惚香

海外俳優や舞台・映画についてのエッセイを書きます。

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最近の記事

明日足の間にちんこが生えていたら

   朝起きて、自分の身体が男子のものになっていると気づき、悲鳴をあげるヒロイン。何度も何度も繰り返されてきた男女の入れ替わりものに、わたしはいつも疑問を覚えていた。  ある日、突然、足の間にちんこが生えていたところで、そんなにショックを受けるものだろうか、と。  便宜上入れ替わりと表現したが、特定の誰かと入れ替わる状況よりも、いわゆる男体化や女体化を想像して欲しい。  まあ、気づいた瞬間に驚くのは分かる。今まで馴染みのなかったものが自分の身体にくっついていたら、それはわ

    • 重力に逆らって

      第一志望の会社の面接へ歩いて行く道で、毎回必ず”Defying Gravity”を聞いていた。 ざっくり説明すると”Defying Gravity”は、オズの魔法使いに出てくる悪い西の魔女エルファバを主人公としたミュージカル『ウィキッド』の中で、最も盛り上がる曲である。ドラマの『Glee』でも歌われていたので、聞いたことがある人も多いかもしれない。自分の持つ力に気づいたエルファバが彼女を引きずり下ろそうとする重みを跳ね除け、文字通り飛び立っていく場面の歌だ。 「お前なんか

      • 劇団四季『オペラ座の怪人』をオリジナル版狂信者が観てきた

        四季ファンの方は不快になる可能性があります。 個人に対する誹謗中傷の意図はありません。  先週、遂に劇団四季の『オペラ座の怪人』を観に行った。  端的に言うと、まあ想像通りというか、正直想像をちょっと下回ったかなと思った。  もっと正直に言うと、ここまで心を動かされなかったオペラ座は初めてだった。  まず、何より、とにかく、嘘くさい。  演劇なんだから当たり前だろうと言われるかもしれないが、そういう問題ではない。  セリフを一音一音はっきり発声しているせいで、めちゃくちゃ

        • やっぱり劇団四季『オペラ座の怪人』の訳にちょっと言わせて欲しい

          まず始めに、わたしは劇団四季公演の『オペラ座の怪人』を生で観たことがないので、今回のこれは純粋に四季の日本語訳に焦点を当てたものです。 観てもないのに語るなと思われるかもしれませんが、ご容赦ください。 ⇒2020年11月に観てきました わたしが『オペラ座の怪人』でいちばん好きなのは、ファントムが確かにクリスティーヌを愛していたのにも拘らず、それまでの人生で人を愛したこともなければ愛されたこともなかったがばかりに、その気持ちを最後の最後、手遅れになるまで表現できなかったところ

        • 明日足の間にちんこが生えていたら

        • 重力に逆らって

        • 劇団四季『オペラ座の怪人』をオリジナル版狂信者が観てきた

        • やっぱり劇団四季『オペラ座の怪人』の訳にちょっと言わせて欲しい

          はじめて舞台を観た日

           コリオレイナスを観ていたら、ふと思い出したので書く。  わたしの初めての観劇経験は20歳のとき、ロンドンで観た『Against』だった。  歌舞伎とかミュージカルとかは行ったことがあったけれど、いわゆる演劇というのはそれまで観たことがなかった。  生まれて初めて向かったイギリスにひとり着いて、最初の日だった。  留学先は北にあるヨークだったから、正直ロンドンに泊まる必要は全くなかったのだが、ベン・ウィショーという素晴らしい俳優がちょうど主演舞台をやっていたので、行かない

          はじめて舞台を観た日

          ギレルモ・デルトロのすすめ

           人生で初めて観た映画は『シザーハンズ』だった。  いや、アンパンマンとかディズニーとかを先に観ているだろうとは思うのだが、幼い頃の鮮烈な映画体験として記憶に残っているのがそれなのである。  そのくらい『シザーハンズ』のエンディングは小さかったわたしに傷を残した。  愛し合う二人がなぜ結ばれないのか。なぜ、何も悪いことをしていないエドワードが町を去らねばならないのか。  愛と正義が最後には必ず勝つ物語ばかりに触れていたわたしに、はじめて、『シザーハンズ』は現実を突きつけ

          ギレルモ・デルトロのすすめ

          『コリオレイナス』の血は我々に降り注ぐ

           主演がトム・ヒドルストンでなかったら、わたしはまず間違いなく『コリオレイナス』を観に行っていなかった。  まあまあシェイクスピア好きの方だと思っているわたしですら、「コリオレイナスって何?」という感じだったのだ。  悲劇か喜劇かも知らなかったし、好きな俳優と好きな作家が組むなら行くか、みたいなノリで観に行った。  こういう流れでトムヒに興味のない人が『コリオレイナス』をスルーしようとしているのなら、非常にもったいない。  とても、とても、もったいない。  大半のシェイク

          『コリオレイナス』の血は我々に降り注ぐ

          グリーングリーン 青空にはわたしが歌う

           小学生の頃、音楽の教科書に載っていた『グリーングリーン』が好きだった。  あまり教科書っぽくない、爽快感に溢れるメロディが好みだったのだと思う。  最近何かのCMでこの曲が使われているので、なんとなく当時のことを思い出した。  曲は好きなのだが、歌詞は微妙だった。  そもそもが小さい頃から父親嫌いなわたしは、「パパとふたりで語り合った」という歌詞が気に食わなかった。  全く語り合いたくないからだ。  クラリネットを買ってくれるのもパパだし、熱い想いを残してくれたのも父

          グリーングリーン 青空にはわたしが歌う

          『刀剣乱舞』 「本丸」に見る可能性

           自分の好きな二次元のキャラクターが三次元の生身の肉体を得た時、あるいは舞台化やらアニメ化やらでオリジナルストーリーが描かれた時、こんなのは違うと感じた経験がある人は少なくないと思う。  俗に言う解釈違いというやつだ。  しかし、公式でそれがそのキャラクターなのだと言われてしまったら、もうできることはほとんどない。大っぴらに気に入らないと表明するのも失礼だし、かと言ってそのモヤモヤを抱え続けることもできず、小さなコミュニティで同志と不満をぶつけ合うしかない。  これを解決し

          『刀剣乱舞』 「本丸」に見る可能性

          レゴはヒーローを救う

           レゴ映画など子供以外に誰が観るのか。そもそも動きも表現も制限されたレゴで映画を作る意味はあるのか。  大ありである。  しかも『レゴバットマン ザ・ムービー』は大きなお友達、ひいては大人こそが観るべき作品だ。  一本の映画としても、数十年に一本と言ってもいい位の傑作である。本作においてレゴの非“人間らしさ”、可動性の制約は、物語の構成にプラスにしかなっていないばかりか、寧ろ本作が内包するのはレゴでなければ成立しえない主題だ。よりリアリティが求められる実写では到達できない

          レゴはヒーローを救う

          結構毛だらけ 猫灰だらけ

           必ず起こると分かっている悪いことは、今にも抜けそうな乳歯と似ている。  例えば落第したのが確実な単位の成績発表や、使い過ぎてしまったクレジットカードの明細、見るからに死にそうな猫。    起きて欲しくはないのに、もうどうしようもないから早く済んで欲しいと、ええい早く抜けてくれと思ってしまう。  わたしの乳歯は今朝抜けた。  去年、猫が死んだ。もうあれから10ヶ月近く経つのだと思うと、本当に時が過ぎるのは早い。あまり、夢を見なくなった。  去年死んだ猫はラグドールの純血

          結構毛だらけ 猫灰だらけ

          ラム・タム・タガーはロックスター

           わたしはつくづく色男的なキャラクターに弱い。  見るからに女たらしそうな登場人物ばかりいつも好きになるので、何も言わなくても、わたしの友人たちはわたしが好きそうなキャラクターをどんな作品でもすぐに当てることができる。  ここまで書けば、というかタイトルを読めばすぐ分かると思うが、わたしの『キャッツ』のお気に入りはラム・タム・タガーだ。  兎にも角にも、ブロードウェイ版のラム・タム・タガーが登場するなり「ミャオ」と言うシーンを見てほしい。(https://www.yout

          ラム・タム・タガーはロックスター

          名前とは

           名前を捨てたいと思ったことはあるだろうか。  わたしはある。  たぶん大抵の人は考えもしないことだろうと思うが、わたしもキラキラネームだからとか、姓名判断で縁起が悪いからとかいうわけではない。名前のことばそのものは割と好きだ。  自分の父親から、名前によって、支配されている感覚があるからである。  人生で他に何か生きているものに名前をつける機会なんて、ペットを飼う時くらいだ。  家族仲が良いのならいい。そういう人にとって名前は親から初めて貰う素敵な贈り物なのだろうし

          名前とは

          スター・ウォーズはわたしをジェダイにもシスにもしてくれないが、わたしはフォースを使うぞ

          『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のネタバレがあります    『スカイウォーカーの夜明け』に対してふざけんなよと思っている。    好きとか嫌いとかいう問題ではない。何をしてくれてんだという気持ちである。  『最後のジェダイ』はわたしをジェダイにしてくれた。わたしはスカイウォーカー家の子孫でもオビワンの子どもでもないけれど、別にフォースを使ってヒーローになるのに血筋は関係ないのだと教えてくれた。  ファンたちが"レイは誰の血を引いているんだ"とセオリーを立てる

          スター・ウォーズはわたしをジェダイにもシスにもしてくれないが、わたしはフォースを使うぞ

          ああ、カイロやカイロ・レンや

          ※『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のネタバレがあります  前にも書いたが、わたしは非常にカイロ・レンが好きだった。  好きになったのは『フォースの覚醒』で、彼が主人公レイに「マスク取れよこら」と喧嘩を売られるも特に怒りもせず、素直にマスクを外した瞬間だった。こんな素直に相手の言うことを聞く悪役がいるのかと、映画館で硬直するくらいの衝撃を受けた。  しかも、マスクの下から出てきた瞳があまりにキラキラしていたものだったから、そのショックはひとしおだった。悪役にあ

          ああ、カイロやカイロ・レンや

          『アナ雪2』を支える「ありのまま」ではないエルサの愚痴ソング『Let It Go』

          ※『アナと雪の女王2』のネタバレがあります  わたしは『アナと雪の女王』の終わり方があまり好きではなかった。すれ違う姉妹に、正体はともかくとして一応の王子、マスコットキャラのしゃべる雪だるまに、明かされる真実の愛。『アナ雪』一作目は正にディズニーとでも言うべき、綺麗にまとまった、おとぎ話そのものといった映画だった。  あれを大好きだった人が、今回の二作目をあまり好ましく思えないのは納得できる。音楽も視覚的にも、前作の方が印象に残るものが多かったのは確かだ。しかし、今作は「

          『アナ雪2』を支える「ありのまま」ではないエルサの愚痴ソング『Let It Go』