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あそびは日常か非日常か。

子どもたちの遊びと音楽のことを昨日書いた。
その連想ゲームみたいなもので、
ふと、
遊びっていうのは果たして日常なのか、非日常なのか、
というどうでも良いような、とても大事なことのような
といが生まれてきた。

暮らしの中に息づく遊び・・なんていうじゃないですか。
わらべうた、とか。
私も子ども向けのワークをするときには、
日常に出会うもの、小さな虫や、動物や、お母さんの仕草や
隣のヘンテコおじさん、そんな題材を大事にしている。

でもな。
取り上げている題材は確かに暮らしの中のものだけれども
それがふっと、ここ(音楽室)へきてしまうと
非日常なものが抽出されてきていて
それは、もともと日常の中に紛れ込んでいるのに、
みんな素通りしてしまうようなもので
わざわざ、それを取り上げて、また日常に戻る。
みたいなのが、大事なんじゃないかと。

それは音楽にも通じるものがあると思う。

庭で邪魔になっていた枝をいけたときに余ったのを皿に浮かべてみた。

暮らしとかけ離れたところの例えば大劇場とか、
そういうガチで非日常の芸術性を高めるのは他の人に任せるとして、
私は、日々の暮らしの中での音楽を大事にしたいと思っている。
でもそれは、暮らしを彩ったり、暮らしに浸ったりするのとも
ちょっと違ってるんだな。

いつもと解像度の全然違うカメラで暮らしを見てみるとか。
死んでいるはずの素材の生々しさとか。
はるか彼方から自分家を眺めてみるとか。
なんかちょっとびっくりするような出会い。

日常であっても、非日常。

音楽室の入り口。日常の非日常ワールドへようこそ!



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utena music field

非日常入り口の言葉はこう。
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たとえば人はうたうとき、じっとしてはいません。
時間と感覚と身体。
動きと心と実音。
音楽もまた時間の中で生きています。
演奏をきく人、楽器を奏でる人の
自然なしぐさと音楽とを結ぶ
こまやかな作業。

音楽プロセス体験は
子どもも大人も
初心者もプロも
自分の感覚をとおして音楽を体験し
それを実音に結びつけるところから
はじまります。

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オンラインコミュニティ。今日は ズームの日。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!