理工系の西洋美術史メモ
※理工系の学部に所属している筆者が西洋美術史を学ぶ上でメモとして残しておくものです。如何せん独学なので間違い等ありましたらご教授願います。いずれは文章としてまとめてアウトプットしたいと思っていますが、とりあえずはメモということで箇条書きで書いていきたいと思っています。主に19世紀以降を中心とし、国でいうとフランスをメインターゲットにやっていきたいと思っています。動機としましては個人的に興味があったメディアアートの源流を、テクノロジーではなくアートの文脈でも理解できればと思ったからです。これからちょくちょく更新していければと思っています。
・19世紀以前のヨーロッパではアカデミックな美術のあり方が中心であった。王立の美術アカデミーで育てられた美術家が官立の公募展に作品を出展することでアカデミズムの世界に受容され、賞をとっていくことで公的私的な仕事の依頼が増える。そして最終的には美術アカデミーの会員となることが美術界における名誉だった。(外側から見た感想だがこれは今の東京芸大を中心とする美術界の構造に似ている気がする)
・こうしたアカデミックな形の美術のあり方が19世紀以降変容していく。アンシャン=レジームの崩壊がおそらく原因。アカデミズムに依存せずコーヒーハウスで美術に関する話を市民がしたり、作家が自ら個展を開いたりなど美術が貴族や権力者だけのものではなくなっていく。ここら辺で美術批評家や画商、コレクターが作品を評価して作家と作品を社会認知させ、それを売買するといった形式が生まれる。そしてこの形式は今でも続いている。
・19世紀、写真の誕生。アール・ヌーヴォー。オリエンタリズム、ジャポニズムから受けた平面への指向と装飾を重視する風潮。primitivism。
・ダヴィッド、アングルに並ぶ新古典主義。王政の打倒によって共和制を打ち立てる過程でローマ共和制への憧憬があり、古典への回帰があった。アメリカ建国(1776)の際にもその影響は根強く、この当時建てられたアメリカ東海岸の建築には新古典主義の影響力がある。
・↑新古典主義に対抗するような形で、個人の感情だったり人間の内奥や人間が作り出すものに美を見出すようなロマン主義が生まれた。ドラクロワ対アングルというような構図が生まれる。
・七月王政の末期新古典主義も限界に達する。ダヴィットは亡命し、弟子のグロは自殺してしまう。
・レアリズム、1844クールべのデビューで
・1830年代アメリカ ジャクソン大統領の元で急激な民主化(全ての成人男性に選挙権など)が進み、西部開拓が本格化する アーヴィング「アメリカ建国史」⇦アメリカ独自の文化の萌芽
・エマーソン 超絶主義。人間と神と自然は一体とし、人間精神の無限の可能性を探求する。社会や自然と向き合い個人の内面を深く探る個人主義。
・コール、デュランドらアメリカの風景画家の誕生
・イタリアでは相次ぐ周辺諸国の戦乱によってなかなか統一国イタリアとしては存在し得なかった。かろうじて文化の発信地としてローマはその地位を保っていたものの、フランスの圧倒的な芸術文化の前では少し影が薄い。しかしナポレオンの登場から一つの国としてのイタリアが誕生するとイタリア人の中にも国民国家意識が芽生え始めるようになる。
・イタリアではフランスのような絶対的なアカデミズムが美術の世界においてそこまで強くなかったため、新古典主義からロマン主義への移行が比較的スムーズに進んだ。フランスではアカデミズムの否定である新古典主義とそれからさらに脱却するロマン主義とでは対立がある。しかしその点おそらく外部から輸入された形で二つの主義が入ってきたイタリアではそこまで両者間に対立がなくスムーズな移行が成立したのではないだろうか
・イタリア建築家カノーヴァ。それまでの神々の肉体美などを表現したものから祈りなど人間の内省的な部分に焦点を当てた作品制作。かつての神々の礼賛から肉体がいつでも精神と分離しうるというような表現も現れる。
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