音楽前夜(谷中みか)
動線で音楽を伝え合えうutena drawing は、生徒とのやりとりに苦労したことからはじまりました。子どもたちにやってみる?というと大喜び。そして何より驚いたのはその効果でした。そこに至ったその源流はいろんなところにあります。そして、これからutena drawing はどんな道を辿っていくのか・・・
大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意と、暮らしのあらゆる場所に偏在する音楽と。そして、私。
とにかくやってみないとわからないutena drawing ’音楽を描く’です。 utena drawing をつかった音楽プロセス体験がどんなふうにはじまるのか、ワークショップに行ったつもりでやってみることができる記事です。動画もたくさんありますので、画用紙と滑りの良いクーピーなどを用意してやってみて。メンバーシップやワークショップ参加を迷っているひとにもおすすめです。
除草剤や草抜き・草刈りが生きものの姿を変えていくのを目の当たりにしながら、でも、楽しく谷中のワンダーランド化している、実家の話です。松野町は実家の在処。そしてたまに音楽室前の庭の様子。
人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなども。
興味が尽きないのは、音楽が生まれるところ 音が一つ。 * もう一つ増える * * そうすると、その間に音楽の動きが生まれて それが流れをなし、いくつか合流してきて、本流になって、やがて、またどこかへ去っていく・・・どこにもないのに、確かに存在している、音楽。 感じるところから始まる音楽体験と演奏へのアプローチ 音楽と仲良くなるためにすることは、 演奏をきく人、楽器を奏でる人の自然なしぐさと音楽とを 感覚を通して結ぶこまやかな作業。 私は音楽を教える仕事を通
楽譜には音符にできない音はかけないし、音符があるから演奏できる。 でも、その点と点の間には様々なプロセスが潜んでいる。 時間の経過や 音程の広がり 遠い主音に向かって伸びる道の線上に並ぶ点 膨らんだり縮んだり、弾んだり浮いたり。 音楽の解像度を上げていく役目を持っているのがutenadrawing。 でも、そんなのって難しいんじゃないかと思われるかもしれませんが、 びっくりする位単純な話で、 音楽って 楽譜の点のところだけにあるわけではなくて、 その間を生きてい
生徒たちはリトルコンサートの曲に だいぶ熱がこもってきた。 特に高学年、中学生の集中力はこっちが羨ましくなるくらい。 暗譜も大体できたが、まだ何かが重い。 どうしてもつっかえる。 など、まだまだ磨くところがいくらでもある。 音楽の、その曲のその音群をどう音出しするか を、事細かにやりとりする。 生徒をよく観察する。 思うように弾けないらしい。 干渉してくるのは、楽譜上の理解の問題か、聞こえているものの偏りか 肘や肩の余分な力か、体のバランスか。 あるいは、この先に続く音
ピアノの先生にあるまじきことだが私の指は、生傷が絶えない。 草を刈るのについうっかり手袋をしないで、のこ鎌でガリガリやっていて そういう、ついうっかり、っていう時に限って、 自分ののこ鎌で、自分の指を傷つけてしまう。 そうやって傷ついた 右手の人差し指側面(左手に道具を持っていたから)には のこの歯の幅のいく筋もの小さな引っ掻き傷がついていた。 ろくに人の話を聞かないで ワーワー言っていた女の子が 突然にそのトーンを落として 「どうしたの?その傷」 と、神妙になったので、
オンライン入門講座のご案内 人の仕草には、人それぞれの動きや質感があります。 音楽にもそれぞれの、息遣いがあります。 クレヨンを持って音楽の動線を自分で描くという作業は 受け身で聞くよりも能動的で、演奏するよりも受動的。 utena drawingは その受け入れる、発信するの間を結びながら 楽曲を楽しみながら 自分自身の中にある音楽に触れる作業です。 オンラインでの入門講座を設定しましたので、 興味のある方は、覗いてみてください。 ストリートアカデミーでの開催と
連日35度超えの8月から台風が去ってやっと、朝晩少し過ごしやすくなっていた。 三週間ぶりの実家の畑の様子。 マガジン 松野町ワンダーランド&にわにわにっき 2024/9/3 (人の手が入ることで生きものの姿を変えていくのを目の当たりにしながら、でも、楽しく谷中のワンダーランド化している、実家の話です。自然農を試みています。松野町は実家の在処。) とにかく虫たちが賑やか。 去年あまり見かけなかったカマキリもたくさんいるし、 蝶々の種類も多い。 ウリハ虫もプチプチ歩き回っ
ひとつの音の楽曲の中の役割が見えてきたら、 それが全体の中で、その意味がなせるように 音の粒、ひとつひとつ、音の流れやいろんなフェーズで 音を形作っていく、造形していく力がいる。 それは彫刻のように立体的で、時間経過の中を生きる。 統合していくのが”私”の作業だ。 ときにそれは、自分の感情も、過去の痛みも 何もかもそこへ投げ出して、練り込んで (だって自分が持っているツールはそれで、 使えないツールはないんだから。) 時間の中に、造形していく。 その作業に優劣なんかなく
8月11日ホームページに記事を上げました 高校生弾き語りする 高校生の女子、高校まで1時間以上かかるだけでなく、バリバリのテニス部、練習練習遠征遠征で、話を聞いてみるとほんとにいつやすんでるの?って聞きたくなる。 高校に入ったばっかりの頃は、疲れと緊張からか、あちこち痛めては、うちまでたどり着いたはいいけれど腰の痛みが激しくて、ずっと温湿布当てて寝てるだけで終わってしまったこともあった。 無理に続けなくていいよ、体の方が心配やから、と言ったときもあったけれど、彼女は辞める
音楽教室をしている先生たちと月に一度話し合いをしている。 こうやって話が通じ合い、考えを深めあえる場があり、 そこに、互いの話を聞くことができる人がいることが 本当にありがたいし、頼もしいと思う。 今回のテーマは「10年後に向かう音楽」について 激変していく世の中と、 音楽。 今回は、ただただ、10年後世の中ってどんなふうになっていて 音楽がどのように広まっているだろうか、とか 自分の音楽との付き合いは10年後どうなっているだろうとか 自分の仕事や音楽教室はどうなってい
いろんなやさいがつぎつぎとれるのは嬉しい。 でも、どれもミニマムだし、数もそんなに多くない。 去年なら、何がなってもうれしかったものだけど、 ことしは、ちょっと欲がでてきたな。 先週二日分の収穫 里芋連日33度は軽く越してくる猛暑で、一気に里芋の葉が枯れてくる。 水やりはほとんどできないし、しない。 畑のあちこちに、里芋と生姜を植えていて、 どこが一番むいているかをことしはリサーチ中。 トマト軽く4キロは収穫できたと思う、シシリアンルージュだったけど、 梅雨明けとと同時
ゲーテの世界観/人の内と外は決して分断されてはいない・・ ”人の内と外は決して分断されてはいない。” 折に触れ立ち返り、何度も読み直す本の一つです。 哲学の世界では、イデア(物事の本質)と人の内面は切り離され、人の内面は閉ざされたもの、という認識が一般的でした。 ゲーテといえば、シューベルトをはじめ、ベートーヴェン・ヴェルナー・ブラームス・シューマン、メンデルスゾーン、ヴォルフ、リームなど、彼の詩を歌曲にした作曲家は枚挙にいとまがありません。その詩人としての、ゲーテ。
レイチェルカーソンのセンス・オブ・ワンダーの本の写真とともに、 「先生の農業のことを思い出しました」 と生徒さんのお母さんからlineが届いた。 私からは 「沈黙の春も読んで。この二冊はセットだから。」 と返した。 ちょっとぶっきらぼうだったかも、と反省。 ただ、この二冊は、 読み直す迄もなく、自分の中にまだその残光が残っていて 素通りができなかった。 レイチェルカーソンに出会ったのは まだ20代だった気がする。 有吉佐和子の「複合汚染」の引用から 「沈黙の春」にたどり着
愛媛訪問者からのお便り 6月に愛媛までおいでくださって、「音楽を描く」個人ワークを受けていただいたKさんからお便りが届きました。 Kさんは東京にいくたびお世話になっている、 東京アレクサンダーセンター(TAC)の生徒さん。 センターでは、生徒さんがプレゼンをして自己学習を深めたり、共有したりするユニークな方法をされています。 その一環で、愛媛での出来事を取り上げられたそうで、その内容をセンターさんがアップしてくださいました。 その話の前に、Kさんが学んでいるアレクサ
一つでわからないものが二つの差異によってみえてくる ふたつ、質の違うものがならんでいるとする。 ひとつ、ぽつんとあったもの それを、どう言い当てれば良いか、掴みどころがなかったものが ふたつあることで、その違いや落差から その二つを照らし合わせて 初めて、それが何か掴めるようになる。 ひとつがわかったとき、それは同時にもう一つがわかるということで そんなふうにして、世界は意識の中に開示されていく。 赤ちゃんは、生まれたばかりの時 まっさらで情報がまだすくないなか 快と不
歌を育てる。 たったひとつ、その曲と自分でかなでる歌。 ** どう歌うか。 こたえはもちろん一つではない。 というか、一つとして同じ答えはない。 メロディワークを進めてきて、 参加者さんも私もまだ詰めようがあるよね、 といったところをさらいなおしてみる。 もうずいぶん長くこの曲を通して音楽を模索してきた。 納得がいくまでたった一つのフレーズと対話してみる。 その人にフィットする方向性とエネルギーを、音楽的な美しさを 非言語のドローイングでやりとりしながら探っていく。
カエルのおんぶ 生徒が音楽室に入ってきて、窓際のガラス細工のカメレオン? に話しかけているので、 カエルをわたしたら、 なぜか背中にのせて見せてきて、 その様がおかしくてかわいくて なにやってのよ、といっしょに笑いながら写真をとった。 10月のコンサートがきまって、譜読みが始まっている。 そして、まだまだはかどらない。 ひとしきり笑ったあとは、 集中もいい。 今日は捗ったね。 まだします 楽譜をよむのがどうしても気乗りしない 幼児さんにはしばらく楽譜を諦めて めりさん