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リハビリテーション5
みんな少しづつ、誰かに似ている
リハビリテーション4
日によってコンディションに差があることはよくある。ここ最近はずっと腹痛だ。同じペットボトルを使い続けていてうまく洗えていなかったのだろう、多分これが原因だ。最近は日差しが強い。今日は何も、ということもあるが、それでも少しづつでもやることにした。
友人と話しているとだんだん良くなっているかのように感じる。彼と話していると自分がとても喋り上手なようにすら感じる。不思議と不安感がなくなる。
ここまで
リハビリテーション3
良くなっているのか悪くなっているのかわからない。ただ毎日が忙しくなってきて、悩む暇すらあまりなくなってきたのは確かだ。そして悩む時間があまりないことを少し疎ましく思っていることにも最近気づいた。悩みたいのか。悩んでも悩んでも何も産まないことはわかっているのに、なぜ悩みたいのか。考えることでなにかが変わると思っているのかもしれない。ある悩んでいる事象があり、その事象を考え続けることがその事象を解決す
もっとみるリハビリテーション_2
コードが動く。目の端を踊っている。ずっと書き続けることはできない。記憶がフラッシュバックして邪魔をする。動けない。動けない。
大事にするってなんだろうか。大事なものはなんだろうか。大事かもしれないものを唾棄した。2日経って後悔と安堵。見てほしい。乾きがあった。それだけだったのか。確かめることはできない。もう遅い。
くらい。スコールの10秒前。昼時にもかかわらず、空が黄色がかった灰色になり、鳥が
リハビリテーション_1
リハビリの記録.
・句読点をつけると怒っていると感じる人がいるらしい。
・だいぶこの国にも慣れた。結局どこに行ってもやっていることは対して変わらない。
・Tくんとの会話はとても面白い。とてもひねくれているが、それでいて持ち前の地頭の良さが随所で光る。少々会い過ぎな気もするが。
・だんだんMとも話すようになってきた。一方で彼の英語にはまだなれない。もう少し練習しなければ。
・Hとも毎週二回
理工系の西洋美術史メモ
※理工系の学部に所属している筆者が西洋美術史を学ぶ上でメモとして残しておくものです。如何せん独学なので間違い等ありましたらご教授願います。いずれは文章としてまとめてアウトプットしたいと思っていますが、とりあえずはメモということで箇条書きで書いていきたいと思っています。主に19世紀以降を中心とし、国でいうとフランスをメインターゲットにやっていきたいと思っています。動機としましては個人的に興味があった
もっとみる勿論全く個人の意思がなかったというわけではないだろうけど、社会的にそれはそこまで重視されていなかった。彼らの意識には総体としての自分があり大きな人類装置の歯車が自分だった。今はそうではない。どちらの方が幸せに思うかは一人一人全員違う。
やりがいがある仕事主義、あなたのしたいこと至上主義はいつから本格導入されたんだろう。90年代くらいまでは私たちは個人というより家を存続させる装置として生きていた気がする。ほつれ始めてるけど今の中国も多分そう。その時の私たちは大きな国家生物の細胞の一つに過ぎなくて極めて動物的だった
日本国外に出てアイデンティティの重要性を感じて帰ってくる人もすごく日本的なのかもしれない
そもそもグラデーション的な自他観の日本は向こうがそう言うならそうするみたいなカメレオンっぽいところがあるなと思うので、感化される部分もめちゃくちゃ日本人。逆に変わらないで帰ってきた人は西欧的
自らのアイデンティティの所在はどこだ、ってアメリカ(ヨーロッパもそうかも)だと言われて、そう言われて日本に帰ってきた人たちは大体アイデンティティを持たない日本人には問題があるって口を揃えていっている
でもその内部と外部を分けないグラデーション的な自他観が日本的なのかも
人はいつから〜〜さん、から〜〜のお母さんになるんだろう
多分それは子供が生まれた時だ、と多くの人は思うのだけど、そうやって自分がいつの間にか自分一人ではなくなる感じって何かとても貴重な体験な気がする