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#9 人生は靴なり

中国でホームレスに「一番大事なものは何か?」と尋ねたら、「お金だ」と答える人が多いだろうなと思う。

留学当時、中国で出会った物乞いやホームレスの多くは、地面に突っ伏して土下座していた。名前や年齢、これまでの職業やなぜいま困窮しているのかという一身上の物語を、チョークやレンガのカケラで路上に直接書き記して行き交う人たちに平伏していた。

なかには、田舎から出てきたばかりの年端もいかない女の子もいた。良心的な食堂の老板に拾われて、住み込みで働きながら看板娘になった子もいたが、一日二日もしないうちに人買いに攫われたらしい(と噂される)子もいた。

「下働きはまっぴらだ」と、偽のホームレスとして路上に座っているだけのおじさんもいた。彼は、「いちにち土下座してたら2、30元はもらえる。ペットボトル集めはもうやらんわ」と言っていた。ペットボトルの廃品回収よりも物乞いのほうが収入が多いとの話だった。それに、食べかけのご飯をもらえることもある。

中国の都市部では特に、日本よりキャッシュレス化が進んでいるだろうから、いまどうやって物乞いしているのだろう。とても気になる。誰か教えてほしい。

インドで同じ質問をしたら、「髪の毛」と答えるかもしれない。

サドゥーみたいなドレッドヘアをしていれば、なんとかなる。聖者っぽさの演出が大事だ。現地の人からは「あいつはニセモンだ!」となじられることも多々あるが、そのうち誰かがチャパティーの残りとかをくれるし、食うには困らない。

そのうえ、ヒッピーくずれの欧米人はハッパもくれる。いいメシ食わせてくれることもあるし、うらやましいことに無垢な女の子をたらしこめれることもある。本意気の修行僧と偽サドゥーの違いなど、無知な旅行者にはわかりようがない。「装い」さえうまくいけば、生活は安泰だ。

だから髪の毛は大事なはず。そしてこれは、とてもいいセーフティーネットだと思う。髪さえ伸ばせば生きていけるのだから。コロナで外国人が激減して、偽サドゥーたちの生活がどう変化したのか、とても気になる。誰か教えてほしい。

もし、「比較ホームレス学」なるものがあれば、の話である。その国で、地域で、ホームレスに「一番大事なもの」を聞いていくだけで、当該文化や社会の特性が透けて見える気がする。コロナが収まったら、誰か卒論のテーマにでもするといい。旅をしながら調査ができるはずだ。

では日本では、東京では、どうだろうか。

もちろん「お金だ」と答える人も多いと思うけれど、結構な割合で「靴だ」と答える人がいるんじゃないかと感じている。

知り合いのポエティックなホームレスがあるとき、「靴は大事だよ。靴は、人間の尊厳を保つ、最後の砦だと思うよ」と歌うように言った。

どんな話の流れでそうなったのか忘れてしまったが、そこから「ホームレスにとっての靴」の話になった。彼いわく、「裸足でいると、急に人間じゃないみたいに見られる」らしい。

「だから靴がなくなったらすぐにドンキでスリッポン買って、それ履いてすぐ靴屋に行く。なんか履いてないと、靴屋に行けないもん。どの店も入れない。だからまずドンキでささっと(安いスリッポンを)買うんだよ」

東京で裸足で歩いていると、通行人から、「人間ではない別の何かになってしまったのか」と錯覚するほどに奇異な視線を向けられる。だから靴が「人間の尊厳を保つ最後の砦」だと感じた、ということだった。ちなみにドンキで買う理由は、店内の通路が狭くて、他の客の目線が足元に集まりにくいからだという。

というか、そんな大事な靴がなくなる、というのはどういう事態なのか。なんでなん? と聞くと、靴を盗まれることがあるかららしい。

「靴を盗むやつはホームレスだと思う。靴が大事だとわかっているやつ。だから、それなりにホームレス歴の長いやつが、ホームレスの靴を盗むんだと思う」

路上で生きる者同士で、ささやかなトラブルが起きることはある。そんなとき、お金や荷物を盗ったり暴力に訴えるのではなく、靴を盗む。彼は一度靴を盗まれて以来、寝ている間も靴を履いたままにしているそうだ。

もう一つ、靴が大事な理由がある。

それは彼らが、歩くからだ。そりゃ誰でも歩くだろう、というレベルではない。定住型ではない移動型のホームレスは、とにかく歩く。歩いて街を自分のものとしていく。仕事に行くときも炊き出しに行くときも、歩く。だから靴はすぐにすり減る。だから自分の足にあった靴は大切なアイテムなのだ。

移動せざるを得ない状況もある。都市は、日中居られる場所と夜間に居られる場所が異なる。深夜から明け方まで、あるいは朝から夕方まで、座ってたり寝てたりしてもOKな場所は時間帯によってそれぞれ違う。一カ所ではないから自然と歩くことになる。だから靴は何よりも重要だ。

一度だけ、「毎日違うところで寝てる」という風来坊ホームレスに会ったことがある。彼は、3万円はするだろう新品のトレッキングシューズを履いていた。「それ、けっこういい靴じゃないっすか?」と聞くと、ニヤニヤしながら彼は言った。

「落ちてる金とか、コインパーキングの釣り銭とか、毎日拾って歩いてんだよ。それで貯めた金で靴を買い換える。オレは靴買うために生きてるのよ」

人生は靴なり。



本書『トーキョーサバイバー』に寄せられた学生の論考にも、「なぜ、彼らが歩くのか」に言及したものがあります。めちゃくちゃおもしろい。
クラウドファンディング終了まで残り、2時間。もしよろしければ、ご支援ください!



追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)


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