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もっと高尚なもの…

2024年 7月18日(木)

【FCリブレ夏の合宿2日目】
14日(日)の景色…

日曜日の午後の…
朝来市生野のグランド…
今年の合宿は雨や曇りで日差しは厳しくありせんが…
そのぶん雨によりグランドがぬかるんでいて…
だいぶん子どもたちの足がとられて滑っている感じです…
わたしも小さい頃はこんなところでもやってました…
その頃が懐かしいというよりか、ホントに遠い前世であるかのように思えます…
そして練習が終わり中村ハウスへ…
2日目もまたバーベキュー…
食べることも大事…
2日目のバーベキューには子どもの父兄に、OB卒業生とその親御さんたちも参加です…
そしてこの日も上森社長と大西さんに尾上社長も参加…
今回は尾上社長の奥様が約40人分のカレーを作って下さいました…。食べても食べても中からお肉が出て来る肉たっぷりカレー…。子どもたちも大喜びでした…。尾上社長、いつもいつも有難うございます…


〈気になる記事・後半…〉

為末大に聞く日本スポーツ界の構造的問題とは?「小学生までが勝利至上主義に染まってしまう」

(記事本文抜粋…)

検証・オリンピックの存在意義07~為末大インタビュー中編~  

オリンピックと日本社会の関わりについて、オリンピック3大会連続出場経験のある為末大氏は今、どのように考えているのか。

為末氏に自身の現役時代と今を比較しながら、アスリートが社会的発言を行うことの是非メダル至上主義が及ぼす問題、そして日本のスポーツ教育が目指すべき方向などについて、深く考察していただいた。

【自分の立場をはっきり発言することの重要性】

――アスリートの社会的発言に関しては、たとえば東京オリンピックの女子サッカーで各国代表が差別反対の意思表示として試合前にピッチに膝をつくアクションを披露し、日本の選手たちも賛同して同様の行動を取りました。そのような言動に対して、アスリートも社会の矛盾や人権問題にどんどんコミットするべきだという肯定的な捉え方がある一方、オリンピック憲章の規則50には政治的な言動を禁止するという条項があります。人権と政治的発言の微妙で難しい解釈について、為末さんはどう考えていますか。

為末:要するに、選手の影響力世界の分断を加速させる可能性IOC(国際オリンピック委員会)は懸念しているのだと思います。でも、それは選手たちの口を塞ぐ行為にもなりかねないので、「そのような抑圧が許されていいのか」という考え方があるのも理解できます。  

たとえば近代芸術の世界では、社会の課題に批評的な視点を与えようとするアートが多い一方で、ただただ美しいものの価値を讃える芸術作品もあります。表現に対する人類の追求って、この両極端の間をずっと揺らぎながら行き来してきた気がするんです。

私は、「スポーツの力を使って世の中をよくしていこうとする言動は、とてもいいことだ」とずっと思ってきたのですが、今のような世の中だと「生きているってすばらしい。スポーツは、生命の祭典なんだ」くらいに抽象度を上げたほうがいいのかもしれない、とも思うようになりました。選手たちがコメントを抑制したほうがいいとは思いませんが、「生きているって最高だ」くらいの抽象的なことばのほうが、むしろ人々に強く響くのではないか、とも思います。

――特にパリオリンピックの場合だと、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルとパレスチナの問題などもあって、非常にデリケートな大会になりそうです。

為末:たとえばミックスゾーン(取材エリア)では「あなたはこの問題についてどっちの立場ですか?」と、踏み絵のような質問が出てくるかもしれません。だから、選手たちは自分が何を発言するのか、あるいはしないのか、というトレーニングが必要だと思います。日本のメディアトレーニングは、何も言わない、発信をしない、という部分に特化されがちですが、グローバルな舞台だと「あなたの言葉でコメントを聞かせてよ」というスタンスなので、揺るぎない考えがある場合には意見を述べ、そうじゃないことに関しては「まだ自分の中で答えが出ていない」とハッキリ言えるように練習することが必要だと思います。

――特に日本の選手は、君子危うきに近寄らず、のようなアプローチが多いですね。競技団体もそのような質問を好まない傾向があるようにも思います。一方でヨーロッパのメディアは踏み込んだ質問もするし、選手たちも自分の意見を率直に話す印象があります。

為末:日本の選手は言語の壁が防波堤になっていたところもありますが、今は多言語を操る選手も多いし、今後は技術的に同時自動翻訳なども出てくると思うので、国際感覚がこれまで以上に求められると思います。

「どうすれば速く走れるのか?」だけを考えていた我々の牧歌的な現役時代、20年くらい前と比較すると、今は本当に難易度が上がっている、というのが実感です。競技だけの場所に選手たちを置かせてあげたい気持ちもありますが、これはひとりの大人として対応せざるをえないことだとも思います。

【「メダル獲得=競技の発展」は事実ではなかった】

―選手に求められるもの、ということでは、メダル至上主義がずっと批判されてきました。為末さんも現役時代に実感してきたと思いますが、選手たちはメダル至上主義をどう受け止めているのでしょうか。今の選手たちも、過度な期待とプレッシャーに苦しんでいるのですか?

為末:メダル至上主義がどこから生まれるかというと、メダルがオリンピックの象徴になり、メディアもそれを象徴的に扱い、社会もそれを象徴として見ていて、だからこそ、選手はあれが欲しいと思うシステムになっているからだと思います。  

では、それを止めるボタンがどこかにあるのかというと、実はあまりないような気もします。メダル至上主義の悪い面は確かにあるけれども、モチベーションになる面もあるし、勝ち負けがある以上、メダルを取れるかどうかの境目ができてしまうのは仕方がないことかもしれません。

これは選手の側よりも、メダル以外にスポーツの価値を説明しきれない協会(競技団体)の側に課題がある気がします。昭和の時代は「メダルを取るとその競技が人気になり、補助金も協会に入って競技界全体が潤う」という仕組みでやってきたのですが、近年は我々の世代が少しずつ重要なポジションに就き始めて、メダル数と競技人口や売上増加の間にはあまり相関がないことがわかってきました。つまり、メダルを取るとそのスポーツが発展する、というロジックはもはや通用しないわけです。だから、マインドセットを変えなければいけないし、それがメダル至上主義から変わっていくきっかけにもなるのではないかと思います。

――そのマインドセットは変わりつつあるんですか?

為末:私たち世代は「活躍しても、結局競技人口は増えなかったね」が合言葉になっています。あまり人気にならなかったね、会場にも人が来なかったね、始める人もそんなに増えなかったね、ということを我々世代のメダリストは皆が経験してきました。「......ということは、選手個々人よりも構造の話じゃないの?」という理解なので、45歳前後の元アスリートたちは、構造を変えていかなければならないという認識だと思います。

【問題は、低年齢からの勝利至上主義】

――鶏が先か卵が先か、という話かもしれませんが、報道はどうしてもメダル中心になる傾向があります。元アスリートの視点からはやりすぎだと感じるのでしょうか? あるいは、こんなものだろうと割りきっているのですか。

為末:こんなものだろうという思いも、半分くらいはあります。でも、本当にメダルだけに注目するのであれば、競技人口が世界的に少ないなどの条件で強化費に対してメダルが取りやすい競技があるんですよ。すると、そこに資金を投下することが最適解になる。でも、そうなると強化費の配分がいびつに偏ってしまう。  

―その傾向は今も連綿と続いているんですか?

為末:むしろ加速していますね

――とはいえ、たとえば全柔連のように小学生の全国大会を廃止する動きも出てきているようですが。

為末:そうですね。あの決定は、以前よりも勝利至上主義が加速してきたから止めたという側面もあったのではないかと思います。 

最後のところが勝利至上主義になるのは、仕方ないと思うんです。頂点を争う選手たちは、やはり誰しも勝ちたいですから。問題は、低年齢で勝利至上主義になってしまうことで、小学生からそれだと悪影響のほうが大きいので、高校くらいまでは勝利の要素は半分以下に抑えて、体を動かすことが楽しいとか、友達とスポーツするのがいい、ということに重点を置くべきだと思います。

―そういう風になっていきますか?

為末:私はスポーツでも教育の領域で活動しているので、その方向で進めていくべきだと思っています。中学校ぐらいまでは興奮せず楽しくスポーツをできるように作り変えて、勝つことだけが目的ではない、すべての子どもにとっていいスポーツのあり方を文化として広げていくべきだろうと思います。  

時間はかかるかもしれませんが、やればきっと変わっていくと思いますよ。私自身はその土壌作りに取り組んでいきたいですね。

――バレーボール界では「監督が怒ってはいけない大会」を益子直美さんが始めるなど、子どもたちが楽しくスポーツに接する取り組みは着実に裾野を広げているようです。

為末:我々がいまやるべきことは、そのような個別の取り組みに「いいね!」を押していく活動だと思うんですよ。つまり、「益子さん、いいですね!」「益子さんがやっていることはすばらしいですね!」と、近い考えを持っている人たちが積極的に関わりにいくことが重要なのだと思います。

👉 「政治的な言動を禁止する」

それはオリンピックに限らず、サッカーの世界のEUROやコパ・アメリカにワールドカップにおいても同じ条項があります…。

やはりそこにも…
この記事にあるように「選手の影響力」とそこから来る「世界の分断」というのを恐れての判断なのでしょう…。

今のSNS時代…。
何かを口に出せば…
良くも悪くも瞬く間にそれが広がり…
大炎上の火種となってしまいます…。
特に世間から注目を集める現役アスリートたちにおいては…。

ファンサービスも大事ですが、そこはかなり慎重に発言する判断が求められますね…。
特に若いアスリートにおいては社会経験も乏しく、またスポーツ一筋でその世界で生きて来たでしょうから、そこに輪をかけて社会性に乏しい部分も否めません…。

かといって公の場でまったく口を閉ざしていられる訳でもありません…。
やはりそこはセットとして、人々の面前で活躍し注目される立場のアスリートは、その社会性と人間性、そしてそのような言動・行動にはより注意を払う必要があります…。
これはそのスポーツにおけるスキルと同じく同時並行で、一緒に身に着けて行かなければならないスキルのひとつのようです…。

ただ…
そのスキルをちゃんと身に着けた先では…
立派ないち社会人として、また立派ないちアスリートとして、そして立派ないち人間として、その責任において“自分の意見”をはっきりと言える人物になってもらいたいですね…

「メダル至上主義」

これはオリンピックにおいてですが、これをスポーツ界全体に置き換えると「勝利至上主義」という事になります…。

この為末さんはその問題についてここで…
「選手の側よりも、メダル以外にスポーツの価値を説明しきれない協会(競技団体)の側に課題がある…」
と述べています…。

「メダル以外のスポーツの価値」

「勝利以外のスポーツの価値」

そこが…
今のオリンピックやワールドカップ…
今のサッカーやスポーツの“根本的”で“基本的”な課題であり問題なのかもしれません…。

そこの根っこがハッキリと打ち出されていないので、どうしても誰もが分かりやすい「勝ち」だけに焦点が向いてしまいます…。

ぱっと考えてみても…
「スポーツマンシップ」であったり…
「フェアプレーの精神」そして…
「グッド・ルーザー」であったりがあります…。

また我が日本国に関しては…
その先人たちによる「武士道」「武士の心」であったり「輪の心」なども挙げられます…。

そういう意味では…
試合後の更衣室の掃除であったり、試合後のスタジアム客席の掃除などは日本人らしい行為と言えます…。

そんな“勝ち負け”とは関係ない部分での、でもとても大事で大切なところ…。

そこられへんのところを…
今後のサッカー界やスポーツ界はもっと突き詰めて行く必要もありそうです…。

ブログやnoteでも何度となく言っていますが…
物事にはその“目的”や“動機”が大切…。
サッカーやスポーツをするその根本に…
ただ勝つだけでない“もっと高尚な何か”があって然るべきだとわたしは考えます…。
それが…
この今の現代サッカーに現代スポーツに欠けているところであり、それによって、このサッカーにこのスポーツの世界の秩序が格段と上がって行くようにわたしは思います…。

そういう意味でも…
こと我が日本国のサッカー・Jリーグにおいては、もっともっと、その“理念”に位置づけされている「Jリーグ100年構想」というものの中身を全面に押し出し、それを基にした活動とその“理念”の普及を図るべきかと思います…。
このJリーグが発足された時に打ち出された日本サッカー界の理念…。
わたしもホントに良く出来た理念であると思っています…。
もっとたくさんの国民の方々に知ってもらいたいですね…。
でも…
そんなわたしも…
現役を退いてから初めてその理念に触れ、その理念を理解した人間でしたが…

そんな理念の中にもありますが…
スポーツには「するスポーツ」と「観るスポーツ」そして「応援するスポーツ」といった3つの側面があります…。

スポーツというのは…
競技者であるプロ選手やプロチームにプロリーグだけで成り立っている訳ではありません…。
そこに「観る人」や「応援する人」たちが居て初めて成り立つ世界…。
そんな人たちに…
ただ「勝つだけ」でなく…
もっと“高尚なもの”を頂点に立つ人間は提供する必要があるのではないでしょうか…。
それがプロアスリートたちに出来ることであり、それが彼らの役割りのひとつでもあると思います…。
少なくとも「後ろ指」を指されるような存在であってはなりません…。
そしてそれは…
わたしも含めた元選手OBも含まれますが…

いずれにしても…
そのサッカーやスポーツの世界の頂点に立つ人たちが「ただ勝つだけ」ではない“もっと高尚なもの”を見せない限り、その底辺に居るそれを目指す子どもたちに対しても大きな影響・代償が伴います…。
子どもの頃からあまりにも高い期待と重度なプレッシャーが与えられてしまうと、その後の「メンタルヘルス」に問題を生じ兼ねません…。

「サッカーやスポーツは元々楽しい遊び」

そんな“原点”を忘れてはなりません…。

そして…
そこら辺のところを知り理解して、そのような子どもたちを取り巻く環境をつくり上げていくのも、わたしたち大人の責任であり役割りなのではないでしょうか…。

そんな考えや理念に触れ、知り、理解し、共感して、それに「イイね!」を押したりそれに積極的に関わりに行くことも大切なのかもしれません…

〈気になる記事・前半…〉はこちらから…


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