van_k

読書やスポーツ(観戦が主)、旅などで感じたことを書いています。時にマジメに、時に気楽に…

van_k

読書やスポーツ(観戦が主)、旅などで感じたことを書いています。時にマジメに、時に気楽に、そしてグダグダと。読んで何かヒントになることがあったり、ほっこりすることがあれば幸いです。

マガジン

  • ひとり読書会

    • 115本

    とある読書会メンバーの共同マガジンです。基本は本に関連した内容でありつつ、ルールは特に設けてないので、各々がそれぞれの目線で雑談など、気楽に投稿しています。

  • 読書雑記帳

    読書中・後の雑感をまとめています。

  • 哲学風雑論

    哲学カフェに参加した時の雑感を中心に“哲学っぽい”雑感をまとめます。 ※結論めいたことがあっても(仮)レベルですので悪しからず。

  • スポーツ観戦記・雑感

    実地だけでなく、テレビやネット中継で観戦したもの、そこから得た感想をまとめています。

  • さんぽみち

    出かけた場所や旅先での出来事をまとめます。

最近の記事

寛容であることの重要さ―ヴォルテール『寛容論』―

毎月のように参加している読書会に今月は参加できても聞き専になる見込みである。そこで今月紹介する本を以下に記しておこう。 18世紀を代表する哲学者ヴォルテールによる著作である。フランス南部の街、トゥールーズで起きた事件を題材に、寛容とは何か、なぜ寛容さが大切なのかを問うものである。 この本のベースとなっているのは、トゥールーズで起きた宗派(カトリック、プロテスタント)間の対立、そしてそこに巻き込まれたジャン・カラスの冤罪事件である。カラスは冤罪の罪で死刑判決が下り、執行まで

    • 幸福の獲得法?『ラッセル 幸福論』

      1月の読書会は、ひじき氏のブログに記載されているとおり、予想外の展開となった。時にこういうこともある。むしろ、その方が人間臭さを感じる。そういう回だったかもしれない。 さて、今月は以下の本を紹介した。 現代は"The Conquest of Happiness"である。Conquestには「征服」以外に「(努力による)獲得」の意味がある。『幸福の獲得』、これが正確な原題なのであろう。そして、Conquestという単語が登場した当初の意味合いも「探し求める」や「勝ち取る」の

      • 哲学カフェのメリット?

        ひとまず週1回は更新しようと思ってやっていたが、日本シリーズ等にかまけている間にアップする時間を失った。これからは、よりユルく、気ままに更新するつもりだ。ブログとは「大きな独り言」そのくらいのスタンスで。 さて、今回は哲学カフェでのオフトークから。 10月末のこと、オンライン哲学カフェの主催者T氏は、とある居酒屋で以下のような趣旨の発言をされた。 「哲学(カフェ)をするメリットはなんだろう?」 ある意味、パンドラの箱か玉手箱を開くような問いのようにすら感じなくもない。

        • 体感的な時の流れの違い

          先日、23区内から引っ越した友人と話す中で、こんな話が出てきた。 「前に住んでいたところよりも、ここ(引っ越し先)の方が、時間の流れがゆっくり感じられて好きだ」 友人の引っ越し先は東京からそんなに離れていない。それでも時間間隔の違いを明確に感じられるくらい違うそうだ。 計測できる時間そのものは全く同じ流れでも、都内とは全く異なる時の流れがある。実際、地方へ行くと時間間隔は違うと感じる。東京が「チクタク」ならば、地方へ行くと「チックタック」「チック・・・タック」くらいの感

        寛容であることの重要さ―ヴォルテール『寛容論』―

        マガジン

        • ひとり読書会
          115本
        • 哲学風雑論
          23本
        • 読書雑記帳
          61本
        • スポーツ観戦記・雑感
          28本
        • さんぽみち
          33本
        • 呑んびり日記
          7本

        記事

          豊かな風情、複雑な課題

          ある日の昼下がりのこと。出先でブックカフェに入った。 多彩なジャンルの本の中に1冊の本を見つけた。 都心近くにあるローカル線、小湊鐵道を扱った本である。著者は「ゆる鉄」の言葉を広めた鉄道写真家中井精也。気になって読んでみた。 昭和レトロ感満載の駅舎に車両、都心からアクアラインを隔ててすぐの場所とは思えない自然豊かな風景は圧巻の一言。こういう光景が残っている路線というのは、観光で訪れる側からするとありがたい。 とはいえ、本数が少ない、街の中心から遠い等の理由により、地元

          豊かな風情、複雑な課題

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」③哲学カフェ後に残った疑問―

          さて、「共感」をキーワードにしたブログも3回目に突入した。無駄に長くならないようにしつつ、まとめなければ、なんて風にも思う。 余談はここまでにして、前回最後に記した疑問について、自分なりに考えたことを記しておこう。 ①共感しているかどうかに関わらず、共感しているように見せることができるのではないか? この疑問は共感「力」という表現にも直結する。共感力とはどういう能力なのか?単に「共感する能力」なのか、「共感しているというメッセージを相手に示す能力」なのか。 基本的には

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」③哲学カフェ後に残った疑問―

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」②「共感」とはどういうものか?―

          前回に続いて、哲学カフェ(テーマ:共感)についての話題を記そう。 今回は、哲学カフェの本編から考えたことをまとめていく。 テーマが「共感」ということもあったのだろうか。比較的序盤からエンジンのかかっている方が多い印象であった。 当日は身近なテーマと言うこともあったのだろうか、いつも以上に実体験や例を交えながらのトークが展開された。その中では「自分が共感した」ケースもあれば「相手が共感してくれたと感じた」ケース等、様々な感覚が紹介された。 そこでやり取りされた共感を整理

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」②「共感」とはどういうものか?―

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」①事前にMOTの展覧会「あ、共感じゃなくて」展へ行く―

          9月30日のこと。2週間に1度行われている哲学カフェが開かれた。今回のテーマは「共感」である。 ここ数年、しばしば聞かれるようになった「共感」。当然、新しい概念ではない。今までも行われていた光景に対して、改めてスポットライトを当てている感もある。また時に、ある種の暴力性を伴っているかのような使われ方もされる。 その「共感」とはどういうものだろう?それと自分たちはどう向き合っていけばよいのだろう?そこが鍵となりそうなテーマである。 ここからは本編の感想、と言いたいところだ

          哲学カフェに参加して考えたこと―「共感」①事前にMOTの展覧会「あ、共感じゃなくて」展へ行く―

          気の向くままに

          この世の中には、謎があると思えてならない。 なぜか、以下のブログだけ、ビュー数がじわじわ伸び続けるのだ。 元々、私が書き連ねるブログは誰をターゲットにしているわけではなく、独り言の延長線上に過ぎない。だからこそ、ブログの記事は季節感もなければ、ジャンルの統一性もない。時に文体そのものも異なる場合すらある。テキトーそのものだ。 だからこそ、そんなに読者がいるわけでもない。そもそも、このブログ自体が無料で読めるものだし、営業上のメリットも何もないので、読者などいてもいなくて

          気の向くままに

          偶然の連鎖が導いた引退セレモニー試合観戦

          この世の中は時に不思議な連鎖を眼前に見せてくれる。 8月18日にハマスタで球場観戦して以降、さらに2度も現地観戦することになった。 その経緯は以下の通りだ。 最初に観戦しに行った8月18日から数日前に遡る。関内駅周辺で友人と業務上の都合で会う予定があったので、その後、近くの飲み屋で試合観戦でもしようか、というくらいの調子で「18日にハマスタで阪神戦があるようだよ、夜に時間あったら行ってみる?」と連絡したのが、事の始まりだった。 友人は飲み屋ではなく、球場観戦したい様子

          偶然の連鎖が導いた引退セレモニー試合観戦

          日常の切り取り方

          向田邦子、この人の中にはどういうフィルターがあったのだろう? 読書会では同著者の別の本、『女の人差し指』を紹介した。これらの本にまとめられたエッセイの数々は、読者を飽きさせない。 日常の些細な風景がこの人のフィルターを通すと、不思議なまでにおもしろおかしな世界に化けるのだ。 おっちょこちょい、注意力散漫、整理整頓できない…。自らの様々な特徴を示しつつ、自らの身の回りで起きた出来事、気にしていることをこれでもかと書き連ねられている。よくもまあ、これほどまでにネタが見つかる

          日常の切り取り方

          VBAプログラミング with chatGPT

          哲学カフェのオフトーク中、ある参加者がこんな話をしたことがあった。 「業務用のツールをchatGPTを利用して作ることがある」 ちょうどその頃、自分でもchatGPTでのプログラミングを試していた。といっても、具体的な業務で使うとかではなく、「C言語で九九の表を出力する処理を作れる?」というようなレベルの話である。 さて、最近、VBAを用いた効率化ツールを作る必要が生じた。VBAはMicrosoft Office、とくにExcelで使われることの多いプログラミング言語で

          VBAプログラミング with chatGPT

          不思議な夢

          夢というのは不思議なものである。 毎夜のように何らかの夢を見るが、その内容は起きたら、大抵忘れている。覚えているのもあるが、それはレアケース、それが一般的な感覚であろうし、科学的にもそのように見られている。 さて、昨晩不思議な終わり方をする夢を見た。概要はこんな感じだ。 時は高校生時代になるだろう。高校時代の友人、それも最近ご無沙汰な友人が多く登場していた。学校帰りに立ち寄ったお店が舞台であった。どうも、バイキング形式で料理をとっていって、レジで精算する方式らしい。

          不思議な夢

          不思議な感覚

          将棋をある程度指し馴れてくると、誰もが感じるであろう感覚がある。その1つが「ひと目詰みそう」という感覚である。対局中継を見ているときにも、解説の棋士たちも同じような表現をすることが度々ある。この感覚が不思議なのだ。 そう感じた瞬間は別段、相手玉が詰む姿が明確に見えているわけでもない。実際に先の手を読んでみると、詰むこともままある。もっとも、私の場合、まだまだ読み切れないことも多いのだが。 読み切らずに指せば、当然失敗することもある。しかし、振り返ってみると、手順さえ間違え

          不思議な感覚

          「優しさ・優しい」とは何か?③―哲学カフェに参加して考えたこと―

          今回も哲学カフェのことを振り返ろう。「優しい行動」したはずなのになぜ、時に面倒なことにことに巻き込まれることがあるのか?そこを中心に見ていきたい。 ③「優しい≒優位」? 哲学カフェの本編で様々なやり取りがなされる中で、ふと表題のような疑問が沸いた。というのも、「○○してあげる」という表現がやたらと出てきていたのだ。 「してあげる」には、どうも行為者側の心身の余裕を感じる。また、受け手は自分自身の困難さを打開するために「してもらう(していただく)」。となると、その「優しい

          「優しさ・優しい」とは何か?③―哲学カフェに参加して考えたこと―

          「優しさ・優しい」とは何か?②―哲学カフェに参加して考えたこと―

          前回に引き続き、哲学カフェでのことをまとめていこう。 ②立場・視点によって異なる「優しい」感覚 その後、様々な発想から「優しい」のイメージを具体化させようと試みられた。特定の行為自体を、その直後に評価する場合の「優しい」は、ざっと以下のように整理できそうだ。 1)行為者視点  "誰か(何か)のためにしてあげる"行為 2)受け手視点  自らの困難な状況に対し、時間や労力を投入して手助けしてくれる行為 3)第三者視点  ある人(受け手)にとって、してほしいと思うことを、

          「優しさ・優しい」とは何か?②―哲学カフェに参加して考えたこと―