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体感的な時の流れの違い

先日、23区内から引っ越した友人と話す中で、こんな話が出てきた。

「前に住んでいたところよりも、ここ(引っ越し先)の方が、時間の流れがゆっくり感じられて好きだ」

友人の引っ越し先は東京からそんなに離れていない。それでも時間間隔の違いを明確に感じられるくらい違うそうだ。

計測できる時間そのものは全く同じ流れでも、都内とは全く異なる時の流れがある。実際、地方へ行くと時間間隔は違うと感じる。東京が「チクタク」ならば、地方へ行くと「チックタック」「チック・・・タック」くらいの感覚になることもある。

どちらが良いかは定かではない。1分1秒を争う世界であれば、東京の感覚の方が良いだろう。しかし、人によっても業務の特性によっても、ちょうど良いリズムは大きく異なる。誰もが東京の感覚でいられるわけではない。

そして、その東京の時間間隔はどんどん加速しているように感じる。「変化」や「成長」、「イノベーション」などの言葉を使いながら、スクラップアンドビルドを加速させているイメージに近い。それが本当にそれらの言葉通りに機能しているかは定かではない。

時が加速し続けているように見える東京と、ゆるりとした感覚を残した地方。果たしてどちらが「人間的」だろう?どちらが、人としてのリズムに近いのだろう?

答えを出す必要は必ずしもない疑問であろう。しかし、その手の疑問に対する自分なりの感覚を持ちつつ、次の自分の行動を決める、そのくらいのことはしておきたい。

先の友人の一言は、体感的な時の流れについて、改めて考えさせられる一言であった。

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