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ああ、カイロやカイロ・レンや

※『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のネタバレがあります


 前にも書いたが、わたしは非常にカイロ・レンが好きだった。

 好きになったのは『フォースの覚醒』で、彼が主人公レイに「マスク取れよこら」と喧嘩を売られるも特に怒りもせず、素直にマスクを外した瞬間だった。こんな素直に相手の言うことを聞く悪役がいるのかと、映画館で硬直するくらいの衝撃を受けた。
 しかも、マスクの下から出てきた瞳があまりにキラキラしていたものだったから、そのショックはひとしおだった。悪役にあるまじき、澄んでうるうるとした瞳だった。

 カイロ・レンは異質な悪役である。

 普通、悪役というものには、そうなるまでの理由がある。
 カイロ・レンが師と仰ぐかの有名なダース・ベイダーも、愛した妻を亡くした痛みから闇に墜ちた。もっとも単純なのは世界征服に始まる強欲なまでの欲望だが、カイロ・レンからはそんな欲も大して感じられない。
 建前上そうは言っているものの、彼が本当に宇宙を手に入れたがっているか考えたら、そんなこともなさそうな感じで、本人自身なぜ自分がああなってしまったのかはっきりとは分かっていなさそうである。

 迷いもなく人を大量に殺すような人間に感情移入するのは難しい。ダース・ベイダーがこれだけカリスマ的にもてはやされているのは、彼がその点で完璧な悪役だったからだ。反面、カイロ・レンは非常に人間臭い。「光に誘惑される」とか言ってフラフラしている。
 中身は子どものまま、身体だけやたらと大きくなってしまった大人なのだ。周りに導いてくれる大人がいなかったから、不安と苛立ちで周りのものに八つ当たりしながら、闇の中を独り手探りでもがいている。
 こんなに先が気になる悪役はなかなかいない。大抵の悪役は「負ける」ものなのだから。カイロ・レン自体が悪役として完成されていない以上、負けるも何も、どうなるか見当もつかなかった。


 結論から言うと、カイロ・レンは死んだ。

 ただし、ディズニーがやりがちな「悪いやつ殺して終わり」ではなく、『フォースの覚醒』からずっと執着していた主人公レイと結ばれ、自らの命を犠牲に彼女を救って文字通り消えた。(この二人のシーンも衝撃が凄まじく、正直ファンフィクションが実写化されたとしか思えないのだが、今回は置いておく。)
 レイとのロマンスがあったらいいなと思っていた人間として、またカイロ・レンが少しでも幸せになってほしいと願っていたファンとしては、この上ないほどのハッピーエンドだったのだと思う。

 だから、今、非常に混乱している。
 ただ死んだから、という理由だけでなく、何かどうしても腑に落ちないのだ。

 一晩考えた。
 一晩考えて、これはわたしのカイロ・レンに対する愛情だけでなく、一部ファンから轟々の非難を食らった前作『最後のジェダイ』に対する愛というか信念によるものなのだと思いついた。
 『最後のジェダイ』が批判された理由は多々あるが、その最たるは旧シリーズファンによる懐古主義的意見だったように思う。従来の作品がスカイウォーカー家の物語だったのに反し、八作目ではレイが「何者でもない」と明かされ、旧主人公で光の体現者であったルークの過ちと死が描かれた。
 レジスタンスは悪の権化ファースト・オーダーと同じ経路で武器を手に入れているし、これまでは単純に見えた正義対悪の構図がそんなに簡単なものではなかったのだと提示される。

 ここでカイロ・レンの「過去を葬れ」である。シスもジェダイも帝国軍も革命軍も、そうした古い体系を捨てねばフォースに均等がもたらされる日は来ない。何者でもないレイが主人公としてその役割を担うのは、旧シリーズの縁故主義的物語を終わらせ、生まれや血など才能には関係ないというメッセージを打ち立てているようで感動した。
 カイロ・レンとレイの関係性が魅力的だったのは、双方が加減の差はあっても闇と光の両側面を備えており、それ故にライト・サイドとダーク・サイドのどちらにも属しきれず、居心地の良い家庭とは無縁だったからこそ、二人でようやく一つのバランスが取れるからだった。
 人は常に正しい選択ができる訳ではない。ズルもするし、ムシャクシャして物を壊したくなることだってある。誰もが昔のルークのように前だけを向いて進めるのではない。どんな人にも善悪両方のサイドがある。
 
 彼がベン・ソロとして戻ってくるきっかけになったのは、彼がずっと囚われ続けていた父親の幻影との会話だ。ハン・ソロはフォースを操れないために死後姿を現してこなかったので、カイロ・レン本人が言っていた通り、あれは彼自身の記憶から作り上げられたものである。
 その父親の幻影にカイロ・レンは赦される。何も口にしていないのに「知ってる(I know)」と返す幻に。
 それは彼のただの寂しい願望である。あの時許せていれば、父親が本当は自分が何を言いたいのか分かってくれていれば、と。
 いつからああなったのかも実際はどうだったのかも知る由はないが、ハン・ソロが家庭と育児を放棄して飛び出した過去も、カイロ・レンが彼を殺した事実も変わらず、父親と息子の双方がお互いに贖罪する機会は永遠に失われたままである。

 『スカイウォーカーの夜明け』で「ジェダイのすべて」と自称したレイが一人でパルパティーンを倒し、「スカイウォーカー」を名乗るのは、結局ライトサイドやジェダイが正しいということになる。ライトセーバーを封印しにきたレイを迎えるのはルークとレイアだけだ。スカイウォーカー家の直系たるカイロ・レンの姿はそこにはない。
 これはベン・ソロが今になっても完璧にはライト・サイドに帰ってきていないことを指すのではないだろうか。スカイウォーカー家に迎え入れられなかった彼は、今やどこにも属さず、自らの作り上げた理想の父親の幻影に縛られたままなのではないか。
 レイは「ジェダイのすべて」として一度命を落とし、ベン・ソロに命を分け与えられて息を吹き返す。ラストで彼女が手にするライトセーバーは、シリーズ初登場の黄色がかった色をしている。もしそれがジェダイでもシスでもないことの証明なら、そして自らに息づく闇を否定して光を選んだレイが「フォースに秩序をもたらす者」のスカイウォーカーなら、彼女に命を託したベン・ソロはやはり未だ闇の象徴なのだ。

 わたしが複雑な思いを抱いているのは、カイロ・レンがベン・ソロでもカイロ・レンでもない個人として、そしてレイが「ただのレイ」として受け入れられる場所が終ぞできずじまいだったからである。
 彼のあの本当に幸せそうな顔を見てしまったから、最悪な終わり方だとは糾弾できない。

 けれど、もうどこにも行く場所のなくなってしまったカイロ・レンの居場所はどこにあるのか。この物語で提示された救済の形は死だけだ。

 確かに、カイロ・レンは多くの人を殺めた。その中には罪のない人たちも大勢いただろうし、彼自身の父親も含まれる。でも、レジスタンスもそれは同じだ。彼らはストーム・トルーパーの正体が無理やり誘拐されてきた子どもたちの成れの果てと知りながら、任務のためには容赦なく撃ち殺していたし、もしかしたら捕虜だっているかもしれないのに敵船と見れば爆破する。
 人を殺したのは、間違いを犯したのは、カイロ・レンだけではない。それが『最後のジェダイ』で扱われた問題の一つでもあった。完全無欠清廉潔白な正義の味方など存在しないのだ。

 輝かしい過去を持つ英雄を両親に持ち、おそらくは何不自由ない人生を送ってきただろうにダーク・サイドに落ちてしまったカイロ・レンは、大した理由がなくてもやさぐれてもいいのだと体現してくれているような気がした。
 人の苦しみは本人にしか分からない。レイが「すべてを持っているくせに」と怒りを爆発させていたように、側から見れば何が不満なのだと思われても仕方ない人生でも、当人には愛せないこともある。わたしもカイロ・レンなのだ。

 だから彼には過去を葬って”本当の自分”になり、そして、生きて欲しかった。今作の彼は家族とレイの間で中途半端にベン・ソロに戻り、そのままどこにも属さずに一人で消えてしまった。血を引いているにも拘らず、銀河に平穏をもたらすスカイウォーカーとしてではなく、見捨てられたソロ家の息子として。
 一瞬だけ見せた彼の本当の顔はレイしか知らない。彼が人生で真に幸せだったのも、あのほんの十数秒だけだったのではないかと思う。
 それがたまらなく悲しい。

 わたしの心では未だカイロ・レンがライトセーバーを振り回している。

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