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社会人一年経ち、そして2年目へ。

3月半ば、2年目を迎える社会人、社員のための研修が行われた。
ここで詳しくその内容を述べるつもりはないが、もうあれから、大学卒業をしてから社会人として一年が経ってしまった。

社会人が何かも分からなかった大卒者がこの一年を通して率直に感じたことを書くことにする。

そして、今回初めて、割と多めに自分の仕事、職について説明するだろう。

私は飲食の会社に入った。料理が好きで、大学の頃は自炊もし、食そのものにも関心があった。もちろん大食いなのも少し関係している。食べることが好きなのだ。
しかしながら、青学といういい大学を出たのになぜ飲食なのかと今でもバイトの子や大学時代の知り合いに言われる。
分かっている。この業界が白っぽく見えないのも、人が足りないのも、入れ替わりが激しいのも分かっていた。2年目研修でも何人か辞めている奴もいた。

それでも今はこの会社で良かったと思えている。

これに至るまでは紆余曲折の辛かったこと、楽しかったこと、嬉しかったことなどがある。

社会人一年目の辛かったこと、楽しかったこと、どちらを先に聞きたいだろうか。

話の流れ的には辛いことが先なので辛かったことから感想を述べよう。

辛かったこと。仕事が覚えられないこと。覚えることが多すぎること。忙しいこと。お店全体の質が崩れていったこと。同期や先輩が異動したこと。責任を問われること。厳しい上司がいたこと。

私は新店舗に配属された。入社と研修を終えて、他の同期が既存のお店に配属される中、私含め他2人の新店舗の同期はお客さんがいない中で「トレーニング」から私の初めての仕事は始まった。
店舗すらまだできていない。お店の近くの施設のある一室を借りて社員、店長と顔合わせからだった。晴天の日、私たち3人分のトレーニング用の荷物を両手で持って歩いてくる、オールバックで怖い人が来た。それが今の私の上司だ。

新店舗の店長として、従業員満足度1位、新店舗が位置するエリアの売上1位を目指す、そう高々と誇りを持ってその人は言った。後にエリア売上1位となるほど忙しいお店になることを私は知りもしなかった。

自己紹介の仕方も分からないながらもたどたどしい会話だったのを覚えている。新入社員が緊張しているのを感じたのか、リラックスして、お互いどんな人なのかどんなことが趣味なのか軽く雑談して少し気を緩めることができた。
トレーナーとの顔合わせ、昼食は奢ってもらい、そこでも私は大盛ご飯を食べていた。その後、先輩社員との顔合わせ。とても威圧感があり、いい意味で存在感があった。
何もかも圧倒され、ベテランの人が沢山いて、こんなので自分はやっていけるのだろうかと不安だった。

最初に覚える内容は言ってしまえばバイトでも覚えられる内容だった。しかし、その言い方、態度など、より高いレベルを私たちには求められた。
もちろん、お店が完成して、お店の中で練習ができるようになってからもそのレベルは高く、バイトの方々にも求められた。

この頃悩んでいたことは、仕事が覚えられないこと。そして覚えることが多すぎること。入社して1ヶ月も経っていない社員とその前から少し練習していたバイトの子がいたが、社員は昨日やったことをもう忘れたのかと注意を受けることがその頃から増えた。

なんとなく分かったような分からないような。とにかくまた怒られるのは嫌だから、帰ったら復習しようと思った時期だった。
飲食に限らず、どの業界でも新人は最初覚えることが多すぎると思うし、実際そう感じる別業界の同世代がいたのを感じていた。

さすがにまだ右も左も分からなかった新人たちなので、分からない、覚えていない、忘れた時は正直に分からないと言ってね、なんて優しく言われる時期でもあった。

ここで大事なことを書くのを忘れた。

店舗が完成する前、エリアマネージャーという私たちが所属するお店を管轄している地域の大上司から重要なこと3つを教わった。

1 分からないことはそのままにしない
2 正確に物事を行う
3 報告 連絡 相談をする

特に3番の報告に関して、事前報告、進捗報告、完了報告をしなさいと教わった。

そして、グランドオープンが近づくにつれて近隣の方が来店され、いつお店が開くのかと言われることが増えた。

まるで文化祭の準備をしているみたいな気持ちでいた。
まだ、日が落ちるのが遅い、春先の夕方に光る電子蛍光看板を見ていた。



そして、ついにグランドオープンの日が来てしまった。
私の会社の社長、重役そして、取引先企業の重役もいらっしゃった。
店長に背中を文字通り押されて社長の前に立たされて、自己紹介、そして今後の決意を述べ、社長の言葉を聞いた。それからすぐに営業が始まってしまった。「ホンモノ」のお客さんが入ってきて、私は怖くなった。怖かった。緊張した。トレーニングではエアお客様を相手にしていた。入社してまだ何も完璧に覚えていないのに、うまくやれるだろうか。不安だった。とにかく忙しくて、自分はもちろん、先輩も店長もエリアマネージャーもサポートしてくれて、それでも忙しくて、その中でもダメなものはダメと、そんなこと教えていないと指導してくれる先輩もいた。忙しさはオープンしてから毎日のように続き、さらに中途半端に仕事を覚えたせいで、自分だけ立ち止まってしまった。分からないことがあるのに先輩やトレーナーが忙しくて聞くに聞けない。どうすることもできなくて、役に立てなくて、萎縮した。何が間違ってるのかも分からないけれど注意してくる先輩。
でも、命令は、言われたことはちゃんとやろうとした。言われたことをやるためには、どうしたらいいんだろう。時計を見ながらあと何分で終わらせなきゃいけない。焦る。どうしよう。
と、外からの指示に対して自分の中で試行錯誤、自分で考え、なんとか自分なりの答えを出していた時期だった。
辛かったこと。信じられないくらい忙しかったこと。

梅雨が明け初夏が訪れた。

なんとかその無理矢理なやり方で言われたことに喰らいつき、必死に仕事をした。
必死すぎて、焦って、それが早口な言葉や険しい表情になっていく時期でもあった。

そして、この頃からお店でイライラすることが増えた。八つ当たりしたくなる自分が垣間見えた。
仕事はちゃんとやろうという気持ち、姿勢はあった。しかし、仕事が終わればすぐに退勤しすぐ帰宅した。仕事の人間と一切会話をしたくないと思っている自分がいた。

先輩の気遣いのための注意も生返信。怒られても不貞腐れる。もう私に関わらないでくれ。そう内心思いながらこんな会社何クソと半べそでがむしゃらに走って帰った日もあった。そういうのが態度に出てしまっていた。業務命令以外自分の好きなようにやる。そんな我流の仕事柄だった。

ある時、またその日は忙しい土日だった。
いつものように自分流に言われた激務をこなしていたところ、店長から○○時までに〜の準備をするように、と指示があった。
そして、私は自己流でまた時計を見ながら作業をして、約束の時間を少しすぎてしまったのを時計でみたが、少しくらいいいだろう、あとちょっとで終わるし、と思い、作業を続けた。
すると店長が僕の正面に立ち、「時間守れないならお前が店回せ」

また厳しく怒られ、少し不貞腐れたが、この言葉がとても重要なことだったと後から気づいた。

また2度と同じ過ちをしないためにも計画を立てて時間に間に合うように試行錯誤するようになった。

納期を守ること。社会人として最初に理解し学んだことの一つだ。

しかしながらまだ自分なりの仕事の進め方をしていた。お店は以前として忙しく、「忙しいから」という理由で、トレーニングでできたことをやらなくなる人が増えた。自分もまたそうであった。

できない理由を探して、言い訳を作っていた。

しかしながら、店長から怒られて以来、私はもう一度日々を淡々と過ごすのではなく、一日一日何か小さなことでもいいから新しいことに挑戦してみることにした。それは日々が言われてやるだけでつまらなかったからというのもある。命令を言われて黙々と作業することも好きだったが、それをただ言われただけで8時間過ごし、それ以外は自分のプライベートの時間で幸せを満たす。そんなのでいいのかと自分に問うた。

実際何か一つでも新しいことや苦手なことに挑戦し続けると自信がついてきた。やったことないことに挑むことは毎回怖かったが、1回目より2回目、2回より3回と慣れてきて仕事を覚えられるようになった。こうやって仕事を覚えるのかと思った時期だった。

新しいことだけでなく、今まで分からないけど曖昧にしてたことも、素直にトレーナーに聞くことにした。また、「まだ覚えていないのか」と言われるのが恥ずかしかったが、人間そんなに誰しも要領よく一回で覚えられないのだと思えば分からないことを聞くのも楽になった。

その頃から先輩や店長が私の仕事に対する姿勢が変わったのを見てくれた。積極的にバイトの子より先にお手本になる。初めてで分からない、間違えることもあるかもしれないがとりあえずやってみる。そんな姿勢を見てくれたのかもしれない。

こいつなら仕事を任せても良いと思われてまた新しい、社員にしかできないポストにチャレンジする機会が与えられた。その時も不安が多かった。美味しい料理が出せるだろうか。お客さんから何か言われるんじゃないか。でも先輩が横にいてくれたから少し安心はした。言い方が悪いが、責任は先輩が負ってくれるだろうと安心しきっていた。

なんだかんだ不安、緊張があったが、また一回、2回とやっていけばコツを掴んできた。

この頃は同期もちょうど同じポストになれる機会があり、ライバル視していたが、越すことができた。まだまだ人のことを言えないが、私とその同期とで差ができたのは失敗を経験して、その原因を探し、改善するという繰り返し作業、今風に言えばPDCAサイクルのようなものができるようになったからだろうと思った。自信がついた時期だった。

新店舗グランドオープンの時の威勢、形が徐々に崩れていったこと。それをただ毎日見て過ごしていたこと。焦りと、新人の自分が言ったところで変わるのだろうか、どうしたらいいのか、どうすることもできないやるせなさがあった。
せっかく作った砂のお城を徐々に崩されるような屈辱。
既存スタッフが怠けていくのも、新しく入ったスタッフが満身して言うことを聞かなくなっていくのも、厳しい先輩がいなくなって俺はできると満身してトレーニングの時に習った礼儀や態度を崩して仕事をする同期も、彼らを見てまた新しく入った人がそれを真似することも、それがあたかも当たり前の習慣のようになってしまったことも全部見えていて、見たまま過ごしてしまった。自分が新しい仕事を覚えさせてもらって、自分自身も精一杯の中でふと周りを見ると、「こんなんじゃない」と思える堕落した現実がそこにはあった。
ダラダラと仕事をする様、元気のない声、死んだ目をした態度。注意したくても自分が忙しいという時間的な問題と一年も働いてない新米が言っても仕方ないという心理的問題が邪魔してただ良くない方に進んでいるのを見るしかできなかった。
自分1人の力ではどうすることもできない諦観に囚われ悔しさを感じた時期だった。


厳しい上司がいたこと。初対面の時は明るく理解を示すように接してくれたが、いざ現場のトレーニング、営業になると厳しい指導を受けた。それは新店だから味やお店の雰囲気の質を落としてはいけないという意味もあるが、特に社員だから厳しく言われた。冒頭でも述べたが、仕事内容はバイトでもできる内容だ。しかし、社員がバイトと同じように仕事をしていては社員の意味がない。新入社員とはいえ、名目は一般社員。バイトにうまく教育ができていないとその責任は社員が果たす。また、社員自身が仕事でミスをした時も強く社会的に叱られる。現場では私たちはスタッフの名前をフルネームで書かれた名札を着用する。実際にお客さんに「社員でしょ?何でできないの?」と言われたこともある。
私が焦って料理を出し、店内でもテイクアウトでも作り直しを要求された時も「自分で謝りにいきなさい」と先輩社員に言われた。
怖かった。激怒され強い言葉を言われるのではないかと。それでも、社会とは厳しく、たった一回の食事、たった一回の注文でもその人にとってはこの店で初めて食べる味なのかもしれない。公平に良くも悪くも評価される。
私が新人であれ、ベテラン社員であれ、お客さんの目には「正社員」として見られる。バイトではない。受け入れがたいが、社会1年目の現実である。
辛かったこと。責任を負うこと。

いつも叱られて、時にビクビクしながら仕事をしていた時もあった。優しい先輩社員がいてその人と出勤が被る日は安心していた。細かいところまで指導、注意されるのは正直聞いているだけで嫌なものだ。
しかし、叱られることがなく優しいだけ、それはただ甘いだけで、あまり関心がないのかもしれない。
それよりは厳しく叱る上司の方が真に優しいと言えるのではないだろうか。
これは学生時代にも思っていたことだ。
私を叱ってくれる教師はいつまで叱ってくれるのか。卒業したら誰が私を正しい道へ導いてくれるのだろうか。
尾崎豊の歌詞のように、縛り付けられることは嫌なはずなのに、いつしかそれがなくなると不安になる。
学校の先生も、担任の教師も、生活指導の先生も親も叱ってはくれなくなった。とうとう社会人になり、上司の存在だけが私を導いてくれる存在となった。
そして、これから自分が成長し、逆に後輩や部下を導いていく立場になったとしたら、誰が私を縛り付けるのだろうか。その時を思うととても怖くて、不安だ。また、上司からの指導を蔑ろにし、見放されてしまったら誰が私を注意してくれるだろうかと。
これからもこの不安は私を纏い続けるだろう。
辛かったこと。厳しい上司がいたこと。しかしながら、その厳しさのおかげで、自分の中で深く悩み、仕事のやりがいという楽しさも見つけることができた。

同期や先輩が異動してしまったこと。
この一年で8人が他店と他部署に異動しうちの店舗には3人異動で来た。最初が私たち新入社員含めてこのお店には9人いた。
そして最初の立ち上げからいた社員はとうとう私と店長だけになってしまった。他の社員は他店に行き、他店から来た人のみだ。
最初は関西からの応援社員と優秀な副店長が主な上司で、その人たち皆いなくなってしまった。うち1人の関西社員はとても厳しかった。言い方もきつかった。が、正しいことを教えてくれた。
そして、副店長もしばらくして、新店舗の忙しさに耐えかねて、別の副店長と交代となった。交代で来た副店長は元気がとてもあり、営業中は客席にも聞こえるくらい通る声で仕事をしていた。
夏の繁忙期が終わり落ち着いた頃、同期の1人が異動となった。当初は新入社員3人が同じスピードで計画通り育成、成長できれば異動はなかった。しかし、言い方は悪いが、私しかその目標は達成できなかった。12月に1人、3月末で1人同期が異動した。同じく3月末で副店長は店長になるべく、異動した。
今は私と店長と店長の昔の部下だった先輩社員2人である。
そして、次の4月に新入社員が3人入って計7人で店を回さなければいけない。

こんなに異動が激しい職場が初めての社会人経験で、共感してくれる業界や職種があるか分からない。
入れ替わりが激しい所はどうだとか黒だの白だの言うつもりもないしそんなの自分でも分からない。ただ、私は仕事だったとしても人の「出会いと別れ」が10回以上この一年であったのはとても辛かった。仕事のできる先輩はどこか行ってしまうし、新しく来る人はどんな人なんだろうと不安に思うし、その中でも毎日は来てしまい、毎日変わらず営業し、変わらない美味しさを提供しなければいけない。仕事仲間が離れて悲しいと私情を仕事に持ち込んではいけないのは分かっている。
それでも、私は誰かに出会い、誰かと離れるのが頻繁に繰り返され、どうにかなってしまいそうな一年だった。
もちろん、異動した同期とはたまに連絡を取っているので完全に孤独に感じているわけではない。
店長と仲がとても良いとは言えないが厳しくて優秀で、強面の初めての上司と2年目を迎えることになってしまった。

余談ではあるが、私も異動の可能性は十分にあった。先ほど述べたが、新入社員3人が同じペースで同じくらい成長しなかった場合、他の店から補填する形で新入社員を他の店舗に散らさなければいけないとちらっと言われたことがあった。包み隠さず言ってしまえば、一年以内にある程度仕事ができなければこの店では使えないので異動だということだった。私はその意図をすぐに読み取り、他の店に行き環境を変えるのも悪くはないと一瞬思ったが、忙しくも厳しく、それゆえに成長できる環境が今の所にはあると思い、自分の今の店に残りたいと思ったのと、引越しするのが面倒だったり、せっかく一人暮らしで自分の部屋も持てたので引っ越したくないのと、新しい環境で人間関係を一から始めるのが嫌だったので頑張って今のお店で仕事を覚えることにした。半分以上は現状維持の保守的な気持ちからだった。
辛かったこと。信頼できる上司と同期がこんなにも簡単に出会い、別れてしまったこと。

入社し、現場で働き、一年が経ち、だいたい社会人とは何かが分かるようになってきた頃だった。

「責任」というキーワード。

時間を守ることも責任、分からないことをそのままにしないことも責任、報告を行うことも責任。

つまり、最初にエリアマネージャーに言われた3つのことが社会人として最も重要だと気づいた。

そして、なぜバイトとやっていることは同じなのにこんなに新入社員が口酸っぱく厳しく言われるのか。その答えは責任の有無にあった。

分からないことは分からないのだから、恥ずかしいかもしれないが、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥というように、素直に聞いてみる。
まだ覚えてないのかと今度は呆れられ笑われたが、これでいいと思っている。

正確に時間を測って調理する。正確な礼、挨拶、返事、言葉遣いを使う。どれも簡単なことだ。簡単なことでも正確に行うこと。これも社会人の責任の一つだろう。

そして、報告をすること。これから○○という作業に移ります。今○○の作業がこんな状況です。もうすぐ終わりそうです。またはまだまだ終わりません。そんな時はどうしたらいいですか?と質問することも。そして、作業が終わりましたということも全て責任が絡んでいる。

分からないことを聞かないと責任が果たせないので聞く。
正確に物事を行って責任を果たします。
責任持って仕事します(事前)。責任持って今仕事しています(進捗)。しっかり責任を持って仕事を終えました(完了)。

というようにこれを如何なる場面でも、お店でなくとも、どの会社にいったとしても大事な社会人のオキテをこの頃理解した。

そして、この責任は時に私に緊張と不安を与え、焦りを生じさせるが、同時に責任からくるやりがいも生じた。

自分がちゃんと仕事を遂行したんだということを感じられる。
社会人として、「価値」を提供できたんだと実感できた時にやりがいを感じる。

今ではお客さんから少ないながらも「美味しい」と言ってくれる回数も増え、土日の忙しい時でもスピード感を持って提供できるようになった。
仕事内容も1日何百人のご飯を作っているが、たくさんの注文を黙々と捌く作業は時にゲームのようで、敵を倒す感覚は自分には得意な作業だとも感じる時がある。学生の頃はゲームが好きで、その時も強い敵には対策を考え、方法を変え、試行錯誤しながら倒していく爽快感をゲームでは感じ、それと近い感情を仕事でも感じる。ゲームでも強い敵と対峙するといつも手が震え、緊張し、不安に襲われる。声も縮こまってしまう。仕事の時の自分もそうだった。大勢のお客さん、並んで待つお客さん、長い伝票、注文のボタンが何回も聞こえる。自分が倒せるだろうか、提供が遅れてクレームに繋がらないか、美味しくないと言われたら、と不安に苛まれる。しかし、勇気を持ってやってみる。どんな困難な状況でもとりあえずやってみる。そんな自分の良い所が仕事に活かせて良かった。テイクアウトで25人前、店内で6人前、10人前×3、子ども食堂無料配布で50食など、信じられない場面も遭遇した。しかし、倒せない敵などいない。必ず突破口はあり、それを探りながら毎日の営業で、ありえない注文を前にして解決策を見つければ倒せるはずだった。
注文も全部倒した時の達成感は仕事におけるやりがい、楽しさでもある。

私はこの一年でたぶんある程度の緊張状態で集中してタスクをこなすのが得意なのかもしれないと思った。だからやったことないことは少し不安になるけど緊張感を持って取り組めるし、ダラダラ仕事をすると逆に眠くなる、あるいは仕事がつまらないと感じる。少し忙しいくらいがちょうど良いと思った。割と長い間緊張状態が続けば集中状態も続くことも多かった。しかし注文を捌き切ると一気に集中力が切れることもまた多かった。

得意とはいえ、私はそんなにメンタルが強い方でもないので緊張状態が日々続くと静かに自分の時間を持たなければいけなくなった。また、疲れを取るためか、休憩中に甘いものを食べる癖もついた。先輩達はエナジードリンクや喫煙をしているが。
一年働いてみて、自分が今の仕事を別に苦手とも嫌いだとも思ってないということが分かった。

少し話が脱線したが、
私はこの一年「責任」というやつに翻弄され、時に辛いこともあり、時に楽しくもなれた。

割合としては辛いことを多く書いてしまったが、楽しさは他にも見つけている。給料の面であったり、プライベートの充実もあった。特に自分の会社は成長傾向らしく、そのおかげか金銭面は特に困らなかった。むしろ嬉しいくらい。

仕事で覚えた癖や覚えた知識を使って、部屋の掃除をしてみたり、友達に料理を振る舞ってみたり私生活でも使える術も手に入れた。

回数は少ないながらも、自分が作った料理を美味しいと言ってくれたスタッフやお客さんもいた。
バイトの学生も仲良くしてくれていい職場環境だとも思う。気づけば休日に大学生バイトとスノボに行く程になっていたことも職場環境の点では良いことだろう。


今仕事に関して悩んでいることは、新店舗の高クオリティが下がってしまったこと、質が落ちてしまったこと、お給料はもらえているし充実しているが、身体を仕事で使うので疲れるということ。そして、平日休みでなかなか遊ぶ友人も予定があいにくいこと。
同期や先輩社員に関しても、自分のお店だけで自分と今の店長以外最初からいた人はいなくなってしまう。同期がいなくなる寂しさと、新しい人とうまくやれるだろうかというまた不安。そして後輩が入ってくる不安もある。自分なんかが、忙しさの理由で数えるくらいしか仕事を覚えていないのに先輩として尊敬されるのだろうかという不安だ。
しかし、もう2年目社会人は先輩のおんぶに抱っこでは済まされないのだ。自分のオムツは自分で交換するし自分のケツは自分で拭くのが当たり前。私はまた、どの場面でも不安と緊張を感じ、恐れると思うが、その中でも挑戦する心、責任感を持って、プロ意識も持って仕事をするということを忘れずに2年目は過ごしたい。

全体として、新卒で会社員になって良かったと思っている。うちの会社も1年経たずに辞めていった同期がいた。しかし、社会の波に飲まれず耐えて得た知見や真理もあった。それを見つけた時の面白さも社員になって良かったなと思える理由だ。

学生の時の自由な生活も取り戻したいとも思うが、現状、人間として一つ成長できた一年になり、今後も仕事を通して成長したいなと思える一年になった。

そして、改めて私の得性や得意不得意を見抜き私を採用してくれた方には感謝したいし、この会社で良かったと思えている。

社会人がテーマのブログだと、すぐに辞めて良かっただの、3ヶ月で辞めて〜になっただの、会社員やめろ!!と豪語するものが多いが、ここはあえて私は「会社員良いぞ」と言いたい。安定した収入ももちろんそうだが、生ぬるい環境より少し苦しいくらいの環境で、どうしたら仕事が上手くいくかと考えながら成長していく方がやりがいもうまれて楽しいと思う。私はほのぼの系の優しい世界観で街や村を作るゲームより、少し頑張れば、少し考えて工夫したり、みんなで協力したりして勝てそうな敵を倒すゲームの方が楽しいと感じる。
会社に入ったら一生働かされる地獄だとも思い込まない方がいい。もしそれが人生なら耐えるだけで至極つまらない人生だろう。主体的に一日一歩何かに挑む姿勢があればそんな地獄は見ることはない。

個人的に大学生と仕事で共通することは「学ぶこと」だと思った。社会人になって会社に勤めさえすれば自動的に給料が入ってくるだけではない。
日々会社も学校と同じように、生徒のように、どうしたら難問が解けるのか、新しいことが覚えられるのかを考え、答えを探している。なので大学生の次は社会学校一年生だと思ったらいい。

そして、業界、職種異なるが、この一年辛かった社会人一年目の同期もたくさんいると思う。自分が言える立場ではないが、よく頑張ったと思う。自分を褒めてあげて、さらに成長し、人生幸せになれるよう2年目も共に頑張っていこう。毎日働いて素晴らしい社会人のために感謝と拍手を。

p.s.

同じ会社の同期よ、こんな言い方良くないと分かっているが君たちもこの一年生き残れて素晴らしいと思う。次会う時は休日に食べに行く時か、副店長、店長会議になるだろう。その時までどうか生き残っているといいな。

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