リハビリテーション_2

コードが動く。目の端を踊っている。ずっと書き続けることはできない。記憶がフラッシュバックして邪魔をする。動けない。動けない。

大事にするってなんだろうか。大事なものはなんだろうか。大事かもしれないものを唾棄した。2日経って後悔と安堵。見てほしい。乾きがあった。それだけだったのか。確かめることはできない。もう遅い。

くらい。スコールの10秒前。昼時にもかかわらず、空が黄色がかった灰色になり、鳥がざわめき始める。雨がふる。強い雨がふる。ここの雨には力を感じる。有無を言わせない何かと圧倒的な支配。意思。そして人工的な都市国家。意思と支配に降りかかる超えられない支配の象徴。風と木々が囁いている。

何が正しいか。正しさとはなにか。正しさには色んな意味が込められている。時の支配者の自己都合。倫理。本能。美的感覚。正しさとはなにか。科学は正しい。それはある条件で何かが起こるか否か、というその一点において正しい。ルールは正しさを規定する。ルールの中にいる限り我々は迷うことはない。人間は自らの感じる本能と集団統制の両軸をかけあわせてルールを形成してきた。そしてモードが違えば正しさは変わる。僕は自分のモードにおいて正しいことをしただろうか。どのモードを信仰するかによって、あなたは罪人にも英雄にもなる。僕は罪人だろうか。罪人だろう。罪を償う必要がある、と僕の信仰心はいう。人は僕には罪はないという。それは現象だったという。雨のように、スコールのように、ルールで固められた都市国家の上に降り注ぐ、異なるモードの災害のように。罪に問えないものは罪ではないという人もいる。自然を罰せられるか。無理だ。僕の人間的な本能と現象を罰せられるか。無理だという人がいる。それを罰したら人はみな罪人だからだ。原罪とはよく考えたものだと思う。

雨が強くなる。強い。言葉がまだ上手く出てこない。手も動かない。視界はだんだんぼやけてくる。記憶も曖昧、ただ孤独だけが強くなる。大事かもしれないものを自ら捨てた。2つも捨てた。同じ大きさではないけど、捨てたことは間違いない。

社会は、人間の本能は、踏み出さない人間を許さない。前を向け。お前にはまだ未来がある。これから楽しいことがあるかもしれないじゃないか。いつまでもくよくよしていないで元気だせよ。半年もそんな調子なのか、いい加減酒でも飲んで忘れろよ。誰も気にしていないよ。もう忘れているさ。
人間万事塞翁が馬。これは悪いことがあっても気にしすぎるなと言うことだと一般に言われているし実際そういう意味だと思うが、違う気もする。いいことがあろうが悪いことがあろうが、大したことはない。何が起こっても全ては移ろっていく。だからいいことにも溺れるな。悪いことにも溺れるな。感情に溺れるな、ということなんじゃないか。

仏教でも感情に溺れることは悪いこと、のようなイメージが有る。煩悩から離れるのが仏教の一つの目標でもある。煩悩を肯定する文化が最近はたくさんある。人生は短いというが80年近くあるのだ、煩悩に溺れる楽しみを楽しみとして肯定する人間がいてもおかしくない。煩悩を良いと捉えるか、そして苦しみを苦しみとして受け止め続けることを良いと捉えるか、これは信仰するモードによる。前向き思考、ポジティブ思考、第一印象が大事です。酒を飲んで楽しみましょう。好きなことをして、本能に反することはやめましょう。

煩悩からの解脱を唱えた教えから2500年近く、最後のアダムが処刑されたから2000年近く経って、我々は再び動物になっている。動物だ、皆。本能に動かされた動物なんだ。そして僕自身もそれから逃れられない。いやだ、いやだ。本能を抜き去ったら人間ではなくなるだろう。何もなくなる感覚を忌避している自分もどこかにいる。逃げようがない。

リハビリテーションは後退している。動かない。動かない。動かない。うごけ。

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