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【漫画】『源氏物語』ってどんな話? ー 「雨夜の品定め」にみる紫式部の2つの“仕掛け“ ー

知れば知るほどおもしろい『源氏物語』。今回は有名な「雨夜の品定め」についてのお話です。

「雨夜の品定め」は『源氏物語』の第2帖「帚木ははきぎ」のエピソードなのですが…これがとってもおもしろい!4人の男性たちの会話が活き活きとしていて、それぞれのキャラクターが際立ちます。
会話の中で女性観、結婚観、恋愛体験談などが語られるのですが、「完璧な女などいない」「深く嫉妬せず、ちょっとヤキモチ妬いてくれるくらいがいい」「賢すぎる女を妻にするもんじゃない」といった内容は現代でもありそうな「都合の良い本音トーク」です。

しかし「雨夜の品定め」はただおもしろいだけではなく、その後の物語を方向づける重要なパートでもあるのです。作者・紫式部の2つの”仕掛け”に注目し、その内容を見ていきましょう。


親友・頭の中将による“中の品の女“のすすめ

光源氏が宮中で宿直をしていると、そこに集まる男性たち。彼らは思い思いに恋愛観を語りますが、そこには一つのテーマがあります。
それは「中流の女のおもしろさ」です。

「雨夜の品定め」の冒頭で頭の中将は光源氏に次のように語ります。

取るかたなく口惜しき際と、優なりとおぼゆばかりすぐれたりとは、数等しくこそはべらめ。人の品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るること多く、自然にそのけはひこよなかるべし。中の品になむ、人の心々、おのがじしの立てたるおもむきも見えて、分かるべきことかたがた多かるべき。下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし。

(何もとりえのないのと、すべて完全であるのとは同じほどに少ないものでしょう。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目立たないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思います。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てない。)

紫式部『源氏物語』第2帖「帚木」より
現代語訳は渋谷栄一


ここでいう上流とは、父親が参議もしくは三位以上の上達部の娘のこと。天皇の子どもである光源氏や左大臣の息子である頭の中将もこの階級です。
中流階級は五位以上の者。「雨夜の品定め」に登場する左馬さまかみ藤式部氶とうしきぶのじょうもここに属すると思われます。

下級貴族はそれ以下の者を指しますが、彼らはそもそも内裏に上がれないので(内裏に参上できるのは六位の蔵人と五位以上の者。藤式部氶は六位相当ですが、彼は内裏に上がっているので、何か他の役職を兼ねているのかもしれません)、光源氏や頭の中将とは接点がなかったことでしょう。
頭の中将の「下級の女には興味が持てない」という発言は差別的なように感じられますが、当時の上流階級の者としてはいたってふつうの感覚だろうと思われます。

漫画で描いたように、源氏は12歳で結婚し、「雨夜〜」の時点で(若干17歳にして!)既に、藤壺、葵の上、六条の御息所といった女性と関係をもっているようでした。ところがこれらは皆、上流階級の人たちです。
源氏が「女は上流」と決めていたわけではないかもしれませんが、自身の立場上自然とそうなってしまっていたのでしょう。

それが、「雨夜の品定め」以降そうした枠から外れ、もっと自由に、幅広く女性を求めるようになりました。このことは第4帖「夕顔」でも以下のように書かれています。

かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、ありし「雨夜の品定め」の後、いぶかしく思ほしなる品々あるに、いとど隈なくなりぬる御心なめりかし。

(これまでは中流階級の女が源氏の心を引くようなこともなかったが、あの雨夜の品定めを聞いて以来、好奇心はあらゆるものに動いていった。)

紫式部『源氏物語』第4帖「夕顔」より。
現代語訳は渋谷栄一


紫式部の“仕掛け“1  ー 光源氏を中の品の世界へ

『源氏物語』の作者・紫式部も中流階級の出身です。
彼女は、一条天皇に嫁いだ藤原道長の娘・彰子に仕えるようになりますが、『源氏物語』を書き始めたのはそれ以前のことでした。

夫・藤原宣孝の死後、悲しみを紛らわすために物語を書き始め、1006年の初出仕までに第13帖「明石」あたりまで進めていたのではないかと言われています。それを知人や友人に見せ批評しあっていたところ評判になり、道長によってスカウトされたというわけです。

当然、「雨夜の品定め」を書いたのも出仕前。
この頃の読者がどのような人々だったかはわかりませんが、仮に、紫式部と同じ中流階級の女性たちだと考えてみたらどうでしょうか。

『源氏物語』は、第1帖「桐壺」で、光源氏の父・桐壺帝とその寵愛を受けた桐壺更衣の王朝物語として始まりますが…宮中を舞台とした雅な物語は、中流階級の女性たちにとっては少々遠い世界のお話だったのではないでしょうか。
紫式部自身、この時点で宮廷生活についてどの程度リアルに知っていたのか疑問です。

そこで、紫式部は「雨夜の品定め」によって、やんごとなき身分の美しい主人公・光源氏を、彼女の主戦場であり、当時の読者にとって身近な世界でもある中流階級の世界に引き込みます。
それにより、「格調高い王朝物語」というテイストを残しながらも、読者が共感し楽しめる恋の冒険譚へと展開することに成功したのです。

光源氏が様々な女性を恋愛対象に入れたことで、紫の上や明石の君といった女性たちも、ヒロインとして脚光を浴びられるようになりました。
これによって物語は、序盤で展開された恋の冒険譚からさらに広がり、階級社会に生きることの難しさ、女性としての苦悩と幸福、光源氏の罪と罰など、より深いテーマを扱うことができるようになったのです。


紫式部の“仕掛け“2  ー 格調高い第1帖「桐壺」との対比

もう一つ「雨夜の品定め」に関連して注目したいことがあります。

この記事の冒頭で「『雨夜の品定め』はキャラクターが活き活きとしていておもしろい」と書きましたが…それに比べて第1帖の「桐壺」はどうでしょうか。

「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに…」と始まる「桐壺」は、光源氏を主人公とした『源氏物語』の前日譚とも言える帖。光源氏の親世代のお話です。

父・桐壺帝を中心人物として宮中を舞台に繰り広げられるこの物語は、私たちに「雅で荘厳な物語」「もののあはれを描いた古典文学」といったイメージを抱かせます。内容も、桐壺帝と源氏の実母・桐壺の更衣の悲恋、更衣の死後の悲しみなど陰が濃く、やや硬い雰囲気なのも否めません。

「雨夜の品定め」の登場人物たちと比べ、桐壺帝は多くは語らず、妻・桐壺の更衣にいたっては、ほとんどしゃべることなく死んでしまいます。そのため彼らのキャラクターは掴みにくく共感することが難しい。
『源氏物語』を読もうとして、この帖であきらめたという方も少なくないのではないでしょうか?

けれど私は、少々とっつきにくいこの描かれ方こそ、紫式部の“仕掛け“ではないかと思うのです。

読者が桐壺帝や桐壺の更衣を遠く感じてしまうのと同じように、光源氏にとってもこの2人は遠い人物です。桐壺帝は父親ではあるものの天皇という雲の上の存在ですし、母・桐壺の更衣は源氏が物心つく前に死んでしまうのですから。

そして、この2人のことをよく知らないということが後の源氏の人生に深く影響を及ぼします。
亡き母の面影を求めて父の後妻である藤壺と関係をもった源氏は、晩年、自分が妻・女三の宮を寝取られたときに、かつての父はどのような心境だったのか、自分が藤壺を奪ったことに本当は気づいていたのではないかと悩み苦しむのです。

もちろん、第1帖「桐壺」の格調高さは、主人公が天皇であり舞台が宮中であるため必然的にそうなっただけだと言うこともできるのですが…

私たち読者は、「雨夜の品定め」以降の活き活きとした優れた人物描写によって光源氏たちを身近に感じ、一方で「桐壺」に出てきた源氏の両親を遠い存在として記憶します。
それによって、源氏が母のことを想うときには、彼と同じように母を遠く感じ、父の心境に悩むときには同じように霧の中にいるような気持ちになれるのです。

紫式部は『源氏物語』を書きながら、どうやってこの長大な話を一つの“物語“にまとめあげたらいいか苦心したはずです。
書き始めた時点でどこまで構成を練っていたかはわかりませんが、きっとどこかの段階で、第1帖「桐壺」と第2帖「帚木」の対比に気づいたのではないでしょうか。そして意識的にその対比を生かすように物語を編んでいった…

そんなふうに考えるとますます魅力的でおもしろい「雨夜の品定め」でした。


【参考】

瀬戸内寂聴(2008)『寂聴源氏塾』集英社文庫
倉本一宏(2024)「紫式部とその時代」『歴史人 2024年2月号』ABCアーク


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