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⚠ネタバレ⚠ 真夜中乙女戦争③

こんにちは、睦海です🌊

今回は、『真夜中乙女戦争』についての最終回です。

この投稿は事前に書いているもので、投稿時とは違うのですが、今、ℱさんの『20代で得た知見』の第一章を読み終えたところです。やっぱりℱさんの本好きです!あんなに回りくどくてストレートで、矛盾だらけなのに、スッと心に入る腑に落ちる文章、、ℱさんだけですよね。。普段本を読まない人には敬遠されてしまそうだけど、同世代にぜひ読んでほしい一冊!(まだ四分の一しか読んでないけれど)20代の内は、ずっと手元に置いておきたいけれど、友達に読んでほしい。友達に回す用も欲しいくらい。。一冊目から、奮発して買ったくらいなので難しそうですが。。
ℱさんって、変わり者で一人が好きな人なのかなって思っていたんですけど、愛され力の高い人なのかなと。。『20代で得た知見』に、『真夜中乙女戦争』と重なる話や考え方が見られて、より作品や登場人物、言動が愛おしくなりました。ぜひまだ読まれていない方は読んでみてください!

「生きているなら、今は、それでよしとしてあげるよ」

『真夜中乙女戦争』の話に入ります。
見出しは『真夜中乙女戦争』の「先輩」の言葉です。優しくて、キツイ言葉。生きることに絶望しつつも諦めきれない「私」に向けた言葉。
「生きる」って、一番単純というかベースにあるもので、且つ一番しんどいものだと思うんです。「生きる」だけなら簡単そうだけれど、実際「生きる」となると、物理的にも精神的にも、「生きる」だけじゃ成り立たなくて、色んな面倒ごとが絡んでくると思うんです。
「先輩」の言葉は、今の「生きる」だけを認めて、これからも「生きる」ことを課してくる言葉で、「私」にとって、軽く放たれつつも重度のプレッシャーを与える言葉なのかなと。
私個人的な意見として、「大丈夫」という言葉も似ている気がしていて、、(語尾に!、?、の全場合含む)一見、心が軽くなる優しく温かい言葉ではあるけれど、その言葉単体では、無責任で非情な言葉のような気がします。
ただ、どちらも、素敵な言葉だと思います。なぜなら、会話、コミュニケーションの一番大切な要素が込められた言葉だと思うからです。対人関係において、相手を受け入れること、興味を示すことは、重要です。肝心、大前提だと思います。
「先輩」の「私」を受け入れるコミュ力、その言葉態度を冷酷な面も含め受け止める「私」のコミュ力、、これがコミュニケーションかと。上辺だけのようで進んでいく会話と、暗黙の心のキャッチボールが、心地よくて、、。「コミュ力大事!」、「私コミュ障なんだよね」とか、よく耳にするけれど、コミュニケーションの意味さえ曖昧なまま汎用されているような気がしていて、私自身もどんどん曖昧になってきていたけれど、スッキリしました。
ほんの少しの意識の差と、個人ではどうしようもならないこと、相性があること、、コミュ障だと訴える人のほとんどが生まれつきの性分ではないこと。
怖さ、もどかしさもあるけれど、コミュニケーションを大切に、人との交流を楽しめるようになれたらと思います。一人で「生きる」のはあまりに苦しすぎるので。

謙遜は失礼に値する 褒め言葉を受け入れる重要性

コミュニケーション繋がりで、私の実体験を少しお話します。
コミュニケーションは一人では成り立ちません。当たり前ですが。。先ほどの2つの言葉を、相手がどう受け止めるか、それをどう、言葉を届けてくれた人に示すのか、それも大事だと思います。
私は、愛知出身で、関西で下宿生活をしながらバイトをしていました。その際、一緒に働く人に「遠慮しすぎ」「自信もって」「謙遜しないで」と、どこのバイト先でも言われていました。地元の人や仲の良い友達、家族にはあまり言われてこなかったので、県民性だと勝手に思い込んでいました。
しかし、その姿勢を恥じたことがありました。
バイトの先輩に、「褒め言葉はそのまま受け止めるべき。謙遜することは、相手の好意、良いと思った感覚を否定することと一緒だ。」と言われたんです。
衝撃でした。同時にそこまで考えもしなかった自分を恥じました。
それまで、褒め言葉は謙遜するべきだと思い込んでいましたし、その言葉も社交辞令だと信じないことも多くありました。信じたら受け入れたら、天狗になったり足元をすくわれるとまで思っていました。。気付いたらそれが習慣になり、本心で言ってくれていると感じても、謙遜し続けるということが常になっていました。今考えると恐ろしい。。
今まで、何人の人の何度の好意を踏みにじってきたかと思うと、、申し訳なさすぎます。。ごめんなさい。そして、ありがとうございます。
つい、「いや、、」と口走りそうになりますが、最近ようやく「ありがとうございます」と先に言えるようになりました。プラスアルファが話せるようになるまでは、もう少し時間がかかりそうです。

自信と自尊心

褒め言葉を受け入れると、コミュニケーションが円滑になるだけでなく、自尊心が磨かれます。自尊心、ある方だと思っていたのですが、褒め言葉を受け入れることを意識し始めてから、なかったことに気付きました笑
加えて、自分や周りを愛おしく思えるようになってきました。思えるようになった、とまでは言い切れないかもしれませんが、「愛おしい」の感覚が分かってきたように思います。それか、「愛おしい」の範囲が広がったように思います!
褒め言葉を受け入れること、ぜひ意識してやってみてください!
社交辞令さえもそのまま受け入れるくらいに。楽しくなります。
バイト先の方に言われた「自信もって」という言葉なのですが、それはなかなか難しそうです。。自尊心は自分の気持ちで何とかなる面もあるのですが、自信は経験や結果が全てのような気がして。。
『20代で得た知見』に、「二十代に自信は要らない」とあったので、自信ないまま、突き進みたいと思います。
仕事や発表など、どうしても自信を持たなければならない場面もありますが、それまでの自分の努力や周りの想い助けを信じて、頑張って、上手くいったと思えた時に、自信を得られたらなと思います。
今は、自尊心を磨きます

以上で『真夜中乙女戦争』について終わります。読了してからしばらく経ってしまい、今感じている事と差が生じていたりもするのですが、できるだけ初めて作品に触れた時の気持ちを大切に記事を書かせていただきました。
きっとこれからも繰り返し触れる、私にとって道標、生き方精神のバイブルのような作品になりました。

多くの乙女に、この作品が届きますように

お読みいただきありがとうございます🙇
ぜひまたお願いします!

最後なので映画のエンディングソングも。。
これを聴きながら書いてました!笑

写真は映画『真夜中乙女戦争』公式Twitterより
公式TwitterもInstagramも素敵な写真ばかりすぎるんです。。

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