名前とは

 名前を捨てたいと思ったことはあるだろうか。

 わたしはある。

 たぶん大抵の人は考えもしないことだろうと思うが、わたしもキラキラネームだからとか、姓名判断で縁起が悪いからとかいうわけではない。名前のことばそのものは割と好きだ。

 自分の父親から、名前によって、支配されている感覚があるからである。

 人生で他に何か生きているものに名前をつける機会なんて、ペットを飼う時くらいだ。
 家族仲が良いのならいい。そういう人にとって名前は親から初めて貰う素敵な贈り物なのだろうし、きっとわたしは何を言っているんだと不思議に感じているだろう。

 名付け親がそんなに好きではない人間からしてみれば、名前とは親からつけられる首輪のようなものである。

 苗字は人を家族に縛りつける。
 でも結婚して苗字を変えれば前の方の繋がりは途絶えるし、はたまた家系の全員が死ねばその家の人間は自分一人になる。
 名前の場合はそうはいかない。「家」という漠然とした大きな存在との繋がりではなく、名前はそれを持つ個人とそれをつけた個人のより深い繋がりである。
 そして改名するのにはより複雑な手続きがいる上に、「結婚したんだ」の一言で済む改姓とは違って、周りへの説明も必要になる。

 その手間をかけてまで名前を変えたいとは思わない。
 別に父親に虐待されたわけでも、両親は離婚もしていないから養育費を払ってくれないとかそういう問題を抱えているわけでもなく、ただまあ色々と反りが合わないのである。そんな感じなので、こんなことを表立って言うのも少し憚られる。
 それでもわたしの名前が父親によって考えられ付けられたものという事実は、切れない関係性を感じさせ、なんだかその従属下におかれているようで気味が悪い。
 だから今の名前をぽいっと捨てて、適当に新しい名前をつけたいなと思うわけなのだ。

 他にそんな面倒臭い感情を持っている人は、フィクションでも見たことがなかった。
 アイアンマンは誇りを持って「アイアンマン」と名乗ってはいるけれど、あくまでもトニー・スタークの方が原点であって、親しい人間からはトニーとかスタークとか呼ばれている。
 フランケンシュタイン博士の孫が主人公である『ヤング・フランケンシュタイン』では、初めは祖父の悪業にまみれた苗字を嫌がって名前を呼ばれるたび「フランコンスティン」だと訂正していた主人公も、最後には「フランケンシュタイン」を名乗る。
 家族とうまく行っていなかったけど最後には和解する、みたいな「善い」主人公の話は挙げようとしたらキリがない。『リトル・マーメイド』、『リメンバー・ミー』、『モアナ』、『ベイマックス』、ディズニー映画は大体そうだ。
 ヒーローになるには家族への回帰が必要不可欠なのである。

 反対に、悪役であるロキは自分が養子だと知ってから、わざわざ自らの忌々しい血筋たる「ラウフェイソン」を使い始める。それは今まで居場所のなかったオーディン家との離別でもあり、氷の巨人を滅した後では彼ただ一人が有する姓である。
 ところが彼が贖罪を果たしたとされる『インフィニティ・ウォー』で、ロキは自らを「ヨトゥンヘイム(氷の巨人の惑星)の王」と称しながらも「オーディンソン」を名乗る。
 ここでもやはり「正しい」家族に属するのがヴィランからヒーローへの必要条件として描かれていると言っても過言ではないだろう。

 そこで異色を放っていたのがカイロ・レンである。
 彼は「ソロ」どころか「ベン」と呼ばれるのすら否定する。「ソロ」以上に両親との繋がりを感じさせるのが「ベン」だからだ。
 わたしはカイロ・レンにめちゃくちゃ共感していた。その思春期っぽいネーミングセンスはさておき、親や家族との絆を断ち切り、自分一人で成立する存在になりたいという彼の願望は非常に身に覚えがあるものだった。しかもカイロ・レンも他者からすれば恵まれた家庭に生まれている。
 彼がレイを羨むのは彼女が苗字を持たない「何者でもない」人間だったところが大きかったはずだ。
 両親が高名であるがゆえに、自身の出自を他人に指摘されることも多かっただろう。ベン・ソロが「自分」であるためには、新しい名前が、「カイロ・レン」になる必要があったのだ。
 

 彼がベン・ソロに戻った瞬間から一言も口を利かないのは、彼がもう彼自身ではなくなってしまったからである。
 ベン・ソロに戻れて良かったね、と純粋に思える人は家族と仲が良い人だと思う。たぶん今作の製作陣もそうだろう。でも、人には生まれた家族に属さなければいけない理由も、親を愛さなければいけない理由もない。
 独立した存在になりかけていた個人としての意味でも、カイロ・レンは死んだ。いや、家父長制とか家族主義とかに殺されたのだ。
 
 カイロ・レンって名前、格好いいじゃん。いいじゃん、十字のライトセーバー。
 わたしはそんなスタンスでカイロ・レンを応援していきたかったのである。
 それができなくなってしまった今、わたしがカイロ・レンを継ぐしかない。ダース・ベイダーに「あなたが始めたことを終わらせます」と言っていた彼と同じに。結局「始めたこと」って何??という感じだけど。
 まあ名前に縛られない生き方を追い追い探すという形で、わたしは生きていきたいと思う。

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