べたかった、どうして高い金を払ってこんな惨めな思いをしているのだろう、釣り行きたい、そういう思いが駆け巡ったが、ここで諦めるわけにはいかないと思い、ひたすら転倒を繰り返した。

すると午後には、股関節がバカになって、「ハの字」ができるようになった。そして、初心者向けのコースならば、危なげなく滑ることができるようになった。受験勉強で培った粘り強さが、こういう時に活きてくるのである。さすが高学歴、自分をほめてあげたい。

けれども、スキーが楽しいかと言われれば、そんなことはなかった。ぼくはそもそもジェットコースターなどが苦手なので、高速で滑り落ちることに爽快感よりもむしろ恐怖を感じるのだ。ぼくにとってスキーは、ひたすら奥歯を食いしばって、ゲレンデを滑走する恐怖に耐え、滑りきってなお己がまだ生きていることに感謝するという、修行のような経験だった。

なぜだかぼくは、小学校の時の算数の授業、冒頭で毎回小テストがあったことを思いだした。クラス内には「満点を取るのが当たり前」という空気が蔓延していたが、ぼくは算数が苦手なので毎回憂鬱だった。斜面を前にすると、その時と同じ不安や、心細さや、恐怖を感じた。

帰りの新幹線で飲んだビールは死ぬほどうまかったが、しばらくスキーはいいかなと思っている。











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