自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その2
上記の写真で懐かしさを感じるが、こんな自分でも、幼い頃の夢は”国際A級モトクロスライダー”になり、アメリカのスーパークロスや世界モトクロス選手権大会などに挑戦してみたかった”純粋な”子供だった。
だからといって、誰もがなれるわけじゃない!
すぐさま”現実論”しか考えられないオイルショック期に物心ついていた自分は、
「モーターサイクルのマシンそのものを触れるようになりたい!」
メカニックも難しいとわかっていたので、レースに出る人達のお手伝いをしてみた。
それが、とても楽しくって!その後、プラモデル、ラジコン製作も覚えるし、それ以前から、紙工作を古新聞から・・・爪楊枝や割り箸、竹をもらっては、串や柱、へら状にして、手作りの模型や和凧も作っていった幼子であった。
また、両親の故郷は山深い所でもあり、天然のスギ材や真竹などを使い、自家製の風車、水車、そして簡易型の”発電装置”も手作りした(羽根、ファンを作るのは、とても苦労した)なあ~
これらに飽き足らず、ついに「電子工作」の世界へと興味を広げていった。
この頃ぐらいになると、家庭用卓上小型端末テレビゲームが、任天堂から発売されていた(ゲームウォッチシリーズだったと思う)が、実兄が買っていたぐらいの記憶しかない。
そんな自分は、コンピュータそのものがあっても数百万以上もする時代であり、ゲームセンター(ブロックくずしやインベーダーなど)があっても
この強近視と色弱の自分には
「・・・長時間、映像見ながらするテレビゲームは、”赤色系がくどく感じて見えるので、気分が嫌になりやすい”からしたくない!」
と、当時の光電管(ブラウン管)とアナログビーム光学式映像機器は、目が疲れやすいとも、自分で実感していたので、あまり熱心になれなかったし、
ゲームセンターなどはグレた連中のたまり場にもなっていたため、小遣いだって少な過ぎるから、ほとんど行かなかったね。
機械技術も含めて電気電子技術も含めた「電機技術」をやってみたい!それが「電子工作」との出会いであった。
この人という生物をやってきて感じる事
化石燃料、鉱物資源を駆使して”人工物”を多種類、創ってきた・・・
自分だって、その一人だが・・・
これと同時に自然生物(他の植物や動物達)とのバランスが崩れてきている現代になってしまっている・・・
”人が生きていく上で必要なのが酸素”だ。
二酸化炭素は”植物が、それを吸って酸素に、すぐさま変えてくれている。
実家は、小さな畑と庭しかないが、そこへ小鳥類、一部の昆虫類、哺乳類ではウサギ(黒ウサギ・レッキスや日本白色種など)を育て、飼っていた事もある。
大自然との共存は難しい・・・
もっと「共感」できるようにしていきたい・・・
まだまだ自分への課題もある・・・
今回は、ここでお粗末様・・・
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