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うたふ兎🐇宇治 君秋
2024年4月30日 06:27
言葉は一つの意味に人を閉じ込めないでみんなに開かれています。隠喩を追いかける人はもとの意味を知ろうとします。ぼくはその一人でした。たぶん意味から隠喩が生まれるのでなく、ある言葉から別の言葉に飛び移っているのです。そのある言葉だって幾通りもあり得るのです。
2024年4月29日 06:08
世界はあらゆるものがギッシリ詰まっていますがそのうち自分の意のままになる物はごくわずかです。人間はとても広いはずの世界を狭く生きています。意のままにすることと楽しむこととは違います。せっかくの広い世界なのに楽しむのを忘れるともったいないと思います。
2024年4月28日 04:40
われ思う、ゆえにわれあり、といいます。さかさにします。われ思わざれば、われなし。蠟燭の火をふうと一吹き。すると真っ暗闇......ではなく、一吹きする前の世界のまま。それで何か変わるわけではないけれど、肩の力は抜けそうです。肩の力を抜いて今日もジタバタ。
2024年4月27日 07:26
宝とはだいじなものです。自分がだいじにしている宝は他人にとってとるに足らなくても宝です。宝を宝にするのも宝でなくするのも自分です。宝箱にお金や証券や宝石しかないとすれば寂しいです。蓋を開けて夢を見る楽しみのない宝箱なんて。ギッシリ夢を詰め込みたいです。
2024年4月26日 06:48
タイムラインを毎日見ているとみんなそれぞれ心の波のようなものがあるのがなんとなくわかります。ぼくの波も見ればわかるのでしょう。たぶんお察しのようにぼくの波は変動の幅が大きいほうです。それを小さく抑えながら書くからこのような文体として表れるのでしょうか?
2024年4月25日 06:56
ぼくは自分の過去をあまり思い出さないです。過去は消えるにまかせたい気持ちがあります。たまに意図しないフラッシュバックもありますがもう過去のことと思えばホッとします。どこにも立ち止まっていたくない。もちろん根も張りたくない。浮遊するもののけです。
2024年4月24日 06:57
ああ、この曲だった!今まで気になっていたのにたどり着けなかった曲名にたどり着きました。歌詞の手がかりは夕暮れの街とばかり思っていましたが黄昏の街だったのです。曲名は黄昏のビギン。歌手ちあきなおみ。中村八大の曲。永六輔の歌詞。こういう歌詞を書きたいです。
2024年4月23日 06:48
友だちのない人の友だちになろうという言葉が好きです。たとえそれが実現できないことでもそう願った人がいたと思うだけでちょっとうれしい。その人は誕生日に誕生日席に座らせてもらえなくてもほほえんでいるのでしょう。その人の名前はひらがなで書きたいです。
2024年4月22日 06:51
自分の詩歌は言葉のサイコロ遊びだとひそかに悩んでいました。自分は大真面目なのにどうも軽い。しかし感情や意味の押し付けだけはないことに気づいて少し安心しました。言葉をポンと存在させればあとは世の中のものです。泣きながら吹いてもシャボン玉はシャボン玉です。
2024年4月21日 06:37
ぼくらの認識の前の世界はぼくらの認識のうえでは白紙です。そこに意味を読み込んでいろいろな物事が認識の上に登場します。白紙の世界を空とか無とか呼ぶと虚しい感じのイメージです。ビッシリ、ギッシリというイメージの方がぼくは好きです。白紙の世界は充満しています。
2024年4月20日 04:43
ぼくたちは言葉を゙使って生きていて言語のシステムの制約の下にいるように思えます。でも話されたり書かれたりした言葉はポンと存在するだけです。そこに意味を読み取るのは主観です。システムとは自縄自縛のような気がしてきました。長年信じた構造主義が今揺れています。
2024年4月19日 04:34
言葉を話すとは文様を描くのと同じでほかの人がいったん生まれた文様にどういう意味を思い込むかは制約できません。言葉とは願望だ、命令だ、といってもそれは話した人の主観限りのことです。書き言葉も同じです。生まれた言葉は万人に開かれています。
2024年4月18日 06:44
言葉の意味とは話す人や聞く人の一方的思い込みかもしれないと思うことがあります。話すぼくの思い込みと聞くあなたの思い込みとは一致しないで。お互いに一致したとかしないとか思い込むだけで。読み書きでもそうです。ぼくには言葉と意味の話がまたモヤモヤしています。
2024年4月17日 06:53
世界情勢の関心が低い人が多いといいますが、情報が過酷でオーバーフローしている人が多いというのが実態だと思います。その人が受け止められる限界をとっくに超えています。一日を暮らすのに精一杯という気分で心を塗りつぶします。たぶん権力者だってオーバーフローしてます。