「命」?違う。その人のことを見ろ。
「死ぬな」。という。
生きていれば、なにかある。生きてさえあれば、なにかある。
あぁ。
こいつは、私の「命」しか、見ていない。たった一つの、量的な「命」。
あらゆる背景を棄てさって、私の「命」しか、見ていない。
私を見ていない。まるで、二元論的な。
私のことなど見ていない。だから、「死ぬな」などと、軽率で軽薄なもののいいよう。
今ここにいる人間を無視するやつが、どうして「命」について言及できるのか。
「命」は同じかもしれないが、あなたはワタシではない(はずだ)。
生きていて何かあったあなたと、ワタシを同じものにするな。(それはおそらく思想の暴力だ。)
また、「命」しか見ていない。「命ばっかり」。
私は、その「命」よりも、どうってことない。
私は人間的(時間的)ではないってか。
そういったとこで、「命」など、大抵は量的にしか見られない。
命だけ。「私」はきっと、空気よりも、濃厚で
稀薄なのだ。
参考文献
木田元.2001.偶然性と運命.岩波新書
木田元.2010.反哲学入門.新潮文庫
中島義道. 2014. 反〈絆〉論. 筑摩書房
西島佑.2020.「友」と「敵」の脱構築 感情と感情と偶然性の哲学試論.晃洋書房
・
いいなと思ったら応援しよう!
サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。