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他愛もないnote

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私が感じたことを私の解釈で綴っていきます!
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2022年11月の記事一覧

テキトーのさじ加減

最初は、テキトーでいい 何かを始める時は、基本的にやり方だったり効率がよくわからないと思います。 そのため、最初はテキトーにやってみる。 自分が思ったようにやってみる。 それの繰り返しによって、効率の良い方法を見つけたりすることによって、そのことをやっていることに対する 充実感が増してくるのだと思います。 自分のテキトーと、他人のテキトー 自分だけのテキトーな空間で何かをしている分には、それが自分のだけのルールですから、特別不満もないはずです。 ただ、そこに他者が

世界が“うさぎ”でも、自分は“カメ”でいい

早いと感じる世界 今の世界は「情報の世界」だと思います。 そのため、いち早く情報を掴み取る。 そして、データや経験を蓄積する。 それが、必達なこととして 浸透し始めているかもしれません。 ただ、それが本当の世界なのでしょうか? 早すぎることが世界のすべてなのか? 私はそうは感じていないです。 もっとゆっくりでもいい。 自分だけはカメでもいいと思っています。 ゆったりとした流れ 早くと感じる人は、その世界には向いていない。 「ゆったりとした世界」もあるし、あっ

“どうでもいい”の先に“こだわり”がある

どうでもいいものは、もれなく「どうでもいい」 趣味や好みなど、人によって響くものもあれば、響かないものもある。 響かないものは、もれなく響かない。 これは、ある種の才能だと思う。 なので、ネガティブになる必要はない。 他の誰かがどうやっても、その時は響かないし、気持ちも変わらない。 つまり、どうでもいいと思うことに時間を使いたくはないと感じるだろう。 これは誰でもあると思う。 私の場合は、衣服に関してほぼ興味がない。 体格が大きいせいもあって、昔から「着れればい

最初に動かすのは、「手」だけでいい

手を動かす よく「行動しよう」という言葉が合言葉のように、世の中に浸透している感じがしています。 確かに、行動することによって、新しい変化を取り入れることが大事だということはわかります。 ただ、実際、行動しようと言われても、どのように行動すればいいかわからないし、行動して「意味がない」と感じてしまったら、もう行動しないかもしれない。 再度行動するのに時間がかかってしまうかもしれない。 そういった意味でも、安易に使うべきではないのかなとも考えています。 難しく考えな

履き違える「申し訳ない感」

「申し訳ない」という言葉 申し訳ないという気持ちは、自分が相手の期待や思いに応えることができなかった時や、期待以上に親切にしてもらった時に出る言葉だと思います。 上手に使うことができれば、相手にも良い好感を持たれ、相手との関係性を維持することができます。 ただ、使い方を間違ってしまうと、自分を苦しめてしまう展開になってしまうことも考えられるのです。 「申し訳ない」ばかりは、相手に依存しすぎてる 自分の口から、申し訳ないという言葉が出る時、自分のミスを認めると同時に「

気分が上がったときではなく、下がった時に一番変化がある

気分の存在 気分は時として、上がったり下がったりするような感じがすると思います。 気分というのは、 人それぞれ違います。 それは「人の考え」そのものだからです。 つまり、その人の思考によって、 気分を変えることができる。 知っていて嬉しいことがあれば、気分が上昇し、 嫌なことがあれば、気分は低下する。 そうやって気分が変化していきます。 上がっている時の変化はそこまででもない 上がっている時は、そもそも上昇傾向にある中で、そこから喜べるようなことが重なってくる

記憶を振り返っただけでは、現実は変わらない

なにかと、過去を振り返たがる人 何かをやった記憶がどうだったかを、やたらと何度も振り返る人がいる。 「あれ、やったかな〜」 「どうだったっけな〜」 やることが多くて、忘れているのかどうかはわからないが、それを周囲が不憫に感じ、時として迷惑だと思うこともある。 別に振り返ることはどうでもいいのだが、いつまで振り返っていても、それをした記憶がないのであれば、何も進まないし、それを聞かれても応えようがない。 心の中で「知るか!」となる。 自分の時間も他人の時間も奪ってい

「それぞれの価値観」の時代

それぞれの価値観 いろんな情報が溢れている世界で、結局のところ「生きやすい答え」はどれなのかという疑問を考えることがあります。 いろんな情報に触れてきたが、一向に生きやすい気持ちにならない。生きやすい環境にならない。 そう思ってしまうと、またいろんな情報を見つけることになって、これから先も何も変わらない時間が続いていくことになる可能性があります。 この負のループの原因は「自分がない」ということ。 「自分だけの価値観」がないということになります。 結局は、他人に流され

“引力“を感じることをやってみる

引力の存在 生活をしている中で、自分だけが感じる感覚があると思います。 その時までは、なんとも思っていなかったのに、ふとそれに引き寄せられていく。 引力のような存在を感じる。 その感覚をうまく使うことによって、生活がより楽しいものになっていくと考えています。 しかし、社会人になると、自分が感じている引力を無視して、本当は必要ではないことを優先しておこなってしまうのです。 誰かに言われているうちは、本来の姿ではない 本来、人は誰でも自分で思考し、自分から行動を起こ

もう、自分の人生を生きてもいいよ

人間は“勘違い”からでしか始まらない 私たちは、子どものころから「これ、出来るかも!」という勘違いからスタートすることがほとんである。 そこから、うまくいかないことを改善することで、理想像に近づいていく。 そのようなプロセスを描くことができるのも、自分の意思があってのことだと考える。 それこそ、自分の人生を自分で決めていることになる。 ただ、時間の経過につれて、 周囲の言葉や態度が気になってきたりする。 その環境を取り巻いているのが、周囲の人間だから、その人たちの

人生はすべて“運命”だと思えた方がラク

運命を受け入れる 自分にもたらさせる運命というものは 人それぞれ違います。 それが天から与えられた“役目”として 考えることもできます。 そのため、体格の違いもあれば容姿の違いもある。 生まれた年代や環境も違いもある。 誕生日が同じだからといって、同じような人生になるわけではない。 それが“運命”というもの。 なので、人と違うからといって悲観しない。 それこそ、あなたがその時代にそのタイミングで誕生した意味だと私は考えています。 もたらされた運命をどうするか

「裏切れない」気持ちと「裏切られたら仕方ない」気持ち

裏切れない気持ち 自分に対していいことをしてもらえると「この人のことは大切にしないといけない」という気持ちになったりすると思います。 その気持ちはとても大切で、必要な気持ちだと思います。 「この人のことは裏切ることができない」 その気持ちが自分の中にあることによって、自分のエネルギーにもなりますし、何かを頑張れる。 その人のためにしてあげられることにつながってくると考えています。 裏切られたら仕方ない 私は大切な人間関係を築く基準として、「裏切られたら仕方ない」

「あの時、楽しかったな〜」から、考えること

過去の振り返り 人生を生きていると、学生時代だったり、楽しかったと思える時間・期間を振り返ることがあると思います。 その時に「あの時楽しかったな〜」といった感じで振り返ると思いますが、この言葉から紐解けるのは、結局は「今が一番楽しい」ということです。 現在の自分が、過去を振り返る。 「あの時は、楽しかった」 もちろん、それを楽しい時間だとわかっていて、実際に楽しかったと思えるようなことだから、振り返ることが出来るのだと思います。 なので、人生はその瞬間が一番であると

「安定した底辺」は、夢のまた夢なのか?

庶民としての水準 生まれてこの方、明らかにお金持ちではない。 大人になっても、収入も多くはない。 確実に庶民だ。 子ども頃は、そう感じなかった。 大人になり、それを強く感じる。 別に庶民が悪いと思っていることではない。 庶民としてでも、生活をするのが苦しいと感じてしまっているのが問題。 このモヤモヤはなんだろう。 貧富の差から感じる、見えない不安 モヤモヤのひとつとして、不安があります。 不安は考えてしまったら、誰でも湧き上がってくるものかもしれません。