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10月3日(水)22歳になった。何者にもなれないことを嘆くのはやめよう

22歳になりました。もう21だろうが22だろうがただの記号だよね、と思いつつ、生きているだけでこんなに「おめでとう」と言ってもらえることは素晴らしくありがたいことです。ありがとうございます。⠀

振り返ってみると、21から22までの1年間は私が「おさないみはる」という人間以外の何者でもないことを認めるための期間であったと思うのです。


才能がないことを認める

ハタチまではどんどんどんどん近づくタイムリミットに怯えていた。でもまあ22にもなると、自分にスター性が無いことを受け入れることが、やっとできるようになってきた。

20歳になったら例えばわかりやすく、お酒が飲める、タバコが吸えるなどたくさんできるようになることはあると思うんだけど、それよりも何者でもないまま10代が終わっていくことが恐怖だった。20歳になった年に『POPEYE』の「二十歳のとき、何をしていたか?」という特集を読んで、私のこの1年がいつかこうやってストーリーとして求められる日は来るのか?なんて本屋で泣きそうになったり。小松菜奈様のハタチの時と私の今を比べてガチで泣いた。


自分の人生について考える

今思うと、20歳になるまでの私は見つけてもらうための努力を何もしてなかった。歩いているだけで目を引くスタイル、みたいな外見でわかるものでなければ、どんな才能でもきちんと外に出さなければ見つけてもらえやしない。

ましてや、飛び抜けた何かを持っていない私は、私なりの生存戦略を考えなければならなかった。さっさと自分のことを考える必要があったのに、他人の人生に憧れてばかりいた

海外に住み始めると、人間関係がゼロになって、あんまり日本の情報も入ってこなくて、こうやってnoteも書いていて、必然的に自分のことを考える時間が多くなって。

ある時ふと、今まで私は自分の人生を幸せだと思ったことがないんじゃないか、と気づいてしまった。ずっと何者かになりたい気持ちに支配されていて、ああなりたいのにそうじゃない、近づくために努力もできない、自分のダメさに嫌気がする......という悪循環。これではいつまでもスターにはなれない。


私らしく生きていく覚悟を決める

そういうわけで、そろそろ他人に憧れることをやめないと、いつまでも幸せになれないということにやっと気づいた。カンボジアに来るという選択をして、本当によかったと思う。

休学してカンボジアで働くなんて、誰にお願いされたわけでもなく、全部自分で決めたことで。大体なんで休学?しかもなんでカンボジア?って突っ込まれる経歴を作ってしまったことで、だんだん少しずつ、私は私らしくスターを目指すしかないんだなって覚悟が決まってきた。

猛スピードで人生上り詰めて27歳で死ぬとかに憧れてたりもしてたけど、私はどうやら命を燃やせるような人間ではないし。とにかくいろんなことに手を出して、打ちまくっている点がいつか繋がる日まで生きるしかない

22歳、健康第一で生きます。どうぞよろしくお願いします。

P.S最近のテーマソングはこれ。女王蜂最高。



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