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utena drawing(音楽を描く) について

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動線で音楽を伝え合えうutena drawing は、生徒とのやりとりに苦労したことからはじまりました。子どもたちにやってみる?というと大喜び。そして何より驚いたのはその効果でし…
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楽譜の点から点の間に何があるか想像してみよう

楽譜には音符にできない音はかけないし、音符があるから演奏できる。 でも、その点と点の間には様々なプロセスが潜んでいる。 時間の経過や 音程の広がり 遠い主音に向かって伸びる道の線上に並ぶ点 膨らんだり縮んだり、弾んだり浮いたり。 音楽の解像度を上げていく役目を持っているのがutenadrawing。 でも、そんなのって難しいんじゃないかと思われるかもしれませんが、 びっくりする位単純な話で、 音楽って 楽譜の点のところだけにあるわけではなくて、 その間を生きてい

歌を育てる

歌を育てる。 たったひとつ、その曲と自分でかなでる歌。 ** どう歌うか。 こたえはもちろん一つではない。 というか、一つとして同じ答えはない。 メロディワークを進めてきて、 参加者さんも私もまだ詰めようがあるよね、 といったところをさらいなおしてみる。 もうずいぶん長くこの曲を通して音楽を模索してきた。 納得がいくまでたった一つのフレーズと対話してみる。 その人にフィットする方向性とエネルギーを、音楽的な美しさを 非言語のドローイングでやりとりしながら探っていく。

きく、ことの深さを育てる

感覚を深める音楽ワーク 自分が音のなかにどのようにしてはいっていくか、 どのようにして、次の音へつないでいくか、 その時の意識のとぎれを修正しながら おとからおとへ。 その移動のプロセスが音楽の根源にはあるはずで それは人の体験そのものでもあるはず。 聴覚と視覚、運動感覚の連動を確かめながら・・ ということは、自分の存在をたしかめながら、ということなんだと思います。 線が描く、音、私の追いかけていくもの。 オンラインワークショップ オンラインでは今まで躊躇していた

のびやさかの習得

グラデーションとコントラスト 昨日、陰影について書いたところですが、 光と影の「あいだ」には、グラデーションと、コントラスト、があるな、どと考えておりました。 utena drawing (動線で音楽を体感するワーク)で主に扱うのはグラデーションになるのかな。光、と影のクリアな差異への体感があってこそのグラデーションでもあるので、そこは地続きではあるのですが。 体験っていうのは、個々人の中で起こるから体験なので、そこも大切にしながら、模索は続きます。 ”光”をあかるい、

音楽の生まれるところ

音楽が生まれ、育つ場所 私は、音楽の生まれ、育ち、形作られていくプロセスの方に興味があって、演奏の出来というのは二の次、という感じなのです。 いや、そもそも演奏というものも、その音楽が生まれ育ってきたプロセスを持っているわけで、そのプロセスを感じることができる演奏を求めている、と言った方が良いのかもしれません。私にとって、どんなにうまくても心動かない演奏もあるし、素朴な歌にききいるときもある、どうもそれは、音楽が「生きているかどうか」なのです。さらに言えば、どんな音楽だって

+−×÷の文字の形の力とu.d

子どもの中から生まれてくる抽象思考への蠢き昨日、生徒が指で「3が3つ」を読み解こうとしていた話を上げたのですが、 それは 言ってしまえば”3×3”ということですよね。 それで、この3と3の間にある × が、動いて見えた、ような気がしたのです。 子どもの仕草のなかに、まだ萌芽として生まれでてこようとしているもの。 動いて見えた、というか、ここにある形の力 方向性、エネルギー。 それが×という形となって現れるときの一瞬前の出来事。 これは、単に記号なのか、単に記号

かたちとちから

久しぶりに開けてみたpinterestHPのほうの整理をしていたら、そこから久しぶりにpinterestの自分のコレクションにたどり着きました。 あれだな、このpinterestは一種のコラージュ療法だったな。 というか、今思えば、私はそういう使い方をしていたな、と、 何を選ぶか、ということが、自分を知っていくプロセスになっていく。 自分の好きなもので満たされていくのは楽しいし、開放されていくのを感じてもいました。 そしていつしか、自分でも思い出せないいつかに、卒業していた

使えそうな画材/「音楽を描く」u.d

まもなくオンラインサークルをはじめてみようと思っています。 音楽のプロセスを動線で体験しながら感覚的に掴んでいくutena drawing をやってみようという会です。今日は使う道具について・・・ utena drawing は音楽の要素を描いて実感・理解するものなので、使う道具は楽器ではなくて、筆記具です。完成品を目標に描くわけでなく、大事なのはなんといっても触感なんです。音楽なのに、筆記具をつかい、描く、なのに、触感が第一の感覚、という・・・・自分で書きながら、改めて、

u.d音楽を描く’オンラインサークル申請しました!

いやあ、本気?と自分に問いながら、でも、ここまで育てたこのツール、大々的に、ではないですけど、それでもエイヤッという感じで、誰かに手にとってもらうために、サークルをはじめます。4月からはじめたいと思います。 音楽を描く’utena drawing についてu.dはutena drawing の略 音楽プロセスを実感するためのツールです。 去年2月までは、私が愛媛から東京まででかけていってはワークショップを開いていたのですが、コロナの流行で休止を余儀なくされています。せっか

音楽とデザイン

音楽は均衡を壊すところから始まります。崩壊して再生し、崩壊してはまた再生し、そして別の均衡へと移行していく・・・程度の差はあれど、音楽は空間が時間にずれ込んでいく、という性質上、どんな音楽でもこの振り幅をやっているものだと思います。 例えば、拍を繰り返すというのは、音楽の一つの特徴ですが、拍というのがすでに、崩壊と再生の繰り返し。 ・・・ ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」の研究記事を書こうとおもって、自分の練習を振り返ってみたりしていました。「亜麻色の髪の乙女」は随分

自然を心に映しとる

音楽と自然現象例えば、麦の穂を渡る風とか、 水がさまざまなシーンで描く動きとか・・・ そんな自然現象と、音楽、ってなにか相通じるものがあるのではないかな、 という考えはもしかしたらそんなに突飛ではなくって、誰もがふっと思ったりするもんでしょうか。 ただ、それはなんとなく、ということで、根拠とかはないし、それに、例えば 「モーツァルトはもっと風のように演奏するのよ。」 という先生の言葉に、それはどうしろと・・・?と戸惑って余計わからなくなって、むしろ、体が固くなってしま

10/01大切な友だちたちへ

にぎやかな日今日は年に一度会えるか会えないかの二人の友人と会って、たくさん話ができて、ありがたいなーと思いました。彼女たちは初めてクレヨンで音楽を体験して共有する、という実験に付き合ってくれた、いわば最初の体験者。普段はそれぞれ違う場所で全く違う環境で生きています。みんながんばってる。 長野で講座をした時の発展プログラムの二人からは、ずーっとラインが届いていて、私は眺めてるだけなんだけど、ずーっとお話しが続いてる。何かよくわからないけれど、それが自分の気力につながっていると

音楽のまえにある”音楽”

幼い子の中で一緒に生きていたもの・・”音楽”・・のこと音楽大学へ行ったけれど見つからなかった”音楽” それを奇しくも垣間見たのが、自分が起こした火事だったこと。 ピアノがならなくなってもなってるものの存在が自分を生かしてくれたこと を、前の記事で書きました。 では、その”音楽”はなんなのか・・・・ 子供の頃から親しんでいた、それは何だったのかな、と思い出したいなと。このnoteで「音楽を描くことはじめ」を綴りながら思い出そうとしてるところです。 今、現在の私はいろんな体験

感じることの先に「私」がある

”私”は動詞だと思う、って変?自己肯定感とか、自己認識、とかいう言葉に少しばかり抵抗感があります。 ことばが悪いというのではなくて、そういった時、イメージするコチラ側の問題なのだと思うんですが。 ”自己”、、言い換えて”私”でもいいんですが、 私、というのが一般的にそもそも名詞であることが、 どうも、「自己意識」を限定づけてしまっている気がする。 音楽に関するいくつかの講座(音楽を描く・音楽リテラシー)をやっていて、 常々感じている、「私」あるいは他者である「あなた」。