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デジタル時代の新しい成長戦略「ブリッツスケーリング」(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第4回
"Blitzscaling" Reid Hoffman, Chris Yeh  2018年10月出版
『ブリッツスケーリング:電撃的規模拡大』リード・ホフマン、クリス・イェ

2012年にFacebookがInstagramを買収したときの衝撃を覚えているだろうか?
衝撃的だったのは、10億ドルという巨額の買収金額ではない。1億人というInstagramの膨大なユーザー数でもない。売上高がほぼゼロだったことですらない──。それだけのサービスを提供する企業の従業員数がわずか13人だったことが、世界に衝撃を与えたのだ。
もしくは、Airbnb(エアビーアンドビー)やUber(ウーバー)の名を初めて耳にした当時のことを思い出してほしい。何をする会社なのかようやく理解でき、社名のカタカナ表記がマスコミでやっと統一されたころには、彼らはもう世界数十カ国で何億人ものユーザーを獲得していた。
起業の世界でなにか大きな変化が起きているのは間違いない。
会社組織の体すらなしていないスタートアップが、数カ月から数年という短期間で爆発的な成長を遂げ、世界規模の市場を手に入れる──。古くはFacebookやGoogle、最近ではSlackやWeChatなど、20世紀までの常識では考えられないような事例が少しずつ増えている。

本書は、こうした極めて短期間での電撃的な事業規模拡大を「ブリッツスケール」と名付け、この現象が生まれる背景、戦略としての利用法、ブリッツスケールすべきかどうかの判断基準、そのメリットやデメリット、成功の条件などを網羅的に解説している。
まだ誰も抽象化できていない新しい現象を理論的に整理し、一つのフレームワークにまで高めていると言っても過言ではない。

「そんなのはシリコンバレーだけの特殊現象だ」と思われるかもしれない。だがブリッツスケールは、シリコンバレーだけで起きているわけではない。本書は巻末で「ブリッツスケールの実例」として32社を挙げているが、うちカリフォルニア州に本社があるのは14社と半分にも満たない。米国以外に中国、インド、ケニア、カナダ、スペイン、スウェーデンの企業が含まれる。ほぼ世界的な現象と言えるだろう。

シリコンバレーのインサイダーによる実用的な手引き書

このような現象が起きるようになった最大の理由として、筆者は「ネットワーク効果」を挙げる。ある製品・サービスの利用者が増えれば増えるほど、他の利用者にとってもその製品・サービスの価値が高まるという効果だ。すなわち、市場で最初の製品・サービスの提供者は正のフィードバックループを得て、圧倒的な競争優位を手にできる。インターネットの普及でこのネットワーク効果の影響が極めて大きくなり、それを知る人々の間では「手つかずの市場」が見えた瞬間、猛烈な先陣争いが始まる──。

確実性や効率性といった従来型のビジネスの基本原則よりも、なにしろスピードと規模拡大を優先するべきタイミングがある、ということだ。本書はブリッツスケールの定義を次のようにまとめている。

「ブリッツスケールとは、不確実な環境のもとで効率性よりスピードを優先し、極めて短期間に爆発的成長を実現するための戦略および一連の手法である」

本書の優れている点は、ただ「ブリッツスケール」という概念を紹介するだけでなく、現実の企業経営に活かすため、その概念を極めて実用的なフレームワークにまで高めている点にある。実際にブリッツスケールを行うための1)ビジネスモデル、2)成長戦略、3)経営手法、に関するかなり具体的な手引書として読むこともできる。
そこではPayPalやアリババ、UberやDropboxなど、きら星のような「ブリッツスケーラー」の経験を紹介しつつ、親切すぎるほど細かく具体的なアドバイスをしている。

このように理論と実践の両輪がしっかりと書かれているのは、著者であるリード・ホフマンに負うところが大きい。シリコンバレーの著名投資家で起業家でもあるホフマンは、LinkedInの共同創業者であり、ベンチャーキャピタル「グレイロック」のパートナーだ。PayPalの創業時のメンバーで、ピーター・ティールやイーロン・マスクで有名な「ペイパル・マフィア」の一人でもある。さらにFacebookにエンジェル投資をした人物であり、Airbnbのボードメンバーも務めている。
要するにシリコンバレーの中心にいるインサイダーであり、彼ほど多くのブリッツスケールを体験し目撃してきた人はそうそういないだろう。また、経営者としての視点だけでなく投資家サイドの視点も随所にちりばめられている点が、本書をよりシビアで実務的な手引きとして引き締めている。

スタートアップからスケールアップへ

最後に“scale”という言葉について触れたい。
ここ3〜4年、ビジネスの文脈で一種のキーワードのようによく使われるようになり、最近では日本語でも「スケールする」などとカタカナで使われるケースが散見される(英英辞書のメリアム・ウェブスターのサイトでは「ビジネス用語としての"scale"の新しい意味」を解説している)。英語でもカタカナ語でも昔からある言葉だが、新しい意味の“scale”は「事業規模の拡大」という狭い意味で使われ、“scalable”という派生語もよく見る。おそらくは“economy of scale”(規模の経済)やIT用語の“scalability”(拡張性)などのイメージがあるせいで、「事業規模の急拡大に伴いコスト効率や利益率が向上する」という良いニュアンスが感じられる言葉だ。一昔前の日本企業のように収益性を犠牲にした“事業規模の拡大”とはニュアンスが異なる。

言葉のセンスのあるリード・ホフマンが、この言葉を本書のタイトルに使ったのは極めて印象的だ。「規模拡大」戦略の巧拙が今後のビジネスの鍵を握るということだろう。本書には「スタートアップ企業」の次の段階にある企業を指す「スケールアップ企業(scale-ups)」という言葉もひんぱんに登場する。なお「ブリッツスケール」はドイツ語の戦争用語“blitzkrieg”(ブリッツクリーク:電撃的奇襲攻撃)をもとにしたホフマンの造語である。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。


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