グリーングリーン 青空にはわたしが歌う

 小学生の頃、音楽の教科書に載っていた『グリーングリーン』が好きだった。
 あまり教科書っぽくない、爽快感に溢れるメロディが好みだったのだと思う。

 最近何かのCMでこの曲が使われているので、なんとなく当時のことを思い出した。

 曲は好きなのだが、歌詞は微妙だった。
 そもそもが小さい頃から父親嫌いなわたしは、「パパとふたりで語り合った」という歌詞が気に食わなかった。
 全く語り合いたくないからだ。


 クラリネットを買ってくれるのもパパだし、熱い想いを残してくれたのも父さんである。
 思い返してみると、少なくともわたしの記憶に残っている歌の中に母親の存在感はない(「あのまなざし」って何だ)。
 気に入った曲で女の子が歌い手に設定されているであろう歌詞もなかった気がする。

 教科書の歌の中で、母親は得体の知れない暖かい思い出とか、本当に幼児向けの童謡に登場するばかりで、やはり常に家事か育児をする役割である。
 鮮烈に記憶に残るような特別な出来事の中心であったり、人生で大事なことを教えてくれるのはいつも父親だ。

 気に食わない。

 別に父親が出てきても構わないが、その都度人生について講釈を垂れてくれなくても結構である。


 「この広い世界の誰にも、どういう風に人生を生きろなんて言わせやしないさ」


 これが原曲の『グリーングリーン』の歌詞だ。

 なんだよ、最初からそうしてくれよ、という気持ちである。
 教科書に載っていたのがこっちの歌詞だったら、わたしは胸を張って「グリーングリーン」と大声で歌いながら歩き回っていたはずだ。

 作られた時代が時代なので、全くジェンダーフリーな歌詞かと言われたらそうではないが、かなりハードボイルドな感じの歌詞で、これはこれでいい感じである。
 「生まれた日にママに言ってやったさ 俺がいなくなっても泣くんじゃないよ」なんて現代の人間には作れなさそうな詞だ。
 
 小学生がそんな歌詞を合唱している風景を想像したらちょっと笑ってしまうけれど、ぼんやりとこの世に生きる喜びと悲しみについて父親に教わっているらしい自分を歌わされるよりは、よほどロックである。

 気が引けて歌えなかった小さい頃のわたしの分まで、これから思う存分グリーングリーンと歌っていこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?