アカデミックな世界での議論や知見は大好きだが、果たしてそれを学んで一体何になるのか。

なぜ学ぶのかという問いの答えとして、人間の身体についてしまった枷を外す、すなわち蒙を自覚し自由になるためという「動的平衡」で書かれている福岡伸一氏の見解が好きなのだが、それだけでは十分な気がしない。

大学内部で生きる人たちには十分すぎる真理なのであろうが、あまり大学組織に真面目に向き合っていない身、また大学でやったことなんてなんの意味もなかったと言い切っていしまう大人たちを見てきて、生活世界と人文学の接点を広げられないかと模索はしてみたい。

人文学が具体的に何を指すのかはなかなか難しいが、文学や哲学といったものが、「教養がある」か否かのステータスの一つとして消費されているような場面はなかなか苦々しい。

それらは学問の当事者たちの間では現代社会の生きづらさを解決しそうなダイナミックさがあるにも関わらず、現代社会の成員の大多数は関心を向けていなさそうに思える。へ~カントか。名前だけ聞いたことあるよ。という風に。

もしくはnoteの一部のように、この本を読みました。積み上げです。と浅い読書歴を披露して「自己ブランディング」の一端として名著が消費されていくか。まあ、ひとりの人間を深度はともかく感動させたのだから、読まれないよりはマシだが。

人文学、といっても全然その分野の学部でない学部生の一人が、空いた時間にブックオフを物色し、安く自分の興味のある本を適当に見繕うだけなので趣味の域を出ないが、それなりにどうやったら読んだものを自分の生活に還元できるか、出来る限り即効性のある消化をしていきたい。そういうつもりでこのマガジンを作る。

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