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いま、スポーツセクターで起きていること、発展と衰退のサイクル

スポーツの置かれている状態を見てきたが、業界の構造や関係者の行動に大きな傾向がある。なお対象は、サッカー・野球に代表される興業的な仕組みが確立され、企業がバックについている超メジャー競技ではなく、人口が少なく人手が足りていない領域を考える。

なお仕組みの話であるので例によって「心のスイッチを切って」考えていきたい。

収益が少ない

スポーツエリアが例えば、収益率が高い業界、例えばAI人工知能やサイバーセキュリティ、金融などと比較して、収益率が非常に低いことは状況から見て明らかである。一般的な平均単価としても相当低い部類になる。そして収益が少ない方が運営は難しくなる。

適性がない人たちが運営をせざるを得なかった状況

さらにそれらの人が特に協会であった場合、多くのスキルがある多様なタスクと国際連盟等とやり取りをしなければならない機会が多くある。そしてそういった国際的な団体は、基本的に高学歴で社会的地位も高めの方々が要職を占めている傾向にある。英語なんて当然出来なければならない。多くの国では意思決定レベルの英語なんて教養のようなもので出来て当たり前である。この傾向はたとえ途上国でも言えることである。

人数が多くなってくると、競争原理が働き、必然的にこういう適性を持つ人材が要職を占めることになるが、元々の人数がいない場合には競争の原理が働かない。このためいわゆる適性が全くない人が、人がいないからという理由で要職をつとめることになることもある。しかしそうなるとどうなるだろうか?勿論うまくいかなく、半ば破綻状態となる。

目立つ部分ばかりやりたがる傾向

スポーツに関わる人の傾向として、目立つ部分だけをやりたがる人が多い傾向がある。例えば小さいブログサイトを改造してインタビューに答えるなど。そしてそれらもなかなか続かずに1-2年で消えている例ばかりが目立っているが…。

スポーツの運営は目立たない裏の部分が非常に大きい。道具や会員管理・国際連盟とのやり取りなど。上記のように上げたスキルもふんだんに必要となる。そしてこちらの方が発展には重要になる。

そしてそれらのインタビューなども、表に出すことによって宣伝効果が高い人材と、そうでない人材がいる事実がある。

割り切れずに承認欲求のために感情で暴走すると、かえってぶち壊しかねない。

環境変化・飽きや疲れでの2-3年

ピュアなやる気と好きなだけで続けられるのはそこまで長くない。おそらく2-3年ほどであろう。2-3年もすれば、進学・就職・転職・結婚など環境の変化が起きる。そしてスポーツのエリアは収益率が非常に低い。ついでに飽きるなども考えられる。

逆に何年も続けていくモチベーションが保てる方が少ないのかもしれない。こうして発展したかと思ったが、上記2年ペース位で衰退を繰り返す。そしてまたこの構造を知らない新たな人が同じコースを歩む。そして歴史は繰り返す。

例えば、手前味噌ではあるが、このアカウントの記事を読んでからやるかを考えてもらいたいレベルである。

一度「得た」ものを失うことへの抵抗

もちろんほかの理由でやっている人もいるが、どちらかというと、上記のような理由で「何をやっても競争に負け続け、何の取り柄もないと主観でも客観でも自他ともに認めてしまうことが出来そうな人材が、たまたま誰も知らないようなスポーツであったために、人がいないという理由で「選抜」され、成功体験を得てしまった人」である傾向がある。

ただ、繰り返しになるが、収益率は低く、権限もそこまでない。ここで「既得」しているものは、「理事」や「代表」と呼ばれる、という一種の承認と名誉のみになる。それらが唯一の心の拠り所となっている可能性もある。

また、他の記事では詳しく書いているが、ごく一部のメディアが持ち上げるスポーツ以外において、スポーツが強いということ自体に客観的な価値はほぼない。しかしその該当のスポーツに関係している限り、他の分野よりはそのスポーツが強いことに多少は価値が高いので、他の分野よりは尊敬してもらうことが出来る。例えば「あの人は昔はすごい選手だったんだよー」という感じで。他分野と比較して、相対的にスポーツが強いことに効果があることになる。

普及したい、発展したいの本心

多くの場合関係者は「このスポーツの普及がしたい!発展したい!」という意見はよく言及している。

しかしこの普及がしたいには「大前提の欲求として、自分の居場所は確保したい!」があり、この承認欲求の方が強い印象である。発展することにより自分の居場所がなくなるのであれば、広めたいと思わないのかもしれない。こうなると、発展するものも発展しなくなってしまう。

優秀な外部の人々

働き方改革で副業が推奨されており、この傾向での補助が有効である可能性が高い。上記のようなスキル一覧を多く満たせる人を「優秀な人」と定義すると、正直優秀な方々の片手間の方が、適性の無い方々の全身全霊をかけた本気よりも、優れているケースが大半である。運動音痴の入念なトレーニングをした全力疾走よりも、寝起きでウォーミングアップをしていないウサイン・ボルトのスキップの方が速い。

そしてそういう適性を持つ優秀な方は基本的に引っ張りだこで多忙である。わざわざ邪魔されて嫌がられ、嫌がらせを受けてまで関わりたい人はなかなかいないだろう。

承認欲求とスキルのジレンマ

以前、協会や団体運営に必要なスキル一覧を公開した。

その時の反応の中には「こんなに出来る人ならグローバル企業や優良企業に引き抜かれる」「起業してもうまくいきそう」という意見があった。確かにそうである。それでも最近では働き方改革で副業も推奨されている。彼らの片手間が発展のカギではないだろうか。

協会運営は、いわば利益の薄い業界での経営に近い。利益が薄い方が難易度が高い。そんな中で、スポーツのためだけにいろんな犠牲を払って取り組んできたために、上記のようなスキルが付きにくい状態にあった人がいきなり運営が出来るかというと、正直厳しいだろう。

世界大会に出ているスポーツ選手がアルバイトをしている、という記事はよく見かけるが、逆に考えるとアルバイトをしているフリーターが世界大会に出ている状態である。その選手からスポーツを除くと、ただのフリーターである。スキルが揃っている方が珍しい。

しかしここで問題が生じる。こういう引き抜かれる引っ張りだこな人間は承認欲求は満たされている。スポーツをやる大前提の経済的・精神的・時間的余裕もある。一方で該当のスポーツ以外で居場所が無く、しがみつく傾向にある人の方が承認欲求が満たされていない。経済的・精神的余裕も前者に比べて少ない可能性が高い。そして後者が要職を占めている場合にはどうなるだろうか?

おそらく、親切にも外部の「優秀な方々」が親切にも手伝ってくれる、といっていたとしても、上記の承認欲求や、実力やスキル的に他の業界ではとても手に入れられないような「地位」を得てしまったがために、自分の居場所欲しさに保身に走ってしまい、結果として外部からの流入を阻害してしまう結果となっている。そして前者は引っ張りだこなので、そんな嫌がらせをされてまで残ろうとは思わないので、結局発展が阻害される傾向にある。

このジレンマの解決が発展のカギであろう。

解決策は?

解決策は様々思いつく。価値のあるものとバーターにしたり、価値があるものをマネタイズすることが基本にある。非常に込み入った話であったり、やり方が今までにない方法であったり、少々過激だったりするために、血眼で大反対をされる案も多い。様々な方法は綴っている。別記事を参照いただければ幸いである。

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