ギレルモ・デルトロのすすめ

 人生で初めて観た映画は『シザーハンズ』だった。

 いや、アンパンマンとかディズニーとかを先に観ているだろうとは思うのだが、幼い頃の鮮烈な映画体験として記憶に残っているのがそれなのである。

 そのくらい『シザーハンズ』のエンディングは小さかったわたしに傷を残した。

 愛し合う二人がなぜ結ばれないのか。なぜ、何も悪いことをしていないエドワードが町を去らねばならないのか。
 愛と正義が最後には必ず勝つ物語ばかりに触れていたわたしに、はじめて、『シザーハンズ』は現実を突きつけてきた。実際の人生では、愛が万能ではないこと。必ずしも正しい人が認められるわけではないこと。
 
 もしかしたら、あれがあの“全てが違う”二人にとっての最善のハッピーエンドだったのではないかと納得できたのは、高校生になってからだ。
 大人になった気分だった。
 人生の不条理を受け入れる、それがすなわち大人になること。そういうふうに考えていたのだと思う。


 ギレルモ・デルトロはその不条理にずっと立ち向かってきた人である。
 
 デルトロ監督の映画には毎回必ずモンスターか幽霊のどちらかが出てくる。
 『パンズ・ラビリンス』のパンやペールマン、『デビルズ・バックボーン』『クリムゾン・ピーク』の幽霊に、『ヘルボーイ』。製作を担当している『ママ』や『永遠のこどもたち』にも幽霊が出てくるが、共通していることが一つある。
 デルトロ作品の中で、悪いのはいつも人間だ。

 フィクションの中で、悪いやつは大体醜い見た目をしている。
 映画の中でモンスターが出てきたら大半の観客は主人公の敵だと思うだろうし、それが倒されたり殺されたりしたところで、悲しむ人は劇中でも現実でもほとんどいない。
 幼い頃からデルトロさんはそうしたモンスターたちが大好きだったらしい。(わたしは親愛の情を込めて、ギレルモ・デルトロをデルトロさんと呼んでいる。)6歳の頃に『フランケンシュタイン』(1931)を観て、かの怪物の純粋さに、キリストのような救世主の姿を見たそうだ。

 デルトロさんの作品には、夢に出て来そうな恐ろしいビジュアルをしている幽霊がわんさか出てくるが、ひとたび映画を観終わると、あれ怖かったな…と思い出すのはいつも人間のキャラクターの方である。幽霊たちはただそこにいる残留思念のようなもので、主人公に何か伝えたがっていたり、助けてくれたりする存在だ。怪物たちも、見た目が変わっているだけで、前述のフランケンシュタインの怪物みたいに心根はピュアな人(?)たちばかりである。
 いかにもな醜い生物たちに責任転嫁せず、人間たちを悪役に据えているのが、デルトロさんの映画が実はとても現実的であるところだと思う。
 

 デルトロさんの世界はとにかく優しいのである。
 彼の映画に出てくる主人公は、多くが夢見がちな女性だ。
 本や創作物の世界に惹かれ、周りからは浮いていると称されるような人たちを、デルトロさんは非常に好意的に描いている。普通だったら彼女たちが内面的に成長して、それら“偽物”の世界を捨て、社会的な生活に参加していく流れを作りそうなものなのに、デルトロさんはそうしてフィクションに“逃げる”ことを絶対に否定しない。
 むしろ、物語の終わりには彼女らに合った世界が新たに用意されるパターンが多い。

 それは、時に死という形で描かれる。
 ハリウッド映画の中では異質と評してもおかしくない。特にキリスト教の根付いた文化圏では、死は基本的に罰として与えられるものであり、自殺しようものなら地獄行きは免れないのが常である。留学中に取った映画の授業で『パンズ・ラビリンス』を扱ったとき、あれをハッピー・エンドだと思うかと聞かれて手を挙げたのは、わたし一人だった。
 デルトロさんは、フィクションの世界に生きるのを選ぶことと同じくらい、死を選ぶことに対して肯定的である。たとえ他の人たちや世間がどんなに非難しようとも、デルトロ映画の中では “逃げる”ことは救済になり得るのだ。
 この世界で生きるには優しすぎて、あるいは純粋すぎて、もしくはただ生きていくのが辛くて、もうどうしようもなくなった人たちへ、デルトロさんは死を架け橋に、彼らを受け入れてくれる新たな世界を提供しているのだと、わたしは思っている。
 

 二年前のあの日、『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て、肩の荷が軽くなった心地がした。
 わたしは心のどこかで、『シザーハンズ』のあの二人が一緒に幸せになれる未来を、ずっとずっと、探し続けていたのだった。
 愛は全てを解決しない、と冷笑的な態度を取るのが大人になることなのだと思い込もうとしていた。あの二人は“違う”から別れなければならない。そうやって不条理を受け入れるのが格好いいと思っていた。だから、あの二人の幸せを願うのは幼稚なことなのだと思っていた。
 本当は個々の違いなんて、デルトロさんがオスカーの授賞式で言っていた通り、「砂の上に書かれた線」と何ら変わらない。わたしたちが消そうと思えば、すぐに消せるものなのだ。
 わたしは、デルトロさんと違って、ただあの二人の幸せを諦めただけだった。

 ギレルモ・デルトロの描く世界が優しいのは、彼自身がその趣味や移民という背景から異質なものとして周囲から除外され、色々な経験をしてきたからだと思う。だからこそ彼の映画はどんな人でも受け入れてくれる。
 デルトロさんの作品を支えているのは愛なのだ。怪物への愛、フィクションへの愛、そしてそれらを愛する、もしかしたら一般的には“弱い”と言われる人たちへの愛。
 それらが創り出す世界は、得体の知れない神さまが創った一部の人間を迎え入れない楽園よりも、よほど受容的で寛容で暖かい場所のような気がするのである。


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