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タグ無限に付けることが出来る説

他の方の記事を見ると、異様な数のタグがついているのをよく見かける。「これ、関係・・・あるのか?」という、要らぬ心配というか、懸念をしてしまうが、この「タグ」は、もう無際限に付けることが出来るのではないかという、つまらぬ期待をした。

というか、この「タグ」という機能自体、ある一つの規則に従っているものだ。「タグ」は、「記事と関連している言葉」というルールを、勝手に持ちあわせている。「勝手に」ということは、これはあくまで不文律という存在であって、明確な根拠に基づくルールではないということだ。

明確なルールに基づいていないのなら、(例えそれが不文律であっても)形式上、そのルールに屈従する必要は無い。形式上は。

「タグ無限に付けることが出来る」

という言葉は、実際のルールや規律から逸脱しているものであり、一種の言語ゲームでもあり、単なる遊びとしての言葉としての使用である。それは、手段ではなくなっている。

つまり、この言葉が意味するものは、言葉にはやはり意味がないということだ。タグの数が多くなればなるほど、タグが少ない時と比べて、全体としてのタグの意味は拡散していく。

僅かでも関連しているタグであるなら、その僅かな「差」から、等比数列的にどんどん差が大きく開いていく。

これは、言葉そのものの関連性が、実は曖昧で、確固たるつながりが無いからだ。だから、タグは”無限に”付けることが出来るのだ。畢竟に、タグ、いや言葉に意味は無い。



今日も大学生は惟っている。



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