明日足の間にちんこが生えていたら

   朝起きて、自分の身体が男子のものになっていると気づき、悲鳴をあげるヒロイン。何度も何度も繰り返されてきた男女の入れ替わりものに、わたしはいつも疑問を覚えていた。

 ある日、突然、足の間にちんこが生えていたところで、そんなにショックを受けるものだろうか、と。

 便宜上入れ替わりと表現したが、特定の誰かと入れ替わる状況よりも、いわゆる男体化や女体化を想像して欲しい。
 まあ、気づいた瞬間に驚くのは分かる。今まで馴染みのなかったものが自分の身体にくっついていたら、それはわたしだってびっくりする。

 でも、「私は女の子なのに…」とか逆に「俺は男なのに…」とアイデンティティのゆらぎまで感じるかと聞かれると、そこまでではない気がする。
 トイレとか、似合う服装とか、それなりに対応を考えなければならないことを面倒くさいとは思えど、一週間くらいしたら慣れるのではないかと思うのだ。

 そもそも「私は女の子なのにこんなものが付いてるなんて…!」みたいな思考がよくわからないのである。

 わたしは周りに女の子として育てられてきたし、実際ブツもついていない、一般的に女性とみなされるような身体を持っているので、自分は女なのだろうという認識はある。
 しかし、だからと言って“わたしは女性だ”とは思っていない。“わたしは女の身体を持っている”と言う方が、自分の性別のあり方を表すのには、ふさわしい気がする。

 だからアンケートとかの性別の欄では、いつもムムムと思いながら「女」の方に丸を付ける。
 はっきりと「その他」と言えるほど確固たるアイデンティティを持っているわけではないし、身体の性別を聞かれているのならさほど抵抗感はないが、かと言って自分の意見を「女の意見」として扱われるのが嫌なのである。
 例えば「甘いものが好き」に丸をつけたら「やっぱり女性はこうなのだ」と受け取られ、「アクションが好き」に丸をしたら「女性には珍しい」と取られるのに違和感を覚えるのだ。
 そういう意味でわたしは自分のことを女だとは思っていないのに、勝手に「女の意見」にカウントしないでくれ、と思うから素直に「女」に丸ができない。

 最近読んだ本の中で、心の性と身体の性が一致するシスジェンダーの人が、趣味や嗜好とは全く離れた本能的なところで「自分は女/男だ」と感じるのだと言っていて、結構驚いた。それこそ、朝起きたら自分の身体から胸とかが全部消えているくらいには驚いた。
 わたしにはその感覚がない。
 もし、生まれた時から“女の子”の育て方をされていなかったら、社会に“女”の扱いを受けていなかったら、自分が自分自身の性別をどう感じていたかはわからないと思う。大多数の人はそうではないのかもしれない、と知ったのは衝撃だった。

 これは推論に過ぎないけれど、わたしが突然男の身体で現れたところで、友達はたぶん驚きこそすれ大した反応はしないだろうと思う。
 わたし自身の言動や振る舞いもそう変わらないだろうし、やっぱり明日目覚めて足の間にブツが生えていたところで、わたしのアイデンティティは揺らがない気がする。
 そう思うと、余計、書類の性別欄の存在意義がわからなくなるのである。

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