もくせい

2024年1月に食道がんと診断され、2回の化学療法の後に手術を受けました。サバイバーの…

もくせい

2024年1月に食道がんと診断され、2回の化学療法の後に手術を受けました。サバイバーの方々のブログに励まされています。

最近の記事

合併症に次ぐ合併症

再手術は術中・術後の合併症に見舞われました。この一連の出来事は私にとって身体的な負担・苦痛に留まらず心のトラウマにもなっています。思い返したくない・・ましてその詳細を言葉にすることには抵抗があります。しかし記憶が曖昧になる前に記録を残さなければなりません。辛いですが要点だけを記します。 1)そもそも今回の再手術は初回手術の術後合併症(食道再建部狭窄)の治療のために行なったものでした。再手術が決まるまでに5日間の緊急入院が2回ありました。 2)狭窄した食道再建部(回腸・結腸使用

    • 再手術のため入院

      再手術のために入院しました。自分でも状況が日に日に悪化している事を感じています。一刻も早く何とかしてほしい、それが今の心境です。担当医から手術説明を受けたので、内容を要約しておきます。 再建に使った大腸・小腸のうち、小腸の一部が狭窄している。原因としては血行不良が最も疑わしいが、さらに遠位で血行不良になりやすい部分が良好なので、この部分だけが血行不良になる理由が分からない。血行が全くなくなれば壊死となるのでもっと強い症状が出るが、現状でそこまで強い障害が生じている訳ではない

      • 再手術が決定

        5月9日に内視鏡検査を受けました。結果は「再建部の小腸の内腔はピンホール状に狭窄していて、造影剤を注入すると伸展の悪い腸管にわずかに流れ込むが、殆どは食道側に逆流する」というもので、前回の検査時より狭窄が悪化していました。狭窄の原因については、これまでの内視鏡検査、造影透視検査、造影CTなどから「吻合部近くの小腸だけが狭窄しているので血流不足が主な原因と考えられますが、造影CTでは狭窄部位にも全く血流がない訳ではないので不可解な所もあります。」という説明を受けてきました。

        • 嚥下障害の悪化

          その後熱発が収まり、白血球数、CRP値とも峠を越したので5月2日に退院しました。その後の体調は落ち着いています。肋間神経痛のような胸郭の痛みもまだ時折出ますが程度は軽くなりました。しかし嚥下困難は改善の兆しがなく、今日は夜になっても液体が通りません。飲み込むと飲んだ量の数倍の液体が下から上がってきて吐き出すことになります。昼間も泡を含む唾液が上がってきて吐きたくなることがしばしばです。大変に困った状況です。5月9日の内視鏡検査で今後の方針を決めることになっているので、それまで

        合併症に次ぐ合併症

          二度目の再入院

          4月28日、午後3時頃散歩に出たところ途中で辛くなって帰宅しました。体温は37.6℃。倦怠感が強くそのまま寝てしまいました。目が覚めて体温を測ると38.6℃。念の為病院に電話すると「直ぐに来るように」と言われました。夜間急患室で採血、心電図、CTなど一通り検査を受けた後入院になりました。 抗生剤の点滴が始まり、翌朝には37℃前後まで下熱しました。CTでは明らかな肺炎や手術部位の炎症・虚血を認めないとの事。では熱発の原因は何だったのでしょう。また肋間神経痛に似た強い痛みが時折

          二度目の再入院

          先行きの不安

          抗生剤の点滴で夜間の痰が減り体温も平熱に戻りましたが、嚥下困難は改善しませんでした。4月25日に内視鏡検査を行い、1)吻合部の更なる狭窄はなし、2)白苔は消退、3)吻合部より奥の小腸(再建部)の狭窄・浮腫・白色化を認める、との説明を受けました。再建に使った小腸が狭くなる例はあまりないので良く分からないが、血流障害が関係しているかもしれないとの事。この状態でバルーンによる拡張はリスクがあるため経過観察になりました。 先のことを考えて不安になることは極力さけるようにしていますが

          先行きの不安

          退院そして再入院

          その後、体調は徐々に改善し、鎖骨上リンパ節の郭清部位からの漏出は3回のピシバニール注入によってほぼ止まりました。手術検体の病理検査の結果も「胸部中部食道に12x6mm大の扁平上皮癌の遺残が認められるがリンパ節には癌の転移を認めない」というものでした。4月17日に晴れて退院となりました。 実は退院の2、3日前から起床時の喉のつかえが気になっていましたが、経過をみる方針になっていました。しかし退院翌日から朝の喉のつかえがひどくなり、お昼までは水も通らない状態になりました。飲み込

          退院そして再入院

          無事手術終了

          3月27日、食道と胃の1/5を切除し、腸を用いて食道を再建する手術を受けました。ダヴィンチを使用した手術の所要時間は8時間を超えました。私は全身麻酔で寝ていただけですが、執刀された先生のご苦労は如何ばかりか。感謝の言葉しかありません。 術後48時間は集中治療室で過ごしました。術当日と翌日は疼痛も耐えられないほどではなく、翌日には短時間の歩行が可能でした。辛さのピークは術後2〜3日でした。1日に数回はナースコールのボタンを押すことになりました。痛みが強まった場合、患者本人もP

          無事手術終了

          術前の食いだめ

          手術の予定所要時間は8〜9時間との事。想像を絶する世界です。担当して頂く先生方には本当に頭が下がります。 術後は少量しか食べられない状態が続き、体重もガクンと減るらしい・・という事で泥縄ながら高カロリーの食事をとりました。3日前にフルコースのフレンチ、そして今日は鰻重です。少しは効果があるでしょうか。

          術前の食いだめ

          臨死体験それとも・・

          2クール目の化学療法が終わって退院した夜に不思議なことが起きました。息苦しくて目が覚め、トイレに行ってから寝床に戻ると俄に眼前が明るくなってきたのです。勿論まだ夜明けではなく目も瞑っていますから周囲は真暗闇のはずです。一体何が起きているのか・・と焦りを覚えたかと思うと、その明るさが体の中でじわじわ広がっていきました。ちょうどCT検査で造影剤を入れられた時の感覚に似ています。そして、何とも言いようのない多幸感に包まれてきたのです。この一連の感覚が潮の満ち引きのように三回ゆっくり

          臨死体験それとも・・

          化学療法終了

          食道がんでは定番のDCF(ドセタキセル+シスプラチン+5フルオロウラシル)を2クール受けました。内視鏡とCTで腫瘍本体、リンパ節転移とも縮小しているので3クール目はカットし手術を早めることになりました。正直ホッとしています。 副作用はまず、食べ物の味が分からず何を食べても不味いこと。これは参りました。特に入院食はゴムを食べている感じで辟易。白米とパンは全く受け付けません。でもコンビニのゆで卵とカップラーメンは意外にいけました。退院後は炭水化物をアゴだしの煮麺とし、高タンパク

          化学療法終了

          釈迦の教え

          誰しも死を間近に感じれば恐ろしくなり、宗教に心が動くのは自然なことです。私は無神論者なので、一般的な大乗仏教の仏(宇宙仏=神)には抵抗がありますが、「人間としての釈迦」には以前から惹かれていました。もう一度釈迦の言葉に触れてみようと思い、10年以上前に読んだダンマパダや仏教の入門書を読み漁っています。 *死は早晩必ずやって来ることを認める *死を意識して苦しいのは執着があるから *執着を減らす事で苦をコントロールする (執着:自我と欲に対する執着) 釈迦の仏教は「自助」の

          釈迦の教え

          世の中の景色が一変

          がんが判明してから1ヶ月が経ちました。入院中は窓の外の街の様子をぼーっと眺めたり、自宅静養中は近隣を散歩(8000歩がリハビリの目標)したりとゆったり過ごしています。仕事の方は化学療法の副作用が出ているので当面お休みです。考えてみれば、いつ何をすると言うスケジュールからほぼ解放された生活は物心がついて以来初めてかもしれません。これが本当のヴァカンスかもしれません。 目に映る人々の様子を見ているうちに、人々は蟻の群と何ら変わらないと思うようになりました。そして私もその群の中の

          世の中の景色が一変

          「十分闘えます」

          主治医から開口一番この言葉を頂きました。でも続きがあります。「(完治の)保証はできませんが・・」この病期の5年生存率が約70%なので言い得て妙です。生存率のグラフを見ると、治療開始後1年以内の死亡も結構あるので、その覚悟は必要だと自分に言い聞かせました。 この現実に動揺したかというと、意外に平静である自分に驚きました。子育てはほぼ終了し仕事もちょうど定年直前なので、少なくとも途方に暮れることはありません。この機に神様に命をお返しし、新たに頂くことにすると考えました。頂く命は

          「十分闘えます」

          「腫瘍があります」

          2024年1月24日、人間ドックの内視鏡検査で医師からこう告げられました。自分でもモニターを見ていたので、すぐに分かりました。その後の精査でステージIIIaの食道がんが確定。胸の違和感は7,8年前から時々、特に仕事上のストレスが昂じると感じていました。ヒステリー球かなと想像しつつも気にはなっていたので4年前に内視鏡検査を受けました。結果は軽度の逆流性食道炎のみでした。その後の定期検査を怠ったのは判断が甘かったとしか言いようがありませんが、自分のハイリスク要因(すぐ顔が赤くなる

          「腫瘍があります」