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「安定した底辺」は、夢のまた夢なのか?

庶民としての水準

生まれてこの方、明らかにお金持ちではない。
大人になっても、収入も多くはない。

確実に庶民だ。

子ども頃は、そう感じなかった。
大人になり、それを強く感じる。

別に庶民が悪いと思っていることではない。

庶民としてでも、生活をするのが苦しいと感じてしまっているのが問題。

このモヤモヤはなんだろう。


貧富の差から感じる、見えない不安

モヤモヤのひとつとして、不安があります。

不安は考えてしまったら、誰でも湧き上がってくるものかもしれません。

ただ、その日を生活するだけでも感じでしまうことは、ある意味問題であると思っている。

ただ、生きているだけでなってしまう。

その沼に入りそうになると、抜け出そうとするが、またいつの間にか、その沼の近くにいる。

無意識に入ってしまっている。

それが苦しいと感じてしまう要因になっている。


安定した底辺でありたい

ザコの定義はどこからなのか曖昧だと思いますが、一般的な私生活で毎日収支表を計算して、「あとどこまで使えるな」と考えている人は、あまり心が落ち着いていられる状態ではないのかもしれません。

お金のことを考えすぎていて、心が安定しない。
私自身もそうだと思っています。

もちろん、そうなる要因がお金にあるのなら、収入を増やすような取り組みをすればいいと考える人もいることはわかる。

でも、簡単ではない。
時間がかかる。

社会の風当たりが強いと感じる時もある。

それが思い込みかもしれないが、そう感じてしまっている時点で格差があり、ザコには生きにくく、現状に萎えてしまう。

生活するのに悲観しないような、安定したザコでいるのは、まだ難しいのかもしれない。



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