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ひとりの時間、新たな自己への旅路の始まり

タイのチェンマイから深夜便で京都へ舞い戻ってきた。
眠い目をこすりながら阪急電車をあとにし、お盆で賑わう京都河原町の雑踏へと舞いこむ。

神社へとつづく石畳の道、
夏祭りに向かう着物を纏ったガールズ、
蝉の合唱ひびく鴨川でおだんごを頬張る恋人たち。

半年ぶりの京都は冬景色から夏景色へと色鮮やかに変化していて、諸行無常の街、そこを舞台に生活を営む人たちをじっくり眺めながら宿へと向かう私。

そそくさとチェックインを済ませ、ベッドに倒れ込む。
清潔なシーツと布団に心があらわれ、深呼吸。
やわらかな安堵のなかさまざまな感情の渦にのまれていく。


久しぶりの「ひとり」の時間。
恋しかったはずなのに、
なんだか孤独を感じてしまう自分。
それだけ「だれか」との時間に慣れ切ってしまったのだろう。

人との関わりは人生における酸素のようなもので、愛おしい「だれか」との時間は必要不可欠だ。
友人でも、家族でも、恋人でも、犬でも猫でも。
その時間があるだけ恵まれている。

ただそれと同じくらい、いや、わたしにとってそれ以上に、「自分」との時間は大切なのだ。

自己対話を怠っていては、自分の深層にある考えや感情に気付けず迷子になってしまうから。

人生のなかで出会うあらゆる経験を心ゆくまで咀嚼するためにも、日々変化する心情に敏感でいるべきなのかもしれない、とここ最近の自己対話、内省の少なさをじつは反省している。

自分の感情、考えへの感受性が弱くなってしまっては、ただ突発的な感情の奴隷、カオナシに過ぎないから。

「自分」こそ、一生涯つづく人生のパートナーで、この真理はすべての人に当てはまる。だからこそ、時間の流れにあわせて変わっていく自己という肉体と精神をよく観察し、言葉と行動で自分色の人生を紡いでいく。

ひとりの時間、自分だけの時間、新たな自己への旅路の始まり。

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