6手連弾

10/01大切な友だちたちへ

にぎやかな日

今日は年に一度会えるか会えないかの二人の友人と会って、たくさん話ができて、ありがたいなーと思いました。彼女たちは初めてクレヨンで音楽を体験して共有する、という実験に付き合ってくれた、いわば最初の体験者。普段はそれぞれ違う場所で全く違う環境で生きています。みんながんばってる。

長野で講座をした時の発展プログラムの二人からは、ずーっとラインが届いていて、私は眺めてるだけなんだけど、ずーっとお話しが続いてる。何かよくわからないけれど、それが自分の気力につながっていると感じるのは、なにか、あそこで通じ合ったものがあったからだと思います。それは単に講座のクオリティというだけではなくて、人間関係として、ということなのかも。

愛媛で受けて頂いている受講者さんからありがたい、庭師仕事の協力の声。

そしてずっと受けてみたかった、とおっしゃる初めての受講者さん。

なんか、なんかわからんけど、私コミュ障だし、友達すくな、でも、こんなもんやろ。と思っていた私なのですが、ここんところ、にぎやかで、それが結局クレヨンつながり。誰より救われてるのは私だな。

私が嬉しいのは、それが一方的ではない、ってこと。私もなにかその人の役に立っていると思えるし、そして私も支えられてる。相互にあってこその、実感。

講座を始めた頃のこと

最初、海のものとも山のものともつかないこの講座にお金を払って、受けてみよう、いうのはリスキーだったと思います。こんな私の講座に、ご自身の生徒さんに声かけをして身を投じて参加していただいた方にもほんとに感謝しかない。

私はそういう人たちの胸を借りて、お金まで頂いて(そうでなければ続けていくことはできなかったでしょう。)やっていたのは、実験、だったのかもしれない。とにかく伝え方も不器用で、要領もわるく、なにか問いかけられて初めてその問いに対する自分の準備がなかったことに気がついて考え始める、という感じで、私以外の人の「問い」がこのワークの推進力でした。たった一度きてそれきりの人の体験も全て貴重なこのワークにとっての体験であり、蓄積となって、何が足りなかったのか、どう向き合っていくのか、そういうことを常に「問い」として残してくれていたのでした。

当時、受講者として参加し、継続してくれた人たちは、一応私が教える人で、当人は受講者、という立場ではあるけれど、その受講料は、実際にはこのワークに対する先行投資だったといっても過言ではないのでは、と思います。

そして、いま、それを煮詰めてきたのは他でもない自分だ、という自負は生まれてきています。それから、”私”という個人が個人体験として「音楽が生まれる場所」にこだわってきたことは私にとって財産だった、それを認識することができた、そしてやくだてられる場が講座になりました。

参加していただく人にやっと還元できる講座になってきたと感じるこのごろ。

私に期待しないでください

でも、だからこそ、私は今そうした皆さんに伝えたいことがあります。

すごく、皆さんの期待に答えなきゃと思ってきた。
私は何でも知っている側でなければならないと思ってた。
でも、それは無理です。
私は人の上に立つような立派な人間でもないし、なにかに到達した人間でもありません。何かを期待して、「教えられる」ことを待っていても、そこは空っぽです。私、多分、それに答えてしまうと、つまんない講座になると思います。私のレプリカを生むことには何の興味もなくて私がしてることを理解してもらうことでその人が生むものは私とは全然違うアウトプットになる、そういうのが楽しいと思うんです。

もちろん私は教えます。見えているものの限り、わかったこと体験したことの限りを教えます。時にはそれを押し付けます、違うと思ったことはこれからはもう少しはっきり言っていこうとも思っています。
それは私の役目だから。そこのプロ意識はあるつもりです。

自分の音楽を見据える道具として、私を活用してください。
私は一つのモデルケースです。指導者ではありません。
ここにたくさんの学びがあるはず。
そうしたら体験も演奏も必ず変わってきます。

使わなければ使えない。当然のことです。口を開けて待っていても自分の肥やしにはならないと思います。

不器用だろうと、やり方が分からなかろうと、使ってみることだと思います。私が何をしてきてこれが生まれてきたかというとやっぱりとにかくやってみてきたからだと思います。

わからなければ尋ねればいい。嫌なものは嫌だといえばいい。得るものがないと思えば続ける必要はない。こんな馬鹿なこと、と思わないで、何でも訪ねてください。対話からしか私はあなたを知ることはできない。何がわからないかわからない限り、その先へは進めないのだから。私の顔色も見ても何も答えは見つからないです。

同じように、これを使って誰かに「教える」なんてことはできない、と理解してください。

私に期待しないでください。自分に期待してください。自分を育ててください。
これは私から皆さんへのエールです。

ああ、やっと私ここを手放すことができました。

「音楽を描く」はやったその人のものです。それをその人自身が気がつくってことが次の一歩。

多分、そう、私よりも先にそれを掴んだ人たちがいて、それはもう始まっている、だからにぎやかなのかもと思った今日でした。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!