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生命か。建築か。

人類史、二度のジャンプとこれから

序文

私たちは、住宅は買えても家庭は買えない。
私たちは、時計は買えても時間は買えない。
私たちは、寝具は買えても睡眠は買えない。
私たちは、指輪は買えても結婚は買えない。

物質世界にまみれた現代社会において、「モノ」は「コト」を充足させるための最適手段には成り得ていない。平穏な日常が欲しくても、安心して眠れる場所が欲しくても、生涯をかけて愛し続けられる人が欲しくても、それを保証してくれるのは建築ではないし、都市でもない。ましてや行政でもないし、終身雇用の大企業でもない。

私たちは確かに周辺環境=船によって人生の歩みかたを大きく揺さぶられるが、それ以上に大切なのは北極星にむけて漕ぎ続けられる持続的な情動であり、体力であり、執念であったりする。モノは目的ではなく手段として必要なのであって、コトに対する必然ではないのである。モノとコトの主従関係を見誤ると人類の漕ぎ着く先に明るい未来は無いし、それは過去の教えからも学び取ることができる。

農耕

トルコ南東部にある古代遺跡、ギョベクリ・テペ。その発見は世界に大きな衝撃を与えた。2014年まで続いた発掘調査の結果、この遺跡は年代測定により約 1万4千~5千年前のモノとして結論付けられたが、それは農耕・畜産が始まった年代よりも前だということになる。つまり、これまでの通説では農耕・畜産が原因となって建築や都市が生まれ出たとされてきたが、実際はその順序が逆だったことが発見されたのである。はじめに人が集まった。共同作業をした。そしてその人口を賄うための手段として農耕が始まったのである。

このように、私たちの祖先はコトがモノに先立つという史実を教えてくれている。しかし私たちはその遺跡の本質的意味などとっくの昔に忘却し、それ自体をモノとして写真に収めようと勤しみ、なんとか娯楽に還元しようと考えるばかりである。 都市は人が集まる現象のもっとも外部化された存在であり、それはパンデミックによっても揺らぐことはない。こ れからも都市は都市であり続ける。都市の息吹はそう簡単に根絶やしにされないはずだ。そう言えるのは僕の直感からではない。都市の存在意義を歴史的に再解釈した時に見えるマクロな、大粒な歴史としての論理からである。

産業革命

哲学者マルクスは、16世紀の大航海時代から 18 世紀末に始まった産業革命までの中間の時代を「資本の本源的蓄積期」と呼んだ。つまりそれは資本家と賃金労働者の関係という資本主義的な生産関係の生成期である。産業革命は予期せぬビッグバンではなく、その土壌が 200年以上もの月日をかけて醸成されていた中で起こった必然な成果だった。

イギリスの考古学者イアン・モリスは、「社会発展指数」を考えた。それは一人当たりエネルギー獲得量・情報技術・戦争遂行能力・都市化の 4 項目を基にして測定された文明の発達段階を客観的に知るための指標である。それを時系列で一概すると、いかに産業革命以降の世界がそれまでの文明と別次元の歩みを経ているかがわかる(図 1)。これらの急上昇をもたらしたのは電気・蒸気機関・上下水道の技術だ。とりわけ上下水道は公衆衛生における最も大きなイノベーションとなったのは間違いない。

ヘルスリサーチの専門家によれば、1900年代から 1936年までのアメリカ全土の死亡率減少のうち半分、乳児死亡率減少のうち 75%は綺麗な水が手に入るようになった事に 起因するという。その屋内配管がもたらされたことにより、それまで都市が抱えていたパンデミックに対する脆弱性は一転し、より多くの人が都市に集まって住まうことが可能になった。例えばロンドンの人口は 1841年には 96万人だったが、産業革命以後の1891年には 653万人もの人が一挙に押し寄せた。

感染症

人間は長らく感染症と戦ってきたが、産業革命以前ではその流行は極めて限られた地域に限定的な場合が多く、14世紀のペスト大流行はむしろ例外的であった。ではなぜペストだけが例外的に、地域横断的に感染拡大が進んだのかという話になるが、それは都市化と大きな相関関係にある。

というのも、ヨーロッパ全体の都市人口率は 11 世紀 に 1 割に満たなかったものが 14世紀には 6割を超えていたというデータがある。当時の公衆衛生の上に成り立っていた都市の生活様式はその収容数と安全な住環境の両立が不可能であったのである。逆に言えば、産業革命以降の技術発達が人間生活と空間要求の間にある障壁を取払ってくれたとみることも出来よう。その意味において都市とは人類が同じ空間に住まうことを可能にする臓器的装置であり、それは集合知によって得られる恩恵であることを再確認できる歴とした発明品なのである。

感染症がより短期的により頻繁に流行するようになったのは産業革命以降である。なぜなら当時の大都市とはすなわち工業都市であり、大気は黒煙が覆い、廃水や家庭汚水 はそのまま河川へと流れる極めて非衛生的な状態だったからである。加えて住宅は日照や通風が確保されない陰湿な密集市街地に建てられ、小さな一室に 15人が敷き詰められていた事例もあったという。これは現代風に言うとまさしく「三密」の状態であり、このような状況で感染が広まらない訳も無かった。

そのような負の時代があったからこそイギリスでは 1848 年に公衆衛生法が制定され、感染地図が作られ、疫学が誕生したのだ。三種の神器とも言える 電気・蒸気機関・上下水道の発達が都市化をより促進させ、高密度で効率的で、人口の割に安全な居住空間を形成した。密度の高さ故の情報伝達や行政の熱心さ、都市インフラの整備、都市レジリエンスの高さによって地方より都市の方が居住環境の良い場所が多くなっているのが現代である。

密度

高密度であることと過密であること。それらが一緒くたにされて都市そのものが批判されることが多いが、それはあまりにも短絡的である。ニューヨークの都市活動家ジェイン・ジェイコブスは都市の創造性の源泉を多様性に求めていたが、その多様性を育む要素のうち 1つは「密集して いる」状態だとした。高密度の都市人口は資産であり、高密度都市こそが天然の経済的発展装置であると。

彼女は当時の都市計画が「過密スラム」と呼んでいた地区は、実際は「住戸密度の高い活気に満ちたところである」と考えていた。従ってスラムの取り壊しや大規模再開発では住戸密度が低く抑えられ、多様性も活力も失われる、むしろ住戸密度の低い退屈な場所こそがスラムと呼ぶ にふさわしいと警鐘を鳴らした。そしてまるで現代の都市批判家に向けて言い放つかのように、こう述べた。「高密度な都市が疫病に脆弱であるというのは19 世紀までの話であり、それを主張するのは時代錯誤である」と。

コロナ禍においてマンハッタンの高密度地区で感染率が低かったのは各住戸が広かったから、逆にクイーンズの低密度地区で感染率が高かったのは各住戸が狭く、家庭内感染しやすい環境だったからである。つまり、高い感染率や死亡率は直接的な高密度と繋がるのではなく、社会的経済条件が大きく影響すると結論付けられる。「エッセンシャルワーカー」という単語が一時期メディアを席巻したが、その問題の本質は経済格差が感染リスクと直結する不公平さにあり、特にアメリカでは国民皆保険制度がないためその格差はより高まる。社会の根幹を支えている人々が経済的 に恵まれず、高い感染リスクを負っている事実は資本主義の抱える負の側面なのかもしれない。

資本主義

マルサスという名前はあまりにも有名である。彼の著書 『人口論』は、等差級数的に増加する生活資料(食糧や道具、環境)と等比級数的に増加する人口との相違から生じるミスマッチが、生存するための困難さを際立て、大半の人類が過酷な状況に陥るだろうと論じた。出版された当時は、彼は誤謬に溢れた悲観主義者だとの見解が多かったものの、その後の研究で産業革命以前の人口増減はマルサスの論じた通りだったことが明らかになっている。

10万年以上前にホモ・サピエンスがアフリカに現れて以来、人類はその歴史のほとんどをマルサスの描いた世界線の中で生きてきた。人類はあらゆる気候帯に順応し、創意工夫を繰り返して人間に望ましい品種を生み出し、都市を形成し、技術と実存との平衡状態として、その収容人口は緩やかな上昇曲線で進化してきたのだ。

しかし、前述した産業革命と資本主義の到来でその世界線は通用しなくなった。イギリスの哲学者で、今でいう資本主義を提唱したアダム・スミスは著書『国富論』の中で次のように述べる。「社会の人々に食糧、衣服、住居を提供する人々はその労働の成果で自分たちの衣食住を十分にまかなえるだけの報酬を得られなくてはおかしい」。つまり、それまでエリート層のみが経済発展の恩恵を受けていた社会の仕組みに貧しい環境で生まれ育つ人々までも組み込んだのである。実力主義の下、誰でも草の根から這い上がる ことが可能になった。

確かに資本主義はあまりに利己的で非道徳的で、なおかつ大きな不平等を作り出すのも事実であるが、それまで世界を席巻していた社会主義国家の行く 末を考えると、とりわけ否定し尽くせる仕組みではない。 資本主義とテクノロジーの共進化がマルサスの描いた人口曲線を振り切らせ、人類は新たな世界線を構築した。人類はさらなる資源を求めて、人間を求めて、領土を求めてあらゆる空間を獲得し、物質を立ち上げてきた。消費量と経済発展は比例関係で、地球搾取こそが人類の未来を生み出してきた根幹に潜んでいると考えられた。…20世紀までは。

脱物質化

しかし 21世紀になってから、人類発展=地球搾取といった論理は時代遅れになろうとしている。環境科学の専門家ジェシー・オースベルは論文『自然の復活―テクノロジーはいかに環境を解放するか』の中で、アメリカ人は 1 人当たりでより少ない資源を消費し、さらにスチール、アルミ、銅、肥料、紙など経済の重要な構成要素の消費量の合計も減少していることを明らかにした。

具体的には、1900年から 2010年までのアメリカにおけるコモディティ100品目の使用量を調べたところ、30品目は絶対使用量がすでにピークに達していることがわかった。また、環境とエネルギーの研究者クリス・グッドールは、イギリスの物質フロー会計に興味深いパターンを見出した。彼は論文『モノのピーク』の中で過去 10年のうちでイギリスの資源消費量は減少に転じたことを明らかにする。それは景気停滞が始まった 2008 年よりもず っと前であり、経済活動で使われるものの重量と最終的に廃棄される重量はどちらも2001年から 2003年のどこかの時点で減少に転じていた。

このような脱物質化の意義を、グッドールは力強く語る。「これが事実であれば、重大な発見だ。成熟経済の経済がさらに成長しても、これ以上地球の天然資源の蓄えにも、地球の物理的環境にも負荷をかけずに済むかもしれない。先進国の経済成長と、物理的なモノの消費量の伸びを切り離せるかもしれない。持続可能な経済をゼロ成長の経済と決めつけるのは間違っている」と。

脱物質化は間違いなく経済全般に重要な意味を持つ。なぜならイギリスとアメリカの工業化時代を牽引していた時期における天然資源の消費量はすさまじい勢いで増え、環境に与える負荷もかつてない程に膨れ上がっていた歴史があるが、そのイギリスとアメリカで方向転換が起きて大規模な脱物質化が実現すれば、世界全体に確実に明るい展望が開けると断言できるからである。


共進化

ではなぜ人類は、経済発展と地球搾取の比例関係を切断し、脱物質化できたのか。そこにはチャールズ・ダーウィ ンの『種の起源』を通して理解される進化論の理解が必須である。共進化とは、相互依存関係にあるもの同士が互いに影響を及ぼしながら高度なシステムにたどり着く進化のこと。ヘッドホン技術の発達は楽曲構成により多くの重低 音・電子音を誘発し、スマホカメラの発達はより多くの 「インスタ映え」スポットを誘発し、パラリンピック走り幅跳びに使われる板バネの発達はより長い新記録を誘発する。1 つの物事は、相互依存関係にある他の物事の進化に追随していくのである。

今までの統計値のみからしか今後必要な食料供給量を予測できない、化石エネルギーの枯渇予測を現時点での火力 発電効率でしか計算できない、電気自動車の販売目標が現時点でのエネルギーコストでしか立てられない、そういった全ての未来予測が難解な理由はこの共進化にある。社会の進化が技術の進化を決定付け、その逆も同時に起こるわけだ。それぞれに様々な事情と要因があって、それぞれが独立にかつ相互依存的に発達していくからこそ、正確に未来予測をすることはカオス理論的な思考停止状態に陥ってしまうのだ。

モノか。コトか。

産業革命に始まる資本主義の実情が、この共進化を通して脱物質化という流れを構築しているという事実。それは冒頭に述べたモノとコトの主従関係を見直す良い契機にな る。人類は20 世紀の産業革命を通してマルサスの人口曲線を振り切り、21世紀の高度な技術発達を通して経済発展と地球搾取の比例関係までをも振り切った。この 200年以内のうちに人類は 2 度も法則をジャンプしているのである。

だがここまでのマクロな視点のみで「モノからコトへのシフト」などと安易に謳うのは浅はか極まりない。なぜなら誰も普段の生活で地球搾取などという単語を思いつきはしないし、スマホの電池残量を見てもその日に消費したエネルギーコストなど頭の片隅にも無いからである。常に私たちはモノからの恩恵を受けているのも事実で、世界全体 の脱物質化の傾向を「身の回りのモノがスマホ一台で片付く時代」といった超越的な論理に収斂させることに価値はない。

ギョベクリ・テペ遺跡はコトがモノに先立つことを教え てくれた。現象が物質を作り出したと。そういう起源を持つ人間はやがて都市を発明し、建築を進化させ、資本主義社会に順応した床本位性主義なる不動産価値指標をも生み出した。もはやコトから始まったモノの存在価値は逆転勝利し、コロナ禍においてその感はさらに強まる結果となった。だからこそ今、モノとコトの両方を受け持つ受け皿としての建築は社会と人間とを接続するための分岐点に立っていると考えられるのではないだろうか。

建築か。革命か。

ル・コルビジェの著書『建築をめざして』の最後を飾る言葉。「建築か。革命か。革命は避けられる」。これは健康的な生活を蝕むことになった手工業時代から機械時代への突入という形で行われた革命を避け、人間的な親と子の繋がり、温かい社会を構築できていた建築を取り戻そうと目論んでいた彼の切なる思いであったと想像できる。

建築、とりわけ住宅の本来的なあり方は、モノへの執着とコトへの愛情とを共存させ、高め、人間生活をより高次な豊かさへと押し上げるエレベーターである。このコロナ禍でより一層住宅と人間の距離が近づいた印象があるが、そこでの関わり方はモノとしての空間容積以外に何も保証してくれはしなかった。全ての建築は身を潜め、ハコになることに徹し、定量的に人間生活を格納し、人間と都市との歓びの交歓は行われず、ただ都市の殺風景な風景の一助になるのみだ。

住宅の価値は内装や機能的充実、ましてや外観のキレイさでは決して決まらない。モダンリビングや nLDK といった共通観念的な快適さ、空間居住科学を追求した先にある形式的な豊かさはほとんど虚構である。人間と空間とのやり取りの中にしかリアリティを持てないような本当の無駄な空間、そこに入り込む人間と自然の本性の掛け合いこそが住宅の本質的な価値であり、そこに初めて人間の息吹を露わにした伝統的で健康的で本来的な佇まいが生まれるのである。

身体か。精神か。

身体と精神。この二元論で建築を考えることもできる。 ここでいう身体とはブリコラージュ的なあり合わせの物質=実体、逆に精神とは建築のイデア的な観念である。田舎の山小屋は周辺環境の中で構築可能な最大限の風土的ビオトープを立ち上げてブリコラージュを形成する一方、砂漠のど真ん中にタブララサからアーティスト風なイデアを立ち上げることもある。 建築とはいわば、この実体と観念とが統合された「実存」それ自体として私たち人間に働きかけていて、近代まで長らく続いてきた様式建築という束縛は、そのブリコラージュとイデアの平衡状態を無理してでも作り上げていた歴史を持つ。

身体と精神。生命においてそれらは二元的でない。繋がっている。精神が身体を作り、その逆もまた真なり。全ての骨格と皮膚、臓器は内発的必要から生まれたと同時に、 身体における外発的必然としても存在し、それらの形態と位置関係、大きさ、役割分担も明確に決められる。そのどちらかが欠けてもそこに魂は宿らない。有機物の集合体が 負のエントロピーを食べ始めたその瞬間に、身体と精神の一元化が行われ、生命になる。力が宿る。建築設計とは、 そのかけがえのない瞬間を目指してひた走るべきものであり、身体と精神の一元化はいつの時代でも永遠のテーマで ある。

近年、建築界で見られる大胆かつ野望的な手法はあまり にも美しく、官能的ですらあるが、冷静に考えるとそれらは必要を自ら生み出し、論理の上で合理化されただけのペテン師を演じているに過ぎない。内発的必要を仮定し、その仮想敵に対する外発的必然という形をもってして彼らの主体性を暗黙的に散りばめているのである。まるで生卵を サランラップで包み、電子レンジで温めてヒヨコを育てるような強引さを持って、身体と精神の一元化を手玉にして弄んでいるように見える。 私たちが考えなければならないのは、生命のような自然で、力が宿り、愛に溢れ、資本主義にさえ順応できる生きられた建築。身体と精神の一元化のその先にある、統合された実存は夢か悪夢か幻想か。今一度その正体を明らかにする必要があるのではないか。

生命か。建築か。

コルビュジェに倣って、私はこう言い換える。「生命か。建築か。建築はさけられる。」と。私たちは建築を考える。 だが、建築を作ってはならない。建築設計の終着点はモノでもコトでもない。生命である。人間がそこに生きて、愛を感じ、幸せを育み、時を共にすることができる空間。そこでは人間の拡張自己が形成され、もはや建築は物質としての波長を越えていく。人間が生きていくことの同義語として存在する建築。

パンデミックは人類に重要な布石を残してくれた。それ はギョベクリ・テペ遺跡よりも実際的で生命的な価値であり、私たちが目先の忙しさにまみれて忘れかけようとして いた矢先のリマインドであった。つまりそれは、私たちが野球観戦で感じていた情動的装置としての役割であり、毎朝「おはよう」と声をかけてくれる家族の尊さであり、恋人に初めて出会ったときの何の変哲もない空間の残像であったりする。建築が人間に生命を与え、その逆もまた真であり、それこそが建築の歴史を一直線に流れる唯一の精神性であり、身体性なのである。

三度目のジャンプへ

結びに変えて、パンデミックは人類が打ち勝たなくては ならない共通の敵であり、世界全体が 1つになって協力し合う必要があるのは言うまでも無い。考えれば、今まで世界が一体化しようした契機は三つあった。宗教革命、市民革命、そして産業革命である。しかし、そのいずれも利権や文化的背景の違いから世界の一体化はおろか、むしろ分断していったように感じられる。

一度目のジャンプは産業革命から始まった人口曲線からの飛躍、二度目のジャンプは技術発達から始まった脱物質化の傾向であった。それでは、三度目のジャンプは長年の目標であった人類同士の結束だと考えても良いのではないか。ヘイトクライムや SNS 上での誹謗中傷、国家戦略としてのワクチン外交への反省として、このパンデミックを契機に世界全体が一体となり、より平和で住みやすい環境を構築すべきなのではないだろうか。その時に生命としての建築は、どのように人々を包み込めるだろうか。私たちは無観客のオリンピック観戦をするようにして、三度目のジャンプを他の誰かに期待してはいけない。

【参考文献】
[1] 廣橋研三、世界史を書き直す 日本史を書き直す —阪大史学の挑 戰一、和泉書院、2008 年 6 月 25 日初版第 1 刷発行、
[2] 高橋栄一、Beyond コロナの都市づくり Socio Ecological Development (SED) の時代、一般社団法人国際文化都市整備機構 (FIACS)、2021 年 2 月 28 日初版第 1 刷発行
[3] 矢作弘・阿部大輔・服部圭郎 G. コッテーラ M. ボルゾーニ、コ ロナで都市は変わるか 欧米からの報告、2020 年 12 月 10 日 初版 第 1 刷発行、株式会社 学芸出版社
[4] スティーブン・ジョンソン、世界をつくった 6 つの革命の物語 新・人類進化史(矢野真千子訳)、2016 年 8 月 30 日 第 1 刷発行、 朝日新聞出版
[5]アンドリュー・マカフィー、MORE from LESS(モア・フロム・ レス) 資本主義は脱物質化する(小川敏子訳)、2020 年 9 月 23 日 1 版 1 刷、日経 BP・日本経済新聞出版本部

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