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レントな母とアレグロな私

実家での食事がまだるっこしい。

もうやがて90になる母の偉いところは
腰が痛くてもゴミ出しに自分で行く。
段差のあるところで手を貸してもはねのける。(気が強い)
必ず、花瓶に花が飾ってある。
夕方農作業(というより野原遊び)から私が帰ってくる頃に
お風呂を入れてくれている。
花壇の手入れは欠かさない。(もうできません、と言いながら)
お年頃故、同じ話をなん度も繰り返すが、
記憶はちゃんと更新されている。

とにかく元気でいてくれることに感謝しかないけれど、
ただ、食事の支度に時間がかかるので、
まだるっこしくてしょうがない。

ご飯が炊けるのに合わせて焼き物をするとかのタイミングにうるさいし、
そのくせ、出来上がって
ちょっと色合いにネギやパセリを乗せるとか言って、
いつまでも食卓につかない。
これにはこの一手間が欠かせない、という儀式も多いし
思っているのと違う食器を出すと、思うものを出し直す。
作り終わった頃にもう一品作るのに冷蔵庫から何やら出してくる。
そして、いざ食卓につくと、また立ち上がって今度は
漬物を切り始める。
やっといただきますをして、
いつもだいたいおんなじ話を聞いて、
ご馳走様をして、私が洗い物を終わると、
今度は果物を切り始める。
一つ、何か作って、また一つ作って。
足し算的に夕飯の時間が長くなっていく。

私はできれば、食事の時間は短ければ短いほどいい。
美味しいものは、素材が生きてて余計な味がしないもの、それでいい。
家で一人で食べる時は、だいたい何かしながら食べていて、
食べたら、さっさと昼寝して、夕方の仕事に備える。
夕飯は音楽教室の仕事の前に作る。
3品作るとして、3品同時にぱぱぱっと作る。
千手観音のように、その辺は結構器用にやれる。
(ただし洗い物は溜まる)
洗い物は溜まったら食洗機にぶち込む。
朝ごはんの支度は15分。
目玉焼き、生野菜のサラダ、紅茶、パン。
ドライブでどこかで食事とかは時間の無駄なので、
コンビニかお気に入りのスーパーで買ったものでささっと済ませる。

レントな母とアレグロな私の食卓。
カタツムリとキリギリスが一緒に食事してるみたいやな。

人にはそれぞれに持っているテンポがあって、
それは年齢や生活環境にも影響されていて、
それぞれに時間の流れ方やその流れに見合った景色がある。
母の身体から見える時間を想像してみる。
じんわりと景色と時間が揺らぐ。
まあ、どれだけ私が騒々しく見えることか、
もしかしたら、目にも止まらぬ速さで、追いつかないくらいなのかもしれない。


人と音楽。
それは音楽って何?という定義によって変わるだろう。
その人と音楽の間を見ていこうとしているのが
utena music fieldの仕事だと思っています。


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愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!