platform【滲み】2100字
「ねえ。なんて言ってるの? いいからぎゅっとしてよ」
「夏に雪見だいふくが食べたい」
その呟きは広い駅構内に響いただけだったが、
となりに腰掛ける男の子はニコッとした。
どうせ何言ってるかわってない。
エコーのひどい女性のアナウンスが聞こえた。
未だにアナウンスのほとんどが何言ってるかわからず、
この階段に腰掛けていればどのプラットフォームにお父さんが来ても探せる。半年になるがここはまだ知らない駅。
おもちゃとかお散歩で遊んでくれる男の子にも飽きて、
お父さんが帰ってくる3時間も前から駅の階段に居座る。
ここ最近毎日そう。
「-----.」男の子が優しい笑顔のまま話しかけてくれるが、何を言ってるのかわからない。適当な笑顔で適当に「イエス」と返答するのも疲れ、ずっと無視をしている。かわいそうなことをしてしまっているのはわかっている。こいつは私の事をどう思っているんだろう。
足音ばかりが聞こえる。スニーカーの人はあまり音がしない。革靴のカツカツという音はお父さんかと思ってドキッとする。天井が高くて高くてプラットフォームもたくさんあって、電車のプシューという音がやたら大きい。金町の駅が懐かしくなって泣きそうになる。ののちゃんやたーくんに会いたい。
「-----?」また何かを言ってきたが、ロンドンという単語だけが聞きとれたから、「ロンドンは嫌い」と答えた。
どうせ何言ってるかわかっていない。
それ以上青い目は何も話しかけてこなかった。
たぶんもうすぐ帰ってくる。天井のアーチのような無数の骨組の隙間から空が見えるけど、晴れなのか曇りなのかはよくわからない暗さになってきた。引っ越してきた日は雪でこごえそうなほど寒かったから、雪が嫌いになった。
何もわからないまま、小学校や放課後は隣の部屋に住む2つ年上のジョセフが面倒を見てくれる事になった。笑顔で接してくれて優しい男の子だが、青い目での過剰な笑顔は私には怖さを感じさせた。ジョセフのお母さんも優しい。毎日大盛りのご飯を作ってくれる。ケーキも甘くて甘くておいしい。お父さんの料理はおいしくないから。
でも、絨毯の匂いや、乾燥機の柔軟剤の匂いや、窓の外からくる脂っこい魚の匂いや、なんだかどれもが怖かった。
男の子はポケットからガムを取り出して噛み始めた。
ジョセフがガムを噛んでるのは初めて見た。
甘すぎるガムの匂いも今嫌いになった。
「そのガムやめてくれる?」
その呟きは広い駅構内に響いただけだったが、
となりに腰掛ける男の子はニコッとした。いつもと同じ。
1番端のプラットフォームで電車から降りるお父さんを見つけた。
立ち上がって「お父さんきた」と呟いた。
その顔はたぶん笑顔だっただろう。
階段を降りようとするが、男の子はついてこない。いつもは笑顔でついてくるのに。「ジョセフ?」座ったままこちらを見ている。大きな青い目に笑顔は無い。ひやっとした。「-----.」何を言っているかわからない。しばらく無言で見つめ合った。
それよりもお父さんは?プラットフォームを振り返ると、すぐ近くまでお父さんは来ている。駆け寄って抱きしめる。お父さんの焦げ茶のスーツの匂い。これが好き。
「ただいまーいつも元気だねー、なんかおやつ食べた?」私の返答を待つ前にお父さんは立て続けに私の後ろに向かって、
「-----?」「-----.」「-----!」
このお父さんとジョセフの会話も嫌い。
わたしは両手でお父さんの人差し指と薬指を力いっぱい引っ張る。
いつもと同じ。
男の子も笑顔だ。
いつもと同じ。
「ねーおとうさーん、わたし雪見だいふくが食べたいよ〜」
わたしのあまい訴えにお父さんは答えず、こう聞いてきた。
「八重子、ロンドン嫌いなのか?」
3秒後にジョセフを振り返った。ガムを噛んでいる。
「えー!八重ちゃん英語しゃべれるの!?いぎりすって英語の国でしょ!?」
「うん!お父さんとお勉強してるから喋れるんだ!いつかののちゃんも遊びにきてね!」
ののちゃんと黒板の白いチョークを消しながら話した映像が頭の中でこだました。
わたしだって引っ越した時はジョセフと話せるように頑張った。頑張ったけどわからないものはわからない。お父さんはいっぱい喋れてずるい。
お父さんを振り返って「お父さんが悪いんだよ。」と言った。
周りの靴の音がやけに大きい。
電車は耳が痛くなるほど大きな音を上げてゆっくりと動き出す。
わたしは頭の中で必死に今の発言の理由を探した。
急に腕を掴まれてビクッとした。男の子がわたしの腕を掴み、お父さんの指をギュッとしているわたしの手を剥がして、男の子のその白い手がわたしの手を繋いだ。暖かすぎるジョセフの手。わたしの反対の手をお父さんが握った。両手とも手を繋いだまま3人は歩き出した。左にジョセフ、右にお父さん。
怒られると思っていた。
お父さんに怒られると思っていた。
ジョセフに怒られると思っていた。
声を出しながら涙が出る、
いっぱい涙が出る、
したくないのに顔がどんどんくしゃくしゃになる、
大きな声と大きな涙を止めたいのにどんどん出る、
両手が塞がって涙が拭けない。
滲む視界からも2人の笑顔が確認できる。
駅のみんなが立ち止まったのかと思うほど、
わたしの泣き声しか聞こえなくなっていた。
ねぇ。なんて言っているの?
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