トヨタウン

建築が好きな男(26)/トム・ヘネガン研 /ゼネコン設計部/思考の言語化備忘録

トヨタウン

建築が好きな男(26)/トム・ヘネガン研 /ゼネコン設計部/思考の言語化備忘録

最近の記事

  • 固定された記事

日本文化について考える

誰もが知る政治家、麻生太郎。国会で観光政策を話し合う中で彼が話したことは本質を突いていると感じた。すなわち、海外の人はポケモンやドラえもんといったアニメ・漫画に惹かれて「クール・ジャパン」を謳っているのではなく、私達の精神性そのものに対してクールな光景を見出していると。某TV番組でイギリス人のコメンテーターが話したこと。「海辺にポツンと立つ自動販売機。それに金を入れたらキチンと飲み物が出てくる。24時間365日屋外に存在する自動販売機など日本以外にはあり得ない。これこそ最高の

    • デザインの本質へ。

      雪だるまと雪に残る足跡。とちらが人間の活動を強く表すか? 人間にデザインされたモノと、人間そのものの痕跡。そのどちらが他者にとって大きな存在として映るのだろうか。そんな事を考えた時、熱力学的なエントロピーに考えが到達するより手前の、もっと曖昧で主観的な「人間とモノの関係性」へと思いを膨らませると、デザインの本質のような暗示が垣間見えるような気がした。 そもそも雪だるまをデザインしたのは誰か。あるいは人間の足跡をデザインしたのは誰か。神か靴職人か。そういう答えのない疑問を重

      • 不意打ちは美学か。

        毎日の中で強烈な美しさ、感慨深さ、感動を味合うことがある。少し大袈裟にそれらを「美学」って呼んでみると、私達がその美学を感じ取るためのパラメーターは、主体そのものよりも観測した環境条件によって大きく異なるのではないか。僕はそんな仮説を思いついて、この文章を書き始めた。 なぜいきなりそんな事を語りだしたのかと言えば、僕は不意打ちこそが日々の生活に豊かさを与えてくれる源だからだと思うからだ。 川辺から鳥が羽ばたく瞬間。 スポーツカーでアクセルを踏み込む瞬間。 飛行機の窓から陽

        • 芸術と技術

          コロナ禍も終わり、何年かぶりに花火を見た。外苑前は流石に混んでいて、少し離れた場所から花火を眺め、時差のある光と音とを楽しんだ。 ふと思ったことがあった。それは、「花火は技術なのか、芸術なのか」ということ。花火は花火師さんの1年に渡る努力と知恵の結晶であることは確かであるし、並大抵の技術では打ち上がるものではない。しかし、花火を現象として捉えると、それは芸術なのではないか。そんな仮説だ。つまり熟練の技術こそが花火を花火たらしめ、夜空に大きな芸術を作り出すのであれば、技術と芸

        • 固定された記事

        日本文化について考える

          社会家としての建築設計

          通勤途中に高輪ゲートウェイ駅がある。その駅を通る度に、この駅こそ建築意匠設計者が目指すべき姿勢によって成り立っていると感じたので文章化してみる。 建築設計とは。まず「建築設計」という意味は広汎である。もちろんデザインという意味での設計はあるが、それ以上に何倍もの労力が必要だ。確認申請はもちろん、住宅環境性能表示や省エネ法、移動円滑化基準への適合、消防とのやりくりや行政との調整など多岐に渡る。 そんな時にふと思ったのが、社会に寄り添った「妥協」を含む総合的な設計態度こそが建

          社会家としての建築設計

          建築士試験の勉強

          一級建築士の試験勉強は、思っていた数倍大変だ。覚える内容が多種多様で、かつそれぞれで数値も異なるし、計算問題だとか建築家の作品も覚えていなければならない。 そんなとき、大学受験のように「内容理解」をした上で「問題演習」なんてしていたら時間的に間に合う訳がない。 だから僕は、自分なりの勉強法を編み出した。 1.ツッコミ入れる 僕は、問題をそのまま教材にすることにしている。設問は4つで、1つの誤答を選択する形式ならば、問題を読みながら残りの正答3つを理解していくのである。

          建築士試験の勉強

          年齢について

          高校生の時に読んだ書籍で「大人と子供の境界なんて存在しない.40の私だってまだ童心で生きている」みたいな内容のことを覚えている.詳しくどこの誰が仰っていたかは覚えていないが,当時16歳の僕には新鮮だった.大学に入って,成人式を迎え,就職すれば,明らかに大人への階段を上っているように見えたからだ. 僕は来月26歳になる.あれからもう10年だ.僕は18歳を浪人生として過ごし,19歳で大学4年,23歳で院2年を過ごして今月,東京で就職した.今になって確かに実感できた.大人なんてな

          年齢について

          国産車について思う事

          イノベーションが起こるとき,最も大きな障壁は何だろうか. 結論から言うと,それはユーザーであると僕は思う.ユーザーが今までのルールに捕われすぎて革新的なモノやサービスに順応できず,迫害しようとする姿勢があるのだ.そしてその姿勢こそが暗黙的で連綿に水平展開してあるコミュニティ内で共通の文化や風土を生み出し,より革新の障壁を高くしていくのである.つまり,生み出す側が使う側のニーズに合わせざるを得なくなり,イノベーションは内省的な解決手法を超越しない限り起こり得ないのである.

          国産車について思う事

          効率より大切なもの

          ボーっとする合理コスパ。タイパ。それを突き詰めることが近年のトレンドになっている。YouTubeを倍速で見て、本の要約サイトを見て、日用品はクーポン券を使わないと買えない。いかに通常通りに過ごす場合と比べて効率よく生きられるか。現代人の多くは、そこにフォーカスを当てている。 だが私達が求めてる豊かさは、効率を突き詰めた先に存在しない。コンテンツのみを切り取った世界に、人間らしさを残すことは不可能だからだ。 音楽を聴く喜びは、スマホをタップする体験よりもレコードを探して再生

          効率より大切なもの

          新車を買うように生きる

          あなたの資産とは? 胡散臭くもあるが、たとえば1000万円をインデックス投資で資産運用すれば年間50万円近くが手に入る。一度そのループに入ってしまえば複利が効いて雪だるま式に資産は増えていく。 もはやそんなの常識である。だからこそ皆が買い控え、貯蓄をする。人気の就職先ランキングでは公務員や年収の高い職種が人気となり、それが好きな仕事かどうかは差し引いてもお金という指標が人々の生きる目的になっている感が強くある。 人生100年時代だとか、老後2000万円問題だとか、そんな

          新車を買うように生きる

          装飾とはなにか

          2007年に発表されたiPhoneと2017年に発表されたテスラモデル3。それらに共通点を見出す人は多いだろう。なぜなら、そのいずれも要素を省くことによって全く新しいプロダクトへと昇華させたからである。ユーザーインターフェースを再定義することで物事はシンプルにかつ分かりやすくなる。 時代を前進させるもの。それらに装飾なんて単語は一つも当てはまらない。そう感じさせてくれたイノベーションである。 ミニマムに作ること。生きること。それが美徳とされる時代。その風潮はここ100年近

          装飾とはなにか

          象徴性と意味性

          1.おにぎりおにぎりの外観はどこだろうか。アホらしい質問であるが、意外にも考えれば考える程、おにぎりに明確な境界面なんて存在しないことに気が付く。中に具材が入っているならまだしも、塩にぎりなんてモノは外観=中身であり、どこまでも食べてもずっと同じ外観をしていて、同じ姿のまま最後の一口に変わっていく。中身だけの存在である。 そこで、おにぎりに海苔をつけてみる。🍙。そう、これこそ私達が考える本当のおにぎりの外観ではないだろうか。おにぎりをおにぎり足らしめている要素は、紛れもなく

          象徴性と意味性

          就活の学び

          先日、就活が終わった。昨年末に思い描いた終わり方では決してなかった。しかし、だからこそ感得したものがある。それは「世界には色々な価値観があり、正解があり、出会いがある」ということ。転じて、確固たる自己なんて存在しないことをひしひしと感じた。ここでは就活の経緯と感想、そこから得た全体論的な学びを言語化し、今この瞬間の自分を留めておきたい。 1.駅の設計がしたい僕ははじめ、駅の設計をしたかった。駅は都市にムーヴメントを与えられる唯一無二の動的な建築であり、普段は目に見えない都市

          就活の学び

          生命か。建築か。

          人類史、二度のジャンプとこれから序文 私たちは、住宅は買えても家庭は買えない。 私たちは、時計は買えても時間は買えない。 私たちは、寝具は買えても睡眠は買えない。 私たちは、指輪は買えても結婚は買えない。 物質世界にまみれた現代社会において、「モノ」は「コト」を充足させるための最適手段には成り得ていない。平穏な日常が欲しくても、安心して眠れる場所が欲しくても、生涯をかけて愛し続けられる人が欲しくても、それを保証してくれるのは建築ではないし、都市でもない。ましてや行政でも

          生命か。建築か。

          マクロとミクロ

          金継ぎ。それは壊れた茶碗や湯呑、お皿に美しさを吹き込む美学。完成形としてのモノに生じた傷を表すことで、元よりも美しい姿へと蘇生し、理想が破壊されたモノを、理想以上のモノに昇華する行為である。つまり、ミクロな修整がマクロな美しさを作り出すのである。ひとつひとつの断片が、元の状態を超えた美しさを呈する。 世界には、このようなミクロとマクロの相乗効果、あるいは補完関係が多く存在している。そしてそれは、ある特定の限られた領域のみならず、分野横断的に普遍的な原理としてこの世界を形成し

          マクロとミクロ

          木造について考える

          この間、学部時代の同期で集まったとき。友達の家へ向かうバスの中で話をした。僕は卒業制作の初期段階から木造建築を考えていたし、アルバイトでも社寺建築の設計事務所で働いていたので、それなりに木造建築に関する興味はあった。 それを知っていた友達は、僕が院卒後も木造建築を考え続けると思っていたらしいが、僕はキッパリと断って、小さな頃から興味のある高層ビルや美術館・図書館の設計をしたいと話をしてしまった。 だがよく考えてみると、小さな頃からの夢を肯定する理由とは裏腹に、木造建築を否

          木造について考える