スター・ウォーズはわたしをジェダイにもシスにもしてくれないが、わたしはフォースを使うぞ

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のネタバレがあります
 

 『スカイウォーカーの夜明け』に対してふざけんなよと思っている。
 
 好きとか嫌いとかいう問題ではない。何をしてくれてんだという気持ちである。

 『最後のジェダイ』はわたしをジェダイにしてくれた。わたしはスカイウォーカー家の子孫でもオビワンの子どもでもないけれど、別にフォースを使ってヒーローになるのに血筋は関係ないのだと教えてくれた。
 ファンたちが"レイは誰の血を引いているんだ"とセオリーを立てるのに必死になっているさなか、「何者でもない」とバッサリ切り捨てていたのが最高にクールだった。
 加えて、レイの両親が何者でもないばかりか、酒代のために娘を売ったクズだった衝撃的な事実も、ヒーローの出自としては珍しいものだった。親は子どもを愛すもの、愛されなかった子どもは捻くれる、そんな"親の善性は遺伝する"みたいステレオタイプの血統主義をも『最後のジェダイ』は破ってみせた。

 それにローズがいた。
 こんなハリウッド大作にアジア人で、しかも女性のキャラクターがメインで出てくるなんていう体験をわたしはしたことがなかった。
 さらに髪を変な色に染めてもいないし、さらさらロングヘアでもないし、変に早口でしゃべるオタクキャラでも、みんなから疎まれるガリ勉でもなかった。他の人種が演じていてもさほど違和感はないキャラクターだったと思う。
 確かにローズのキャラクター構成は完璧だったとは言えないけれど、それでも好きなハリウッドの超大作に比較的まともなアジア人キャラクターが出てきた事実は、わたしを勇気付けた。

 そして話がどこまでも現実的だった。
 戦争に正義の味方はいない。それに加担した時点で、人を殺めた時点でどちらの側にも否はある。悪役に肩入れしがちなわたしは、レジスタンスが躊躇なく相手を倒しながら、勝った時には肩を抱いて喜んでいる様とそれがハッピーエンドとして描かれている構成に薄ら寒い思いを抱いていた。
 フィンのようなストームトルーパーがいると知りつつも、説得を試みるどころか出会い頭に撃ち殺していく姿は矛盾している気がしたのだ。
 何よりも、あたかも宇宙には完全に悪い人間と良い人間しか存在しないような世界観も腑に落ちなかった。わたし達が住むこの世界にはDJみたいな人間の方が多いはずである。戦争に加担も抵抗もせず、自らの利益を最優先する人間たちの方が。
 そんな世界で正義のために戦ってくれと呼びかける過去の英雄の声は、誰にも届かない。

 光には影がつき従うように、善がある限り悪もなくならない。
 それこそがフォースにバランスがもたらされてこなかった原因であり、これは闇にも光にも染まりきれないカイロ・レンの扱いに懸かっていると言っても過言ではなかった。
 「何者でもない」レイと、英雄の息子でありながら闇に堕ちたカイロ・レンの関係こそが新しいフォースのあり方をつくるはずだったのだ。

 旧スター・ウォーズシリーズが触れてこなかったこうした問題を『最後のジェダイ』は「過去を葬る」ことで解決しようとしていた。



 しかし、完結篇であるはずの『スカイウォーカーの夜明け』はこれら全てを放り出して、ノスタルジアに向け全力で走って行った。
 
 未だに何だかよく分からないパルパティーンが「なぜか」復活し、レイは彼の孫ということになった。
 脚本も酷い。クソである。せめてパルパティーンの帰還に論理的な理由でもつけてくれれば少しは納得できたものを、文字通り「”なぜか”生きていた」とキャラクターに言わせるのは無責任以外の何物でもない。
 そしてレイの両親はやっぱり実はいい人で、娘を助けるために奴隷として置いて行ったらしい。絶対にもっといいやり方があったはずである。レイア・オーガナを見てみろ。つまりはレイが持つ善の心さえも、彼女が自ら選んで勝ち得たものではなく、両親から受け継いだものだったわけだ。
 パルパティーンが死ななかった謎に理由はいらないのに、レイの”強さ”には理由がいるのか。
 結局フォースを使うのには、才能に恵まれるのには、血が必要だと言っているのである。それさえあれば、いつだって死から復活しても構わないのだ。まるで上級国民ではないか。クソでしかない。

 前作でファンを名乗る差別主義者たちから散々な扱いを受けたローズは画面から消えた。一分とちょっとしか出演時間がなかったそうだ。 『最後のジェダイ』でローズに自己投影した子どもたちはどう思うだろう。やっぱりアジア人なんて端っこのモブなんだなと感じてしまうに違いない。
 これが人種差別とルッキズム以外の何であるのか。ローズが美人な白人女優に演じられていたら、絶対にこんなことにはなっていなかったはずだ。
 製作陣側がそんなくだらない”ファン”の暴言に従ってどうするのだ。それさえも捻じ伏せるくらいの活躍を与えてやればよかったではないか。
 実際あんな名前も覚えられずにエンドロールを迎えるような新キャラを二人も出すくらいなら、その分をローズに分けろという話である。クソだ。

 その新キャラのうち一人はフィンと同じ元ストームトルーパーで、もう一人の方が住んでいた惑星では正にストームトルーパー要員としてファースト・オーダーに連れ去られる子どもたちが描かれていたが、フィンもポーもレイも相変わらず敵に対して西部劇レベルの早撃ちをしていた。
 ついさっき目にした子どもたちの成れの果てだというのに、一瞬も迷わない。敵の艦隊にはあの子どもたちも乗っているかも知れないのに、一つ残らず爆破させていく。洞窟の中にいた蛇は自分の命を分けてまで助けても、ファースト・オーダーに属する人間に見せる情けはないらしい。なぜなんだ。
 
 クレイトでレイアが呼びかけた時には誰も助けに来なかったのに、ランドとチューバッカが呼びに行ったら空が覆われるくらい大量の船が助けにきた。ほとんどは戦闘船ですらないのに。ひねくれたわたしからすれば、男が呼びかけたら来るのかよと思ってしまう。
 冒頭でファースト・オーダーの情報を流してくれた宇宙人は、何の見返りも求めず「戦争に勝て」とだけ言い残す。
 この宇宙は急に善人ばかりになったのだろうか?

 悪役だったカイロ・レンは死んだ。ライトサイドのベン・ソロとして。
 けれど彼はベン・ソロになってから一言もセリフを発さないのである。まるでベン・ソロとしての彼の役割はレイを助けることだけだったとでもいうかのように。
 製作陣が自分たちでさっぱり改心させてしまったカイロ・レンあらためベン・ソロの扱いに困ったのが目に見えるようだ。
 結局フォースのバランスにはジェダイさえいれば問題なかったらしい。だったらそもそもアナキンの話は何だったのだろう。ジェダイ総出で帝国軍を潰せばよかったのではないか。そのためにアナキンが必要だったと言うのなら、彼が"選ばれた人間"なのはただめちゃくちゃ強かったからなのだろうか。
 しかもカイロ・レンの死は誰にも悼まれない。キスまで交わしたレイはけろっとしてレジスタンスに戻るし、彼をダークサイドに堕とした原因の一つたるルークも、彼の実の母親であるレイアも、まるでそんな人間は存在しなかったみたいな顔をしてレイをスカイウォーカーとして迎える。
 カイロ・レンは物語の駒のベン・ソロになって消えて行った。


 こうして『スター・ウォーズ』は旧作ファンのノスタルジアとエゴの塊に終わった。『最後のジェダイ』で提示された問題はまだ山積みだ。
 こんな宇宙世界は間違っている。一部の人間による圧力で別の人間が隅に追いやられるなどあっていいはずがないし、悪い人間なら殺していいはずも、かといって世の中に良い人間ばかりがいるはずもない。

 そう、間違っていて当然だ。これは旧ファンたちの絵空事なのだから。

 あの世界にはアジア人もいれば、レジスタンスにもファースト・オーダーにも属さないDJもいるし、無理やりストームトルーパーに訓練される奴隷の子どもたちも、血筋に関係なく能力を持つ人間もいる。現実と同じに。
 『スカイウォーカーの夜明け』はこれらの人々をなかったことにしたが、わたしが住む世界ではそうもいかない。
 スカイウォーカーの出現に期待などしていてはいけない。フォースにバランスをもたらす方法は我々が自分たちで考えねばならないのだ。 
 であればこそ、わたしは自分の意思でフォースを使うのである。現実を見て、物を動かし変えていくフォースを。
 『最後のジェダイ』のエンディングに現れた少年は、わたしたちであるはずなのだ。

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