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”音楽”を伝える音楽教室に

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音楽教室は「音楽」をちゃんとその人の根っこに手渡せているのだろうか?掘り下げてきたのは、「人と音楽の出会う場所」。感覚、時間、空間、身体、教えるということ、まなぶということ。音楽… もっと読む
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記事一覧

練習の仕方がわからないのに、”お家で練習しなさい”は無茶振りと思う

ほぼほぼ、お家でピアノを練習してこなかった子を叱ることはありません。 音楽室を出ていく間際に「ばいばい」をしてくれたときに 挨拶がわりに「練習やってみー」と声をかける程度。 はーい、なんて気持ち良い返事が返ってくるけれども、 本当にするかどうかはわからない(笑) 地道に練習しているように見える子とか、 お母さんがかかりっきりで練習させている子が、あるときぱったりと進まなくなってしまうというのはよくあることなので、案外今週練習できたかどうかなんてことは将来にとってはあてになら

音の始まりと終わり(個人ワークでのこと)

数年前の個人ワーク書きかけの文章が出てきましたので、振り返ってみようと思います。 音の一生 音楽を描くワーク4年目のTさんと対面での個人ワーク、今回は、音の鳴り始めにこだわってみました。 これまでは、どちらかというと音の出だしよりも、音のしっぽにきちんと意識が届くようにという練習でした。でも、Tさんの様子から、それでは私が片手落ちだったなぁと気がついたのです。音の始まりのための時間をとったことがなかったことが。 それは、むしろ音の始まりというのは、あまりにもみんながあた

線がつなぐソルフェージュ・子供のワーク12月

昨日は生徒たちのグループワークの日でした。 ワークの目的音楽は音と音の間にあること、そこに人の体験も育つこと、小さいお子さんほど、それを大事に伝えます。音楽の理論やソルフェージュは自分の中に音楽を構築するのに大切なことです。でも、それは心や体の理解を蔑ろにしては自分ごとになっていかないので、あそびやわらべうたをとおして、先生(うちでは先生ではなく名前で呼んでもらっていますが)やおともだちの息遣いをとおして、頭だけでなく、さまざまな感覚を繋げながら、1時間のワークを月に1度行

届ける声と受け取る耳*。

一昨日、素敵な音楽会の余興で、絵本を読む係をしてきました。 マイクを通すか通さないか、ちょうど微妙な箱感で、 判断は若い人にお任せしようと思っていたのだけれど、 やっぱりいらないと思う、と伝えると、快諾いただいて、 生声での朗読になりました。 声が届くかどうか、というのは音量の問題で、 大方はこれが判断材料になりますが、 実は音量だけの話ではなくて、 聴く人たちの注意力や耳を開いていこうとする好奇心という要素もあります。 マイクで拾った音というのは、どこから音が出ているか

音楽教室に音楽をとりもどす

なんだかちょっと強い言葉になってしまったけれど・・ 音楽教室で行っているレッスンのうち、 音楽的要素と音楽的でない要素、 っていうのを精査してみてもいいんじゃないかなって思っています。 そうすると、 じゃあ音楽的って何?ってなると思いますが その「じゃあ音楽的って何?」という問いで 頭と心と体をぐるぐるさせてみるということそのものが すごく大事なんじゃないかな、と。 昔こんなふうに習ったから、とか、 どこかの偉い先生の受け売り、とか。 それは素材としては、あった方が良い経

ただ、やさしく弾こう、と。

部屋に入ってきたら、まず、今日のハンコを押す。 というのをやくそくにしているのですが、 そんなことはお構いなく、 ドアをあけてはいってくると、もう、もどかしい様子で、 さっさとピアノの前に座り、ハノンを弾き始めたのは、 4年生の男子。 いつも、その週一番思い入れて練習してきた曲があるとき かれはいつもこんな感じで、ピアノを弾き始めます。 にしても、ハノン! なにゆえに。 弾き始めて、私もだんだんに気がついてきました。 先週までと全然ちがう。 これは確かに、うれしいだろう

おうちで練習しなくてもできた。

大人は、 「ちゃんと練習しないと上手になりません。 ちゃんと練習しなさい。」 と言います。 でももし、練習してないのにできちゃったら、 大人はどう言うんでしょう? 世の中には、練習してないのにできちゃまずい、 みたいな、風潮さえあるのではないかと思います。 なんだかなあ。 練習の前に大事なのは理解です。 本当はピアノの習得に限らず、何事もそうなんじゃないでしょうか。 ・・・・・ Mちゃんは、好きな曲を弾いてみたいということになって、 学校の歌集にあった曲をハ長調に楽譜を

音楽的に育てるなら、あかちゃんには風に揺れるカーテンを

試しに、大人でも、風に揺れるカーテンのそばで寝っ転がって あかちゃんの目線で、その様子を眺めてみたら、どうでしょう? あかちゃんは、揺れるカーテンに微笑んだり、手を伸ばしたりしますよね。 あれは、どうしてなんだろうか、 その答えは、やっぱり、赤ちゃんと同じように 寝っ転がって見上げてみるのがいいと思います。 小さなスピーカーから流れてくる音楽は、 楽器がぎゅうぎゅう詰めで、一箇所からしか、流れてこない。 風は暮らしや世界と同じところからやってきます。 カーテンは、どこか

練習の数より、理解と体験の補修が先

塾に行き始めてから、 ぱったりとピアノの方は成長がとまってしまった女の子。 家での練習までに漕ぎ着くエネルギーが残ってそうにはない感じ。 先週渡した曲の譜読みもおぼつかなくて、 それどころか、楽譜をじいっと眺めて、 しばらく遠のいているらしい五線の音符とにらめっこ。 五線は何もお返事してくれないらしく、いつまでもにらめっこ。 あれほどほとばしるような感性で私を楽しませてくれていた彼女が どこか申し訳なさそうに日陰で見上げてくる子猫みたいみたい。 でもまっすぐな目線が変わら

ひきだし

うちのレッスンやワークは基本、子どもでも大人でも同じで、 まずは自分の引き出しから音楽を探そうとすること、 そして、もしかしたら、まだまだ空っぽの引き出しに気がつくこと、 それを満たしたいという衝動に応えていくこと、 なんかもしれんなあと、思いました。 もしかしたら、そのきひだしすら、まだ形になっていなくて。 自分の中のあちこちを探しはじめる。そうしたらしめたもの。 結構ここまでが大変で 人は、人の器からついでもらったものをつかいまわしていることに 気がついてさえいないこ

障害のある子を受け入れる1【音楽教室】

失敗した経験自閉症男子やってくる 一年ほど前、ある方(仮にMさんとする)に自閉症の息子さんを受け入れてほしい、というお声をいただきましたが一度はおことわりしました。 その後、もう一度Mさんから、utena music fieldでレッスンをうけたい気持ちがあると再度おききし、自信はないですけど、と、お受けしました。 と、いうのも、数年前に、自閉症の子をお預かりしたものの、うまくいったとは言えない経験があり、自分には無理だろうと思っていたからです。 そして、親子でレッスン

有料
200

手放すことはじぶんにしかできない

マガジン・"音楽"を伝える音楽教室に 前回に書いた記事、音程感を補修していくことをかいたものの中で、「掴むことより手放すことのほうが難しい」、と書いて、あれから手放すっていうことについて、つらつらと考えています。羅列というか覚書みたいな感じで書き出してみました。これは正しいと思っているわけではなく、「手放す」という言葉に対する私の中の情報を引き出してみよう、という試み。辻褄はあっていないかもですが、とにかく書き出してみました。 教える側は「掴む」ことを前提としている 何

心底音痴の人はいない。

はなうたが楽しそうな女の子 音楽教室での出来事。(うちでは音楽室と言ってます)今まで出会ってきた生徒さんの中でも最強に音程感を教えるのが難しい、と思っていたMさん小学校4年生。 でも、こないだのレッスン、何気ない鼻歌、音程が取れているばかりか、無意識だし、楽しそうだし。 あれ?と思ってお母さんに 「Mさん、きれいにうたってますよね」 と尋ねると、お母さんも驚いたように、 「そうなんですよ。」 と。ああ、おかあさんも気づいてたね。 そのくらいはっきりと変わってきました。 掴

子どもたちはわらう、破壊と創造に向けて

幼児さんのグループワークのとき、 私が、2回間違えたら、 子どもたちがずっこけて大笑い、 なごやかとか、うけたらなんでもいい、じゃなくて 明らかにこれは私の失敗。 まだ、初めて間がない子たちのグループは場が不安定で、 こどもたちは揚げ足をすぐに取ってくる。 可愛いけど辛辣。こどもって破壊も大好きだもんね。 ふざける楽しさのほうにシフトしてしまいます。 そして、いっぺんに空気が乱れてしまいます。 まさか、歌い慣れていた歌を取り違えるなんて 思っていなかったからな。油断してたな。