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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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記事一覧

身体の延長の楽器、楽器の延長の身体

生徒たちはリトルコンサートの曲に だいぶ熱がこもってきた。 特に高学年、中学生の集中力はこっちが羨ましくなるくらい。 暗譜も大体できたが、まだ何かが重い。 どうしてもつっかえる。 など、まだまだ磨くところがいくらでもある。 音楽の、その曲のその音群をどう音出しするか を、事細かにやりとりする。 生徒をよく観察する。 思うように弾けないらしい。 干渉してくるのは、楽譜上の理解の問題か、聞こえているものの偏りか 肘や肩の余分な力か、体のバランスか。 あるいは、この先に続く音

傷に敏感な子

ピアノの先生にあるまじきことだが私の指は、生傷が絶えない。 草を刈るのについうっかり手袋をしないで、のこ鎌でガリガリやっていて そういう、ついうっかり、っていう時に限って、 自分ののこ鎌で、自分の指を傷つけてしまう。 そうやって傷ついた 右手の人差し指側面(左手に道具を持っていたから)には のこの歯の幅のいく筋もの小さな引っ掻き傷がついていた。 ろくに人の話を聞かないで ワーワー言っていた女の子が 突然にそのトーンを落として 「どうしたの?その傷」 と、神妙になったので、

【日記】高校生・弾き語りする 

8月11日ホームページに記事を上げました 高校生弾き語りする 高校生の女子、高校まで1時間以上かかるだけでなく、バリバリのテニス部、練習練習遠征遠征で、話を聞いてみるとほんとにいつやすんでるの?って聞きたくなる。 高校に入ったばっかりの頃は、疲れと緊張からか、あちこち痛めては、うちまでたどり着いたはいいけれど腰の痛みが激しくて、ずっと温湿布当てて寝てるだけで終わってしまったこともあった。 無理に続けなくていいよ、体の方が心配やから、と言ったときもあったけれど、彼女は辞める

音楽教室・10年後に届く方向へ、足先を向ける

音楽教室をしている先生たちと月に一度話し合いをしている。 こうやって話が通じ合い、考えを深めあえる場があり、 そこに、互いの話を聞くことができる人がいることが 本当にありがたいし、頼もしいと思う。 今回のテーマは「10年後に向かう音楽」について 激変していく世の中と、 音楽。 今回は、ただただ、10年後世の中ってどんなふうになっていて 音楽がどのように広まっているだろうか、とか 自分の音楽との付き合いは10年後どうなっているだろうとか 自分の仕事や音楽教室はどうなってい

アレクサンダーテクニーク・自然農・音楽

愛媛訪問者からのお便り 6月に愛媛までおいでくださって、「音楽を描く」個人ワークを受けていただいたKさんからお便りが届きました。 Kさんは東京にいくたびお世話になっている、 東京アレクサンダーセンター(TAC)の生徒さん。 センターでは、生徒さんがプレゼンをして自己学習を深めたり、共有したりするユニークな方法をされています。 その一環で、愛媛での出来事を取り上げられたそうで、その内容をセンターさんがアップしてくださいました。 その話の前に、Kさんが学んでいるアレクサ

音楽教室の一週間・カエル・まだします

カエルのおんぶ 生徒が音楽室に入ってきて、窓際のガラス細工のカメレオン? に話しかけているので、 カエルをわたしたら、 なぜか背中にのせて見せてきて、 その様がおかしくてかわいくて なにやってのよ、といっしょに笑いながら写真をとった。 10月のコンサートがきまって、譜読みが始まっている。 そして、まだまだはかどらない。 ひとしきり笑ったあとは、 集中もいい。 今日は捗ったね。 まだします 楽譜をよむのがどうしても気乗りしない 幼児さんにはしばらく楽譜を諦めて めりさん

音楽が荒廃するとき

(独り言です・・^^) 音楽が荒廃するとき、人も荒廃している それは 「音楽って一体何?」と問い続けてきた私が行き着いた場所で 何かを言い当てることができない代わりの 音楽を続けていくための手がかりのようなもの。 音楽を”描く”ことによって 人と音楽の間のいろんなことが 現れてくる。 私が見ているのは現象であって 核心ではない。 現象と一緒にたゆたっているだけだ。 どこへ向かえばいいか、心細さがいつもついてまわる。 けれどすでに気がついていることなのだけれど 「音

音楽、植物、身体・・根源で出会うもの

受講者さん、東京ワーク→愛媛に。 5月10日、東京で東京アレクサンダーセンター(TAC)でのワークショップに参加いただいたKさんが、ご実家の広島から、なあんだ、海を越えれば愛媛じゃないか、ということで、フットワーク軽く、東温音楽室まで、個人ワークを受けにおいでた。 どうせなら、このワークが生まれたその場所で、その空気感も感じたい、とKさん。 ほう、そこに何があるのか、私も知りたい。 ワーク 音楽と感覚を育む 到着して、少し庭を散策したり、授業中のTACとオンラインで繋

やらなくていいことをしない、で行き着いたもの

昨日、NHKで福岡正信の足跡とご家族のドキュメンタリー「ハッピーヒル」をみた。 その中で一際私の心に残ったのは、 「やらなくていいことをしない選択をしてここに行き着いた、」 (少し違っていたかもしれないけど・・・) という意味の言葉。 それ、音楽プロセス体験も同じかもしれない。 福岡正信さんのことを知らないかもしれないから少し説明するね。 耕さない、肥料もやらない、雑草と一緒に野菜や果樹を育てる自然農を、近代において、はじめに世に問うた人で、たくさんのタネを泥団子に仕込んで

春の愛媛から東京へ

東京ワークショップの朝。 春爛漫の庭の写真を写真に収めてから出発。 帰る頃にはみんな散ってしまっているだろうなあ。 今日のフライトは薄曇り。 オンラインでしかお会いしたことのなかった、発展プログラム参加者さんと北千住で待ち合わせして、初めてお会いしました。 いつもこの瞬間が、嬉しい。 個人ワークのあと、 リアルオープンワークでも、 「やっと会えたねー」みたいな声が飛び交っていて、 オンライン、やってきたよかったなあと思いました。 グループワークは大いに盛り上がりました

音楽室便り5月

うてな便り5月 5月、爽やかな季節ですね。 音楽室の近くでも、燕が盛んに鳴き交わしています。 ただ、急激な暑さに体はついていくのに一生懸命ですね。 生徒たちもあくびの多いこと。 しっかり眠って、しっかり起きて、季節に馴染んでいくことは、体のリズム。習慣っていうのはとっても音楽的なものなのかもしれません。ピアノの練習も習慣化して「いつものこと」と体が覚えていけば良いのです。でも、「やらされ感」の習慣は私は歓迎していません。変な我慢の癖がついてしまうから。 心地よいものを繰り返

音楽プロセス体験研究室の地味なZoom

ただただ、黙々と自習するために、集うZoomというのを見かけたことがある。 自習する内容はなんでもよくて、でもそこに集うためには課金が必要で。 それはきっと一人でするより、きっとうんと集中すると思うし、まして課金しているのなら、なおさら。 わかるわかる。 不思議なもんで、そのPCやスマホの向こうで他の人も黙々とやっていると思うと、一人でするのとはきっと全然違うんだろう、やってみたいなあと思っていた。 音楽プロセス体験の昨夜のズームは、二人きり。 私は取り組みの途中だったメロ

音楽が気持ちを落ち着かせてくれることを伝えるのも音楽教室の任務やと思う。

新学期が始まっても、いつもと変わりない子もいれば、 明らかに、いつもの感じじゃなく ハイテンションだったり、あくびが止まらなかったり する子もいます。 今日来た女の子は、 音楽室に入った時から落ち着かず、 弾き始めたピアノも ガッツンガッツンと そりゃ工事現場の音ですかい? と言いたくなるような音。 もっと優しく弾きなさいとか、 指をこんなふうに腕をこんなふうに、体をこんなふうに、 なんて、もしもそんな「指導」をしたって きっと馬耳東風なので、 しばらく様子見。 そもそも

"描いて"深める音楽学習のオンラインコミュニティなど、ワークショップの案内です。

やっているワークショップの内容はこんなことです。 utena music fieldも例に漏れず、 コロナでやむなく、やっつけでオンラインでワークショップを始めました。 その良さもよくなさも体験しました。 世の中にもたくさんのツールが生まれ、使い勝手も変わってきています。 もちろん、伝わり切らなさ、はあります。 でも、全国どこの人とも繋がれる、というのは 大きな希望だと思いました。 なぜなら、 私のやっているワークは、 決して誰もが飛びつくようなものではなく、必要に駆られ