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闇堕ちしたカネコアヤノ、魚住英里奈の曲が刺さる深夜

最近はもっぱら音楽ばかり作っていた。一念発起して機材を購入し、おれはライムスターになるんだと息巻いて音源をつくるものの、出来上がった曲の微妙さに幻滅するというループを一週間単位で繰り返していた。

↑微妙な曲

そんな日々のさなか、深夜3時。出来上がった作品を投稿するために、釈迦坊主(メンヘラギャルから絶大な支持を得ているラッパー、顔がいい)のDiscord(掲示板みたいなやつ)をながめていたら、とんでもないひとに出会った。

すごすぎて、夜中に固まってしまった。まず、そもそもビジュアルがいい。やはり見た目は音楽の説得力を左右すると思う。サンボマスターがイケメンだったら、絶対に売れていないだろう。艶やかな黒髪に、心配になるくらい華奢な背中。なぜだろうか、健康な女性のほうが絶対にいいに決まっているのに、ぼくはこういう影のある美人に惹かれてしまう。とてもタトゥーを入れるようなひとには見えないのに、手の甲に入っているそれが、想像をかきたてる。

そんな儚いビジュアルが、重い歌詞に説得力を持たせている。上の「結婚しよう」という曲の歌詞、「生きることを馬鹿にしてないと 死ぬ事の方が正しく見える」というフレーズの、ちょっと立ち止まって考えると言いたいことがなんとなくわかる感じ。これはいい歌詞の共通点なんじゃないかと思う。本当に死にたいと思ったことのある人にしか書けない歌詞なんじゃないか。

この曲なんか最高だ。街中であのトラックにでくわしたときの、少し寂しくなる気持ちが彼女なりに解釈されていて、キャッチ―なだけじゃない魅力になっている。「わたしはタダで買えるのに 貰えるものはタダじゃない」という歌詞は、多分ある種の真理に触れていると思う。

というわけですっかり彼女の虜になってしまったぼくは、3000円というラーメン二郎5食ぶんの大枚をはたいてCDを買った。CDを買うのなんて、中学生の時にカッコつけて呂布カルマのアルバムを買った時以来だ。

雑にあだ名をつけるとしたなら「闇落ちしたカネコアヤノ」と言ったところだろうが、正直カネコアヤノとの比較をするのは野暮なんじゃないかと思うくらい独自の魅力にあふれている。

そのうえであえてカネコアヤノと比べると、分かりやすいサビもないし、歌詞も抽象的だが、ずっと聴けちゃう。カネコアヤノには寄り添ってもらいたいけど、魚住英里奈には寄り添ってあげたくなる(彼女の方から願い下げだろうが)。刺さる人には刺さること間違いなしである。



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