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最初の民報『九損一徳』

 今回は、自分の新しい拙作であり、そして自分の最初の民報『九損一徳』について、以下の通り、御紹介いたします。

1 表紙

2 解題

2.1 ニュースと自己紹介

(基本理念) 第三条 育成就労は、育成就労産業分野に属する相当程度の知識又は経験を必要とする技能の適正な修得を図り、かつ、育成就労外国人が育成就労に専念できるようにその保護を図る体制が確立された環境で行われなければならない。

外国人の育成就労の適正な実施及び育成就労外国人の保護に関する法律 | e-Gov法令検索 平成二十八年法律第八十九号

 令和6年6月14日、第213回通常国会において「出入国管理及び難民認定法等の一部を改正する法律(令和6年法律第59号)※1」及び「出入国管理及び難民認定法及び外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律の一部を改正する法律(令和6年法律第60号)※2」が成立し、同月21日に公布されました。

令和6年入管法等改正について | 出入国在留管理庁 (moj.go.jp)

Q1今回の法改正は、何のために行われたのですか?
A 近年、我が国の人手不足が深刻化している一方で、国際的な人材獲得競争も激化しています。また、これまでの技能実習制度では、制度目的と実態のかい離や外国人の権利保護などの課題が指摘されていました。人手不足への対応の一つとして外国人の受入れも欠かせない状況にある中、外国人にとって魅力ある制度を構築することで、我が国が外国人から「選ばれる国」となり、我が国の産業を支える人材を適切に確保することが重要です。
  そこで、今回の法改正は、技能実習制度を発展的に解消して人材育成と人材確保を目的とする育成就労制度を創設し、これまで技能実習制度において指摘されてきた課題を解消するとともに、育成就労制度と特定技能制度に連続性を持たせることで、外国人が我が国で就労しながらキャリアアップできる分かりやすい制度を構築し、長期にわたり我が国の産業を支える人材を確保することを目指すものです。

育成就労制度・特定技能制度Q&A | 出入国在留管理庁 (moj.go.jp)

 自分は、2016年4月初旬から2020年3月初旬までの間、技能実習制度の監理団体に専属アルバイトとして働き、2020年4月初旬から2021年1月末までの間、日本語学校に専属アルバイトとして働き、4月~12月末までは総務に所属して清掃や運搬に営業等に従事し、11月から1月までは技能実習生の入国後講習と日本語教育の講師として従事し、2021年4月初旬から2021年9月中旬までの間、特定技能制度の登録支援機関にアルバイトして働いていた。また2018年4月7日から2020年12月6日までの間、ある所で日本語教師養成講座を受講していた。仕事では、極めて不当な低給(登録支援機関を除く)を貰いつつ、数多くの、徒労に現実逃避ばかりに終わる多忙と、理不尽で生産性も創造性も無い無駄な激務、そして、愚かな保身に醜い商業主義・形骸化した講習や指導・心の無い正当化や汚い粉飾・背徳行為や違法行為・自己陶酔や自己欺瞞(まん)等を身を以て体験し、そして講座とそこで構築した人間関係でも、学校の体制やシステム・講師達・受講生達の数多くの浅学や逸楽・意図的な無知や素知らぬ振りをした無学・受動や消極に他律・偽善や欺瞞を身を以て体験した…2022年5月30日を最後に、自分は、自分が仕事と講座を通じて知り合った人達や仲良くなった人達は、もう誰一人、自分と再会も連絡も出来ないようにした。自分は全員を拒絶し、唯一維持していた一人の恩師との連絡と御縁ですらも、自ら拒絶しては断絶したのだ。本当に、疲れ果て、そして怒りと悲しみを尽くした結果の決行であった。こうして、自分は数多くの経験から確立させた私見としての結論は、一つ目は、「自分はこの業界(技能実習制度と日本語学校)を完全に去ること」、そして二つ目は、「この業界は、日本の必要不可欠で大事な土台であると同時に、日本の欠点や弱点に汚点、そして愚劣や腐敗に醜悪を凝縮した業界である。」、というものであった。辛さと悔しさに満ち溢れた結論であった。この結論を出した日が2022年5月30日だったが、同日に自分は、この歴史を自伝に詳述することを決意した。

2.2 創作の経緯

 そして2年以上の年月が流れ、2024年、移民問題や外国人労働問題、道徳教育や実践倫理、地方分権や地方自治等を研究して、拙作『断金之交』・『徳九層倍』・『コミュニティワークショップ』の完成を志していく中、また、自分がジャーナリストを志して拙作『開物成務』・『恒産恒心』・『ベトナムの遺愛』・『大事は志学から生る』等の構想を完成させていく中、日本の国会にて、技能実習制度の発展的な解消(廃止)と育成就労制度の創設が正式に決定されたニュースを知り、喜怒哀楽等が入り混じった複雑な感情を懐いた。自分の喜びの感情は期待感や臨場感であり、自分の怒りの感情は不安感や正義感であり、自分の哀しみの感情は既視感や虚無感であり、自分の楽しみの感情は責任感や使命感である。
 そして、7月23日の夜から、この解題を著述している今日7月28日の夜の間、前述した喜怒哀楽の感情を節制した結実と、ジャーナリストとして、初学と入門を遂行しては、第一歩と初段を通過して、初心と教訓を完成させるという決意を融合させていき、その結果から誕生したのが、今回の拙作『九損一徳 育成就労制度への貢献を志す民報とその社説』である。

2.3 移民の歴史とその解釈

 『論語』「憲問」(14:12)に「利を見ては義を思い危うきを見ては命を授く」とある。育成就労制度は間違い無く、技能実習制度と同様に、日本に多大な利害損得を齎し(もたら)、その「多大な利害損得」は当然、新しいものであり、その「利得」は、多くの日本人達が思(・)っている以上に、極めて多くて大きいものであり、そして、その「害損」は、多くの日本人達が知(・)っている以上に、極めて多くて大きいものである。多大な利益や獲得を見ては、私心(・)と私情(・)に惑溺して、私利私益と放逸遊惰に走るのが、今現在の圧倒的大多数の国風(・)に民情(・)、そして時流(・)であり、多大な害悪や損失を見ては、浅知(・)と曲学(・)で論難して、視野狭窄(さく)と浅薄愚劣に陥るのが、今現在の圧倒的大多数の国勢(・)に民生(・)、そして時代(・)である。
 思うに、そして自分自身の自決として述べると、利益や獲得を見たら、道義を思念してこそ、利益や獲得が誠に本物の利益や獲得に成る上に、誠に持続しつつ、次から次へと誠に数多くの新しい利得を生み出し続け、また、それと同時に、必然的に発生する数多くの絶対不可避の害悪や損失に善処することが出来、そして、害悪や損失を見ても人々は軽視や無視等し続けるという危難を見たら、それが「悪化に破壊そして破滅」という天命であることを悟って、そして自らその天命に続く「帰一に創造そして変化」という天命を拝受してこそ、「禍を転じて福と為す」を名実と共に遂行することが出来るのだ。義を第一にするか放棄するかは、国家の風俗(・・)に人民の心情(・・)の、利益や獲得に対する英断か隷従かの分岐点であり、天命を知らずにそれに強いられるか、天命を知ってそれに適応して自律するかは、国家の権勢(・・)に人民の生活(・・)の、害悪や損失で堕落するか猛省するかの分岐点である。だからこそ、先ずは何よりも命を大切にし、そして、生きては、生きて、生き続け、それと同時に、学んでは、更に学んで、常しえに学び、その間に、誠に義を第一にして利を生み出し続け、命を拝受して徳を修め積み続け、功徳兼隆の道を創り出していかなければならないのだ。
 古代から近代まで、ごく極めて稀な事例を除けば、移民が先住民の侵略者や虐殺者に加虐者等であったというのは、紛れも無い歴史的な事実である。そして現代の21世紀にて、移民の激増が移住先の治安の急激な悪化、更には内紛や内争が発生する要因と成る、最悪の場合には内戦が発生する要因と成る、という歴史的な事実もまた、紛れも無い歴史的な事実である。この二つの古と新の事実に対する解釈は多種多様であるが、ベトナム人の移民である自分は、哲学者・思想家・愛国者・著作家・道徳家等として、国際協調主義・国際的な愛国主義・民主的な地域主義・選択的な多文化主義・現実的な博愛主義・建設的な性悪説・生産的な進歩史観等を以て、理論的かつ実践的に解釈する。「時流(・)」と言うが、時はどこから何がどこへと流れていくのだろうか?確かに言えることは、あらゆる全ての生命は「死」という瞬間までに向かって「生」という時間が流れ続けているということである。その時間が少しでも長く続くように必死にもがくのが生命の本能である。しかし、時には、逆にもがき続けたが故に「生」という時間を短くしてしまうことも、決して少なくないのだ。そう、先住民として移民を厳戒するのは、生物として、動物として、そして共同体として、正しいことであり、そして極めて大事なことであり、そしてその心情(・・)こそが自衛の大本である。だがそれを鍛錬しては、適正化して、徳化しなければ、利己的な自民族中心主義・暗愚な国粋主義・暴力的な排外主義等に一気に繋がるのである。逆に、先住民として移民を歓迎するのは、望ましいことであり、推し進めるべきことであり、そして博愛主義や人道主義に世界市民主義への道であり、その知(・)識に学(・)識こそが相思相愛の大本である。だがそれを、理知的で現実的、科学的で倫理的、批判的で進歩的なものにしなければ、愚劣な文化相対主義・形骸化した国際協調主義・内戦へと繋がる多民族と多文化の乱雑した共存と分断し合う混在に着実に繋がるのである。故に、自分は、国際協調主義・国際的な愛国主義・民主的な地域主義・選択的な多文化主義・現実的な博愛主義・建設的な性悪説・生産的な進歩史観等を以て、二つの古と新の事実を理論的かつ実践的に解釈し、そして徳を修め積み続けて、功徳兼隆の道を創り出すことを志す。

2.4 拙作の目的と志

 育成就労制度の悪用か善用かは、今後の日本の改悪か改善かの小さなかつ大きな分岐点の一つであろう。この新しい制度が、「平成時代の旧悪だらけの遺物(技能実習制度)の装飾」というものではなく、「令和時代の模範的な新規蒔(ま)き直しの成功例」というものに成ることを、向学心・忠誠心・愛国心・公徳心等を以て貢献することを、自分は志している。これが拙作の創作の動機であると同時に目的である。そして前述したように、今年に自分は、ジャーナリストとして、初学と入門を遂行しては、第一歩と初段を通過して、初心と教訓を完成させるという決意をしたのだが、その初学と入門の遂行・第一歩と初段の通過・初心と教訓の完成こそが、この拙作『九損一徳』である。
 拙作は、まず、これまでの技能実習制度に関する膨大なニュースを蒐集(しゅう)しては、後世の模範や教訓に成れるものを厳選や精選して、懐疑的・批判的・生産的・建設的・創造的な解説や分析に評論を施し、そして、「九損」(精神修養・法令遵守・英明闊(かっ)達/プロ意識・問題意識・目的意識/人間開発・技術革新・社会運動)という社説を著述する。前述した九つの事は、現実的に率直に言えば、生計の維持に悶(もだ)える労働者達や管理者達・利潤の追求ばかりを謀る企業家達や投資家達・利己心や虚栄心に恣(し)意の実現ばかりを企てるエリート達や知識人達・廉価かつ高品質な商品を大量かつ迅速に購入し続けられるという需要を生み出し続けるメディアや消費者達等…要するに、実(・)社会の圧倒的大多数は、口先では「称賛や推奨するべき経済的・道徳的・倫理的・文化的な宝鑑」としつつも、本心では「必ずや唾棄しては徹底的に排撃する経済的・個人的・社会的・政治的な大損」であるのだ。この九損は、宝鑑ではなく大損として実際は排撃され続けるものである。こうして、実社会は「一徳」という経済活動の根本義を失い続けるのである。「一徳」とは正に他ならぬ「先ずは何よりも命を大切にする」という経済活動の根本義、そして生命活動の生命の徳である。拙作は、この「九損」という「確かに大損ではあるが、最終的には巨利・巨益・巨富を成すだけではなく、次のそれらの基本にも成る九つの事。」の実践並びに続行及び貫徹を奨励し、そしてその奨励を以て「一徳」の回復並びに護持及び伝承をも奨励する民報とその社説を著述したものである。
 拙作が、「歴史は繰り返す」という世代(・)交代(・)ではなく、「温習しては猛省して進歩する歴史」という世代(・)交代(・)とその問題意識並びに問題解決に貢献し、そして新しい善き時代(・)を切り開く民徳を育む徳の一つと成ることを、誠を尽くしつつ天に誓って志すと同時に、誠に徹しつつ切実に願っている。

3 結語

 以上となります。
 今著述している美学の詩集・研究活動に努め励みつつ、徐々にこちらの拙作の創作の為の研究活動にも努め励みます。


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