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#156 ファンド・オブ・ファンズ仕事の醍醐味〜40歳を迎える自分の振り返り

12月末には妻と子供と一緒にソウルにいる両親に会いに行きました。一週間ずっとソウル滞在です。その後、愛知県にいる妻の実家に来ています。今回の旅行中、1.5歳の娘が短期間で急成長しています。突然いろんな言葉を話し始めました。初めて歩き始めたのも、夏にシアトルに旅行に行った時でした。ソウルで生まれて初めて雪に触れたり、初めて見る食べ物を食べたり、やったことのない新しいことをしたり、色々な新しいことを経験したことが、子供の小さな脳を刺激して急成長に繋がったようです。

ソウルではたくさん雪が降りました

私は今週40歳になります。普段私は誕生日にそこまでの意味を持たず、いつもの日々と変わらない過ごし方をします。しかし、今回の40歳の誕生日はそれなりに重要な節目なので、これまで私を導いてきた原動力が何であったのか、今後どのような方向に進むべきかを考える時間を持つことにしました。いつもとは異なり、少しパーソナルな話になりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

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ソウルで育った私は高校1年生の15歳時バンドでギターを始めました。その後、日本で音楽を続けるために2002年に青山学院大学に入学します。在学中に行った徴兵中の2005年にはイラク派兵に志願し、イラクのアルビルというところで7ヶ月間を過ごしました。それは非常に重要な経験になりました。

大学卒業後の最初の職場はゴールドマン・サックス東京オフィスでした。情報系の勉強をしていたため、インフラエンジニアとして働き始めました。当時、私は日本企業で働きたいとは思っていませんでした。イラクでの経験で、仕事はグローバル企業で働くことを決めていて、幸運にもそこに就職することができたからです。2008年当時、投資銀行でエンジニアとして働くことは、最もグローバルな仕事環境でした。 最初の上司は日本人や韓国人ではなくフランス人で、同僚は香港、バンガロール、ロンドン、ニューヨークに散らばっていました。同じ時期に入社した妻をはじめ、様々なバックグラウンドを持つ優秀で良い人たちに囲まれ、多くのことを経験し、社会人としての良い土台を築きました。

しかし、約5年後、アメリカのイノベーション経済でスタートアップやVCが台頭していることを知り、そのエコシステムの一員になりたいと思った私は、シカゴ大学のMBAに進学することにしました。MBA中にはスタートアップに挑戦する機会もあり、1年間、週3日はARCH Venture Partnersという著名なVCで働く機会もありました。ベンチャーキャピタルの仕事に夢中になった私は、リクルートのCVC部門であるリクルート・ストラテジック・パートナーズで働くことになりました。アメリカのスタートアップとファンドへの投資業務を担当していたところ、ファンド投資で良いチャンスを見つけました。最終的に自分のファンドを設立することを決意し、GREEとの出会いにも繋がります。

約18年前、イラクで滞在していたキャンプにて

振り返ってみると、私は人生の重要なターニングポイントがあるたびに、常に新しい機会、面白い機会が先に私を訪ねてきました。つまり私は幸運にも新しい機会に囲まれていたのだと思います。例えば、中小企業を経営している父は、日本に出張に行くたびに必ず幼い私を連れて行ってくれました。私は幼い頃から日本はもっと大きな国であり、音楽的にも様々な機会があることを知っていました(20,30年前のJ-POP市場は非常に盛り上がっていた)。徴兵で行政兵として勤務していた頃は、陸軍のイントラネットを通じてイラク派遣に関する情報を見つけることができました。行政兵じゃなかったらイントラネットへのアクセスもできなかったはずです。ゴールドマン・サックスでの勤務を通じてグローバルな視点を持つようになり、世界情勢に関する最新情報に常に耳を傾けるようになりました。リクルートでのファンド投資経験も同じです。一言で言えば、私は人生の大きなチャンスがあるところに自分を放り込んでいて、目にみえるチャンスを掴んだだけでした。

私は基本的にリスク許容度が比較的に高いと思います。その理由はよく分かりませんが、一つ確かなことは、私がより大きなリスクを取るたびに、そのリワードはいつも大きかったということです。一人で家族も友人もいない日本とアメリカに移住し、心配する両親を説得してイラクに行き、自分のファンドを設立するためにリクルートを辞め、付き合ってたった3ヶ月目に妻にプロポーズもしています!これらの経験を通して、最初は少し大変かもしれないけど、最終的には大きなリワードが伴うし、人生自体が豊かになってきていることを知りました。ますます大きなリスクを取ることに慣れてきたのです。

先日、採用面接である応募者がファンド・オブ・ファンズのファンドマネージャーとして私の仕事の中で最もやりがいのある部分を尋ねました。素晴らしい質問だと思いました。 私は、ファンド・オブ・ファンズの仕事では、業界で最も優秀な人材と一緒に働くことができるので、常に何かを学び、考えさせられると答えました。

私はよく人々に、VCの70%は本当に素晴らしいと言います。彼らは創業者、オペレーター、投資家など、自分のキャリアで重要な何かを成し遂げたからこそ、自分のVCの設立に至るのです。私の仕事は、彼らの中からベストを見つけることなので、あるVCに投資していなくても、彼らとの交流を通じて常に価値あるものを学び、何かを感じます。もちろん、素晴らしいスタートアップの創業者に会う機会もありますし、一緒に働く他のファンド・オブ・ファンズの方々との交流も常に刺激的です。つまり、常に学び、面白いことが経験できる最高の仕事の一つです。

30代でアメリカに渡り、初めてアメリカの教育を受けました。エンジニアから投資家に転身もしました。何よりも、結婚し、一人の子供の親になりました。すでに新しいこととエキサイティングな瞬間で満たされていた30代でしたが、プロのファンド・オブ・ファンド・マネージャーとしての過去3年間は完全に変革的な時間でした。まるで私の娘が韓国と日本を旅行しているたった10日間で急成長を遂げたようなものに感じます。私も今、もう少し多くの言葉を話すことができるようになったような気がします。

最近は面白いアイデアがたくさん浮かんできて、新しい機会もたくさん見えてきています。私はそれら機会をつかむだけです。すでにいくつかのプロジェクトは始めましたし、もうすぐ他のプロジェクトも始める予定です。2024年は、私と会社の両方にとってさらにエキサイティングな年になるでしょう。簡単ではないと思います。でも今後数年間、これらの計画を着々と実行していきたいと思っています。 少し何かを犠牲を払う必要があるかもしれませんが、最終的にはそれだけの見返りがあると確信しています。念頭におかないといけないのはすでに寝る時間と子供と遊ぶ時間を除けば、常に仕事をしているので、生産性を高める方法を見つけなければならないということです。 もはや20代や30代前半のように睡眠を犠牲にする余裕はありません。

40歳の誕生日当日は、いつもと同じように感じることでしょう。でも、これからの10年はとても楽しみです。2024年はそれらを実現していくスタート地点になりそうです。ファンド・オブ・ファンズの仕事を通じて、いつも刺激を受け、エクサイティングな新しい機会に次から次へと恵まれています。これからも刺激を与えてくれる素晴らしい人々と交流し、そこからまた新たなインスピレーションを得て、新しいチャプターを開拓するために大きなリスクを取るつもりです。I am excited.

閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて、
きっと、きっとって僕を動かしている
(終わりなき旅 by ミスチル、大学受験の時にいつも聞いていた曲)

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