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#双葉町
フクシマからの報告 2020年秋 廃墟の街に出現した「伝承館」 外に広がる現在進行形の 原発災害に来館者は無関心
2020年9月20日、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月上旬に訪問して展示を見てきたので、今回はその報告をしたいと思う。
新聞報道などで、この「伝承館」開館のニュースをご覧になった方も多いと思う。概略は記事のとおりだ。
「原発事故直後の混乱と復興の歩みを後世に受け継ぎ、記憶の風化を防ぐ」
「地上3階建て。総工費は約53億円」(注:国の予算)
「六つのエリ
「東日本大震災・原子力災害伝承館を 取材してnoteに投稿すれば 15万円と交通費を払う」 福島県からオファーが来た 取材で見えた3700万円のPR事業 原発事故と広告代理店の意外な関係
「東日本大震災・原子力災害伝承館を取材してnoteに記事を投稿すれば、15万円と交通費を払う」。
そんなメールが私に届いたのは2020年6月18日のことだ。同年9月20日に、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下『伝承館』)が開館する3ヶ月前である。差出人は「エイスリー」という未知の会社からだった。
私は個人ウエブサイトから自分あてにメールが打てるようにしている。出版社からイ
フクシマからの報告 2021年夏 「あれはすべて幻だったのか」 帰りたくても帰れないふるさと 「文字盤のない時計」が回り続ける 俳人・中里夏彦さんの原発事故の物語(上)
福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。
福島第一原発が立地する双葉町の北隣に「浪江町」という街がある。そこの中心部に「サンプラザ」というショッピングセンターがあった。福島第一原発から8キロほどの距離だ。
中里さんはその総務部長だった。
下は同社ホームページから。
サンプラザがある浪江町中心部の強制避難が解除され、中に入れるようになったのは、201
フクシマからの報告 2021年夏 俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても 心は帰りたいと願い続ける 奪われたふるさとの記憶
前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告を書いた。
中里さんが生まれ育った家は、福島第一原発から西に5キロ(道路沿い。直線距離で3キロ)にある。噴き出した放射性物質の雲(プルーム)の直撃を浴び、10年後の現在も立ち入りが禁止されている。いやそれどころか、双葉町全体が人口ゼロの無人地帯である。
2021年8月13日に撮影した冒頭の写真でもわかる
フクシマからの報告 2020年秋 伝承館の中に本物の原発災害はない その外側で10年近く無人の双葉町 廃墟の街を歩いた写真ルポ
これから数回にわけて、福島第一原発事故直近の被災地の報告を書く。
まずは福島県双葉町から始めようと思う。理由は次の通りだ。
1)双葉町は福島第一原発が立地する地元である。
2)直近であるだけに、2011年3月11日に強制避難が始まり、翌12日午後3時半ごろ全町民7134人が町を離れた。それ以来、帰ってきた住民は2020年11月現在もゼロである。
3)町の面積のわずか4%だけが、2020